カレーライスの話 文化論と歴史

江原恵著 1983年8月31日 三一新書(三一書房)刊

(05年4月10日版)

サブタイトルに「文化論と歴史」とあるように、カレーライスの文化と歴史を一冊にまとめた本としては、日本で初めてのものだろう。

江原恵さんは、おれと「江原生活料理研究所」をやっていた、1980年から83年の約3年のあいだに、3冊の本を著している。82年刊行の『「生活のなかの料理」学』、83年に『カレーライスの話』、『実践講座 台所の美味学』である。なかでも、おれにとって一番関係が深かったのが、本書だ。

江原生活料理研究所の発足当時、おれが発行者になって「ポリセント」というミニコミ小冊子を発行していた。その創刊号に、江原さんは「カレーライスの可能性」を書いた。それを、どういう回路でか、たまたま見た三一書房の編集者から、江原さんにカレーライスの本を書いてもらえないかという話があった。

おれと江原さんは、カレーライスは日本料理であるという話をたびたびしていて、そのセンならと、おれが企画のまとめ役のような格好で始まった。その企画段階での話や、また北海道の取材が必要になりライターとしても参加した「S嬢」たちを加え何度か飲みながらやった会話などは、本著の「第1章 カレー談義」に盛られた。

そして発行から約10年たとうという1991年ごろ、『カレーライスの話』の編集を前任者から引き継いで完成させた編集者から連絡があり、内容が古くなっている部分もあることなので、大幅に改訂するか新たに書き直したい、ついては江原さん監修で、おれに書いてもらえないかという相談があった。

その話をアレコレ企画しているあいだに、ちょっとしたキッカケで、おれが大衆食堂の本を思いつき、そちらを先にまとめることになった。それが95年の拙著『大衆食堂の研究』である。そして、続いてカレーライスの本にかかった。それは、「汁かけめしとカレーライス」だったか「カレーライスと汁かけめし」だったかのタイトルで原稿を仕上げ、編集者に渡したのだが、その直後ぐらいに三一書房のこんにちまで続く労使紛争・経営紛争が始まり、刊行どころではなくなった。

たまたま大衆食の会に参加のフリーの編集者・堀内恭さんが、その宙に浮いていた原稿に興味を持たれ、四谷ラウンドでの出版に道が開かれた。そこで新たに書きなおし、本になったのが、99年の『ぶっかけめしの悦楽』で、これに大幅書き足したのが、昨年04年のちくま文庫版『汁かけめし快食學』というわけだ。つまり拙著『汁かけめし快食學』は、本書と、そのもとになった短いエッセイ「カレーライスの可能性」から始まっているのだな。

本書の重要性は、北海道での実態調査を含め、「ごった煮カレー汁」つまり「カレーライスは汁かけめしの系譜」の実態をあきらにした点であり、『汁かけめし快食學』にも詳しく引用した。

「はてなダイアリー 江原恵」では、「カレーライスもまた立派な日本料理だ、と、まじめな挑発をおこなった」と書いてあるが、江原さんの言動はカゲキであり、そのように「挑発」と読むのも本の楽しみ方としてはオモシロイとは思うが、現実は挑発などではなかった。それは、本書をよく読めば、わかるだろう。北海道での実態調査は、けっこう大変であったし、そういう料理の実態を調査しないで、根拠のない「想像でしかない事実」をもとに、カレーライスはイギリスからの「伝来」だ、インドが「元祖」だとウンチクをたれる「歴史」が、まだいぜんとして続いている。


■もくじ

第1章 カレー談義……食文化ブーム

甲子園のカレー 焼蛤と芋棒 ファミリーレストランの時代 ファッション化した外食産業 火力の文化 インド風カレーライスと西洋風カレー 中華料理症候群 香港のカレーライスはなぜまずいか カレーライスを生んだ文化の可能性

第2章 日本カレーライスの誕生と歴史

『西洋料理通』と『西洋料理指南』 『日本料理法大全』と『食道楽』 『三四郎』とカレー 西洋料理とトマトソース 増量カレー粉 国産カレー粉の背景 

第3章 ごった煮カレー汁と本物のカレー

さいはての街のカレーハウス カレーライスの思い出 郷土栄養献立 ほんとうのカレーライス ロッパ食談 関西四季カレーと関西割烹 西洋料理から日本料理へ 即席カレー……汁文化から西洋文化へ テレビ料理とダイニングキッチンの間 純カレーと即席カレーと

付録(おいしいカレーの作り方・おいしい店案内)


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