生活料理と江原恵



■おれエンテツと食文化と江原恵さん

備忘録 おれエンテツと食文化と江原恵さん

体験とエピソードによる「生活料理学」入門

■江原恵さんの本(未掲載あり)

庖丁文化論 1974年2月 エナジー叢書

庖丁文化論 1974年10月 講談社クリック地獄

まな板文化論 1975年 河出書房新社クリック地獄

食通以前 1977年11月 講談社クリック地獄

【生活のなかの料理】学 1982年2月 百人社クリック地獄

実践講座 台所の美味学 1983年5月 朝日新聞社クリック地獄

カレーライスの話 1983年8月 三一新書(三一書房)クリック地獄

料理の消えた台所 1986年4月 草思社

江戸料理史・考 1986年6月 河出書房新社

家庭料理をおいしくしたい 1988年12月 草思社クリック地獄

辰巳浜子 家庭料理を究める 1990年9月 リブロポート

料理物語・考 1991年10月 三一書房


■江原恵資料年表(05年4月21日版)

本名・佐藤恵二。1928年(昭和3)山形県最上郡生まれ。1945年8月、元満州国立中央師道学院(教員養成学校)を敗戦により中退。47年満州から引き上げ。小学校代用教員のち、49年上京して料理人に。各地を転々


1974年(昭和49)
本=2月『庖丁文化論』エッソ・スタンダード石油広報部エナジー叢書から(前年にエナジーが公募の論文に入選した結果)
本=10月『庖丁文化論』講談社から

1975年(昭和50)
本=5月『まな板文化論』(河出書房新社)
雑誌=『中央公論』6月号座談「雑談・世相走馬燈”庶民の味”の心意気」(池波正太郎・茂出木心護・江原恵)
 テレビ=10月30日NHKでビデオ撮り
 静岡県掛川市のヤマハ食文化研究室に所属

1977年(昭和52)
本=11月『食通以前』(講談社)
 テレビ=NHK出演
 【6月11日辰巳浜子死去】

1978年(昭和53)
 愛知県刈谷市に一膳飯屋「しる一」開業
 中京女子大家政学部講師(前年から?)
 【「食文化」流行】

1979年(昭和54)
寄稿=7月『食の生活と文化 生活学論集3』(日本生活学会、ドメス出版)に「食生活「洋風化」論 食生活現代史の一視点」を寄稿(注=「食生活現代史の一視点 カツオ節を中心にして」は『生活学』第三冊に収録、未見)

1980年(昭和55)
 10月江原生活料理研究所開始

1981年(昭和56)
 3月渋谷東急本店前に「しる一」開店

1982年(昭和57)
本=2月『「生活のなかの料理」学』(百人社)

1983年(昭和58)
本=5月『実践講座 台所の美味学』(朝日新聞社)。
本=8月『カレーライスの話』(三一書房、三一新書)
 江原生活料理研究所閉鎖。

1984年(昭和59)
 【農林水産大臣許可に基づき、社団法人『日本料理研究会』設立現在にいたる】

1986年(昭和61)
本=4月『料理の消えた台所』(草思社)
本=6月『江戸料理史・考』(河出書房新社)

1988年(昭和63)
本=12月『家庭料理をおいしくしたい』(草思社)

1990年(平成2)
寄稿=8月『日本のルネサンス』(草月文化フォーラム、柏書房)に「桃山の会席」と題して(草月文化フォーラムでの講演をまとめたもの)

1991年(平成3)
本=9月『辰巳浜子―家庭料理を究める』(リブロポート、シリーズ民間日本学者)

1992年(平成4)
本=10月『料理物語・考 江戸の味今昔』(三一書房)
寄稿=11月『別冊宝島165 もっと食わせろ!』に「グルメ時代の迷信 懐石、この得がたいほどの「絵に描いた餅」よ」


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