『【生活のなかの料理】学』

(04年4月30日blog版、9月2日転載追記)

『【生活のなかの料理】学』で「食の哲学を持ちたい」「料理を知る方法が問題」と言った江原恵さんが、「生活料理」という言葉を使い出したのは、1980年ごろではないかと記憶する。少なくとも、デビュー作の『庖丁文化論』(講談社、1974年)のころは、使っていない。

ところで、このタイトルの『【生活のなかの料理】学』は、「即席浮月旅團」04年8月21日に書かれているとおり、奥付もそうなのだが「のなかの」は挿入のような表記になっている。なぜそうなったのか、そのイキサツは、記憶にないが、この本においては、そこに、「無視できない意味がある」のは確かだ。

そして、「生活のなかの料理」を、さらにカッコでくくって、「【生活のなかの料理】学」となっているのは、また意味があることなのだ。当時、おれは「生活料理」に「学」をつけるのは反対の考えがあり、いろいろ江原さんとは議論があった。「江原生活料理研究所」の名称についても、正式には「学」がついていなかったが、江原さんの著書には「江原生活料理学研究所」と「学」がついている。



江原恵『【生活(のなかの)料理】学―江原式新日本料理のすすめ』
百人社、昭和57(1982)年2月20日発行



■とりあえず、目次

問答―調理学と料理学の狭間
茎紅茶と豆乳まんじゅう、食の哲学をもちたい、集団給食の中にこそ文化がある、

カツオ節とおふくろの味
「状況」が生み出した味、食生活現代史から食物史へ、カツオ節神話、おふくろの味の構造、食生活学は可能か、再びカツオ節について

食生活「洋風化」論
1=食文化の構造
ウナギは昔のままのウナギではない、食をとりまく社会構造の変化、明治人の合理的生活
2=「洋風化」の実態
考現学からみた洋風化傾向、コロッケとソース、焼肉・てんぷら・水炊き・野菜炒め、野菜の煮つけは「おふくろの味」願望?、高級魚と肉・乳製品の伸び、西洋野菜とサラダ
3=「洋風化」と生活の質と関係
日米家庭料理比較考、生活の質にかかわる家庭料理、日本料理文化の行方

学校給食にみる食文化
日常生活に溶け込む給食文化、「学校給食」論争、文部省がこだわる「栄養補給」説、栄養士の官僚化された発想、料理屋文化と学校給食

座談―新日本料理の考え方
ミス料理長の質問、料理を知る方法が問題、「作る」技術と「食べる」技術、料理学の意味、新日本料理の提案

生活料理のための文献めぐり
篠田統氏との出会い、食生活現代史の必要性、津村喬『食と文化の革命』、大塚滋『食の生活学』、毎日新聞社『学校給食』、山本益博『料理人を食べる』、生活料理学のための最小限不可欠な文献

あとがき


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