まな板文化論―生活からみた料理

1975年5月 河出書房新社

(04年5月8日blog版を04年9月19日移動)

トシのせいか、自分で書いたことに、ハテナ?と思うことがある。5日の書評のメルマガからの転載文に、「75年河出書房新社『まな板文化論』生活料理学の提唱」とあるのを見て、ハテナ、そんなことがあったかなと思った。それに、1日の「生活料理と江原恵」では、「江原恵さんが、「生活料理」という言葉を使い出したのは、1980年ごろではないかと記憶する」と書いている。ハテナ?おかしな、である。

ガサゴソ『まな板文化論』を探し出して、見た。すると、この本のサブタイトルが「生活からみた料理」なのだ。そして、たしかに「生活料理」という言葉が、かるーく2度ばかり登場する。その言葉の使われ方は、新しい視点を示すためのものであって、とくに意味のある内容ではない。

『まな板文化論』は74年の『庖丁文化論』のあと、75年に河出書房新社から本になった、江原さんにとってはデビュー2作目である。『庖丁文化論』の解説書ともいうべき、よりかみくだいた内容になっている。『庖丁文化論』は伝統主義日本料理の歴史的考察と批判に多く紙面が費やされているのに、『まな板文化論』は、さらに「生活料理」の視点で当時流行の食通談義を批判的に検討し、「家庭料理への道」が考察されている。

というわけで、

■『まな板文化論』のもくじ

はじめに

日本料理史の虚像と実像
  鵜のまねをするカラス
  一年一〇九五回の食事こそ
  「まごころ」は伝家の宝刀か
  文献料理と生活料理
  机上で書くだけの料理
  マンボウ料理のウソ
  かまぼこ文化史
  新鮮文化讃美論
  材料の”選択”の意味は変わった
  ハマチを”製造”する論理
  たとえば、ブロイラーの問題
  すべては板前の責任か
  ”選択”の合理化の中で
  料理栄えて、栄養失調を生む
  魯山人の美味学(ガストロノミー)
  権威によわい習癖について
  洋風食品追放論
  貪欲に吸収し続ける雑種文化
  食生活における文明開化
  『日本料理法大全』の洋食
  日本料理に「つぎ木」されたもの
  「和漢のさかいをまぎらかす」
  「伝統」をもたないという伝統
  日本料理のお家芸
  日常食事文化の思想化

遊戯する庖丁
  卵でつくられた盆景
  目で食わせる日本料理の型
  ?敷美学のはじまり (アア、「?」の字だが、アップされると「?へん」が「木へん」になる)
  食膳用の”芸”と庖丁故実
  観賞用料理に躍動する”伝統”
  「味覚」は気にしない芸術
  シュンは日本の専売特許か
  季を選択するには無理がある
  語るに足らぬ伝統論
  社員食堂でのシュン
  料理人の思いあがり
  口代りに「鯉活造りの?敷
  近代の会席料理変遷略史
  まな箸の使用
  関東の「立場料理」と折詰の美学
  関西が主導権をにぎった理由
  どさ廻り料理人をすげさむ
  「献立」はメニューではない
  上下の差のない擂鉢文化
  「花鳥風月」見立ての美学
  生活離れしてるものほど”権威”がある
  名人たちの奇怪な精神構造
  さまになる授業のために
  日本料亭の敗退
  余興にすぎない庖丁式
  料理人の社会
  新しい装いをこらして残るもの

家庭料理への道
  実際に応用できない基本
  基本とは何かということ
  伝統的な野菜だけで成りたたない食生活
  テレビ料理の現状
  ワインに合う日本料理のこと
  料理の”知識”とは何か
  生活する料理
  料亭料理は料亭へかえせ
  給食献立も目で食わせる
  社員食堂はなぜまずいか
  食品にとっての自然とは何か
  雑食的であることこそ日本の伝統
  新しい「天体」の構造


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