おれエンテツと食文化と江原恵さん おれの関心は、江原恵さんが「生活料理」と表現したことにある。つまり、日本人が、とりわけ近代あるいは現代の日本人が、なにをどう食べて生きてきたかである。 江原さんは「生活料理学」という表現をつかった本を何冊か著しているが、料理にわざわざ「生活」をつけなくてはならない状況がおかしい、料理はもともと生活なのだから、と言ったことがある。1980年ごろのことだ。そのころは、「食文化ブーム」の到来で、料理は生活から遊離しつつあった。この傾向は80年代の「グルメブーム」を通して一層強まるのだが。その状況、その料理が、おれの関心だった。 おれが食や料理と職業的な関わりをもつようになったのは、1971年9月、企画会社に転職したからだった。入社して、すぐ大手総合食品メーカーの担当になった。それが、おれと食品のマーケティングとの出会いである。それ以来、おれは「プランナー」という肩書で、『大衆食堂の研究』のときも、まだその肩書で、ほかは使ったことがなかった。そしてその肩書でした仕事の6割ぐらいは食系だったといえるだろう。 当時は「食べ歩きブーム」とともに、「料理学校ブーム」ともいうべき状況があった。これら料理学校は、テレビなどのマスメディアで活躍する料理の先生、たとえば[魚菜学園]の田村魚菜さんや[渋谷クッキングスクール]の清水桂一さん、あるいは江上トミさんなどによって、火がついたといえる。 とにかく、おれはメーカー指定の有名料理学校や先生方と、つきあわなくてはならなかった。しかし、その先生たちの話や料理は、どこか、おかしいのである。現実の生活、日常と遊離していると思わざるを得ないことが、じつに多い。 おれが仕事であつかう「大衆食」の実態と、料理の先生方のおっしゃることの乖離がありすぎる、というか接点がないのである。大衆食の実態は生き物であり、料理の先生方の理論と方法は剥製か化石みたいな関係だった。 不思議であると同時に困り、なんとか解決しなくてはなあ。という状況に陥った。 で、そうしたおれの相談役になっていたのが、当時その企画会社で役員待遇の顧問をしておられた、長谷川龍生さん、あの詩人の、である。相談すると、「オッそれならいい男がいる」と引き合わされたのが、「庖丁文化論」を著して話題になりかけていた江原恵さんである。江原さんは、おれの疑問に見事に答えてくれた。それで、おれは江原恵さんと「庖丁文化論」を知った。 江原さんとは、のちに[生活料理研究所]や渋谷に[しる一]という店をつくるなど、行動を共にする機会がふえるのだが、それはともかく、おれが影響を強く受けた食文化本というと、この「庖丁文化論」と玉村豊男さんの「料理の四面体」ということになる。 江原恵さんの『庖丁文化論』1974年、『「生活のなかの料理」学』1982年、玉村豊男さんの『料理の四面体』1980年。 ブログ版関連記事 2007/04/05「1980年―81年の生活料理の幻」…クリック地獄 2005/11/19「日本料理の未来史に向って新しい試み」…クリック地獄 2003/02/09「ま」…クリック地獄 2003/02/08「だし入り味噌」…クリック地獄 食文化本関連年表備忘録 1882年(明治15) 赤堀峯吉、東京・日本橋に「赤堀割烹教場」を開設? 1885年(明治18) 東京ガスの前身、東京府瓦斯会社設立 1894年(明治27) 東京ガス、このころ炊事や暖房に使われ始める 1904年(明治37) 辰巳(阿部)浜子誕生 1908年(明治41) 『婦人の友』創刊。 1913年(大正2) 東京ガス、第一回料理講習会を開催(牛込派出所) 1917年(大正6) 『主婦之友』創刊。 1923年(大正12) 関東大震災時、東京ガス需要家の約半数11万件消失 1926年(大正15) 3代目赤堀峯吉、NHKラジオの料理番組に出演? 1930年(昭和5) 『日本料理研究会』創立。創立者・初代会長「三宅孤軒(みやけ こけん)」 1933年(昭和8) 香川綾・昇三、『家庭食養研究会』(女子栄養大学のもと)設立 1935年(昭和10) 家庭食養研究会『栄養と料理』創刊 1937年(昭和12) 『女子栄養学園』設立(旧家庭食養研究会) 1938年(昭和13) 東京ガス需要家100万件に 1949年(昭和24) 『日本料理研究会』再建 1949年(昭和24)田村魚菜、自由が丘に『自由が丘お料理塾』を開設。1955年(昭和30年9月)現在地に学校法人 魚菜学園『自由が丘お料理学校』を設立。 1950年(昭和25) 『女子栄養短期大学』設立(旧女子栄養学園) 1952年(昭和27) 学校給食全国に拡大。 1954年(昭和29) 辰巳浜子、婦人之友社の取材に応じ、アジ料理など数品調理。 1955年(昭和30) 東京ガス需要家38年の水準100万件に 1956年(昭和31) 三種の神器=電気洗濯機、掃除機、冷蔵庫。DK付公団住宅。民放テレビ料理番組 1957年(昭和32) NHK料理番組 1959年(昭和34) 辰巳浜子、日本テレビで「お年寄りのためのもてなし料理」出演 1961年(昭和36) 『女子栄養大学』設立(旧女子栄養短期大学) 1962年(昭和37) 辰巳浜子、NHKきょうの料理、以後年に数回 1974年(昭和49) 江原恵『庖丁文化論』 1975年(昭和50) 10月30日江原恵NHKでビデオ撮り 1977年(昭和52) 6月11日辰巳浜子死去。江原恵NHK 1978年(昭和53) 「食文化」流行 1980年(昭和55) 10月江原生活料理研究所開始 1981年(昭和56) 渋谷東急本店前に「しる一」 1983年(昭和58) 江原生活料理研究所閉鎖 1984年(昭和59) 農林水産大臣許可に基づき、社団法人『日本料理研究会』設立現在にいたる NHK「きょうの料理」主な出演者=江上トミ、赤堀全子、飯田深雪、河野貞子、酒井佐和子、土井勝、辻嘉一、本谷滋子、村上昭子、辰巳浜子 生活料理と江原恵│本の年表 戦後│地位向上委員会 |