ザ大衆食トップブログ版日記

大衆食者の食卓


あらゆる食事の場に掲げてくだせえ
食事の前に、ご唱和くだせえ
生活は「生命をつなぐ活動」
料理は「生命をつなぐ技術」
食事は「生命をつなぐ祭事」

「生命」は「いのち」とお読みくだせえ
あははは、笑う食卓じゃあ



大人のページ「大衆食の会
2005年2月16日更新



さあ、みなみなさまがたのお言葉を紹介するぞ。かりに、ふだんは高級食の生活をしているにしても、ここではだれもが大衆食者だ。電子メール、紙郵便、ファックス、電話、なんでもかまわない、おれの目や耳に届いたお言葉を、勝手にテキトウに簡略まとめて紹介する。おれの悪口は載せない。文句あるか!


#51 06年10月31日 もんくしーるさん

ブログに掲載……クリック地獄

#50 05年7月24日 リンコさん

ブログに掲載……クリック地獄

#49 04年5月7日 ハジメ男@東京さん

(04年8月4日掲載)

いろいろメールをいただきながら、だいぶ掲載をサボってしまった。一部は日記やblogの方に載せたりしたが、また一部は、3月のはじめごろパソコンクラッシュでデータを失ったものもある。どうもすみませんでした。近日中に、全部を順次掲載いたす予定であります。
まずは、一年以上ぶりに?ご登場のハジメ男さんです。どうもおひさしぶりです、ありがとうございます。下町へ引っ越された、とな……。

その後ご無沙汰の限りでございましたが、
貴サイトは何時もチェック、遠藤様に学べと若輩の身有難く拝読しております。

私思うところありまして、30余年住みなれた東京山の手を離れ、東京下町に引越し数ヶ月のこの頃でございます。
引越し当初は、ガラの悪い街だねえと思ったものですが、雰囲気にも慣れ、気取らずのんびり暮らしております。場末の町独特のもつ焼き屋も良いですが、なにげない食堂でのビールやメシに生・食の喜びを感じて居ります。
食の喜びとは元気を喜ぶことであり、「味の喜び」ではないねと、妙な理屈をつけ、遠藤様のお考えにかぶれたりしております。

さて、おもいで横丁再開発、やはりとうとう始まりますか。
寂しく思います。
つるかめ食堂や穂波食堂、岐阜屋に鳥園、ガードの騒音や汚い便所も含めて、私が都内で憩える数少ない所でした。
世が世ですから驚くことではありませんが、ああいう場所をぶっ潰して開発することが経済と思っている連中というのはいるもんですねえ。

しかし遠藤様同様、未練は持ちますまい。
嘆くのもやめておきましょう。涙期待の逸話の披露など愚なことです。
そういうのは郷愁的であり、懐古趣味で本来的にそういう場所が必要でない人間の性向かと思っております。
私においても、新宿遠く下町に引っ越したわけで、私のような人間が入りこむトコロは、この地に十分あるわけです。
正に、アバヨ!思い出横丁であります。

以前は遠藤様のサイトを、うらぶれ趣味の昭和B級グルメサイト(笑)のように解しておりました。
確かにサイトには食堂情報などがあり、当初はそういった向きもあったとは思いますが、その後遠藤様の日記を読み続けるにつれて、食を通して世を見つめるというのでしょうか、お考えの深さを感じました。
面白いです。今後とも楽しみにしております。

とはいえ、堅苦しく考えているわけではなく、気取らず群れず、世の中流行何処吹く風の気概で元気にやっていきたいものです。

これからも宜しくお願いたします。

ついしん:
先日、NHKテレビで○○流包丁式というのをやっておりました。
いやあ、思いあがった厳かな儀式、始めて見ました。
四条ではなかったようですが、ずっこけました。
格式とか粋とか言ってる奴はなんともインチキ臭い。

あと昨今の「男の料理」というのも食えない。

それでは。

(エンテツ注=blog版5月6日の「アバヨ!思い出横丁」を
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2004/05/post_6.html
ご覧になってのメールです)



#48 04年2月18日 オオタさん@居所?
(04年2月19日掲載)

東陽片岡さんの検索でうろうろとしていたら、偶然このホームページに
やってきました。

長野の片田舎で育った自分は、大衆食堂というフレーズは様々な気持ちにさせます。

まだページ全部を拝見したわけではないのですが、一度にみるのは勿体無いのでちょっとづつ見ていこうと思っています。

とりあえず僕の好きな食堂は地下鉄東西線 早稲田駅(A3出口近くの『かあちゃん』という定食屋です。A、B、Cと定食メニューが3つしか無く、早稲田大学が近い事からなのか実に安いです。(500円くらいで結構な量)おすすめです。是非一度行ってみてください。

またちょくちょく来ます。頑張って下さい。では。

東陽片岡さんの検索からとは、これはうれしいですねえ。おれが好きな漫画家というと東陽さんだけ。もともと、ほかはあまり知らないのですが。これからもよろしく〜。


#47 04年1月11日 オオクマさん@横浜
(04年2月19日掲載)

横浜の大衆食堂を、写真と一緒にレポートしていただきました。コチラに掲載してあります。オオクマさん、これからもよろしくお願い致します。



#46 04年1月10日 ヒロさん@東京
(04年2月19日掲載)

遅くなりました。あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

先日、西麻布にある洋食風定食屋「キッチンヌノ」に行きました。美味いながらもちょっとだけ高い印象でした。洋食の王道+サイドメニューの納豆150円、ほうれん草のバターソテー250円、生玉子100円、目玉焼(玉子1個)250円などあり、メニューは充実しています。ここはランチメニューがお得で人気のようですね。なかなかいい店でした。

ヒロさん、ありがとうございます。このサイトには、「洋食屋」の掲載がほとんどない状態。というのも、古いネタはたくさんあるのだが、どうも近頃トシのせいか洋食屋から遠ざかり、新情報がないもんでね。


#45 03年12月26日 ケンさん@東京
(04年2月19日掲載)

「普通にうまい」を読みました。
おもしろかったです。

特に「たとえば、サバ味噌煮やとん汁や野菜炒めやマカロニサラダの歴史
などは、話題にもならない。おそらく、この4品の歴史の重要性すら認識し
ている人は少ないだろう。」
確か、著書の「大衆食堂の研究」も買って、どこか本棚にあるはずなんですが、
いまさら目からウロコが落ちました。

そういえば私の親戚が店を出している「荏原中延商店街」の(確か名前は)
「あけぼの食堂」も先日、閉店していました。
正月は「大衆食堂の研究」を読んで過ごしたいと思います。
では、よいお年をお迎えください。

財団法人塩事業センター発行「Webマガジンen」1月号の「食を探る」の「大衆食と『普通にうまい』」 の感想をいただいた。どうもありがとうございます。「大衆食堂の研究」が出版されたのは95年だから、月日がたつのは早いもの。


#44 03年12月9日 タツさん@郡山
#43 03年12月9日 ユウタさん@東京
#42 03年11月24日 ヒデさん@さいたま市
(03年12月10日掲載)

ちょっとね、「浮世のめし新聞」の「居酒屋食堂考 いづみや」がらみなもので、んで、なかなかまあ、とにかく読んでよ。こっち


#41
(03年12月1日掲載)

ヒロさん@東京、ナガトロさん@高崎。まとめて「浮世のめし新聞」のコーナー「煮込みぶっかけ二話」に掲載。


#40 03年11月12日 ヒロさん@東京
(03年11月16日掲載)

はじめまして。いつも日記を楽しく拝見しています。
早速ですが、私が好きな大衆食堂は環七大原交差点付近、
甲州街道沿いの「布美よし」と、環八通り沿い、世田谷区上野毛1-1-1にある、「さと」です。どちらも安価で美味しい定食が食べれると思います。
ガッツリ食いたいならば、桜新町にある「きさらぎ亭」と二子玉川にある「たぬき」です。料理の質は上記の2店より劣ると思いますが、それなりに美味しいですよ。
紹介した4店は全て繁盛しています。
大衆食堂よ、永遠なれ。
てことで、ではでは。

日記ご覧いただき、ありがとうございます。大衆食堂の情報、ありがとうございます。
大衆食堂というと「下町情緒」ということで、東京の東側の話題になりがちだけど、「下町情緒」というのは、ようするに「庶民情緒」だから、なにも下町の占有情緒じゃないわけで、最近紹介した「阿部食堂」も世田谷区だけど、西側にも大衆食堂はたくさんあるから、どんどん発掘していきたい。地味な小さな経営でコツコツやっているものを、もっとちゃんと評価することが大切だと思うし。
おれも独身の頃に大原交差点の近くに住んでいたことがあって(約40年前か)、環七沿いの銭湯を利用し、笹塚駅周辺の大衆食堂を利用した。笹塚の常盤食堂のご主人の亡くなったお兄さんがやっていた大衆食堂へも行ったものだった。
ヒロさんこれからもよろしく。大衆食堂は永遠です。



#39 03年9月22日 カミ@東京?さん
(03年9月23日掲載)

はじめまして。大衆食、楽しく拝見させていただいております。
ますます、掲載店も増やしがんばってくださいまし。
大衆食堂は現在再評価されていると思います。
……
というぐあいに、六本木食堂などの、素晴らしいレポートをいただきました。
コチラをごらんください。


#38 03年6月9日 ナガトロ@居所不明さん
(03年6月12日掲載)

「関東うどんそば逆襲協会」拝見させて頂きました。さて一軒埼玉のそば情報を。長瀞町の、秩父鉄道長瀞駅から岩畳の方へ向い、踏み切り端にあるお店です。お品書きには、もり・ざる・とろろの三品だけ。いわゆる「タネモノ」はありません。これは通年してだそうです。長瀞には「長生観」といううどんの大きな店もありますが、初めてここのおそばを食べたときは「さっき長生観でうどん食べなきゃよかった〜」思いました。相当にうまいです。お店の名前は…、忘れちゃった。まー行けばわかるでしょう。探すのも「亦一楽」かな…。

ありがとうございますッ! 「関東うどんそば逆襲協会」は開店休業状態でありまして、なんとかせねばと思いつつ、近頃どうもトシのせいかアシとハラが弱くなって…とナキゴト。ま、とにかく、秩父鉄道は年に何回か利用し、沿線に見えるうどんそば屋はかなり気になる存在。みなさんも行ってみてください。秩父鉄道も、いいですよ〜。なお、この情報は「関東うどんそば逆襲協会」にも掲載させてもらいました。


#37 03年6月9日 ヨシダ@東京さん
(03年6月12日掲載)

大変遅レスですみませんが、

>> 「浮世のめし新聞」5月13日版「フライの謎」

「文化フライ」、ありましたね〜。
私(昭和29年生)が小学校低学年の頃の「熊野前商店街の縁日」(その頃は10日と25日)でも出店してました。
母親がやや潔癖症ぎみだったのと、ちょっと高かった(たしか10円。ポテトフライが3ケ5円・コロッケ1ケ10円の頃です)んで、食ったことはないすけど。

おおッ、これは、貴重な情報。ここには掲載しませんが、品川の知人からは品川神社の祭にも「フライ」の屋台が出ていると写真が届きました。これは当サイトに掲載の下谷神社のものと同じ。どうもやはり、「文化フライ」と「フライ」では、ビミョーにモノも勢力圏もちがうようですなあ。オモシロイ。また調べて報告します。ほかのみなさまも何か情報があったら教えてください。


#36 03年6月5日 クボシュン@新潟さん
(03年6月12日掲載)

五十沢のラーメン関場がついに廃業をしました。残念なことです。じゃまたねー。

当サイトに掲載の80歳翁のラーメン屋がついに廃業。もうトシだから仕方ないが、残念! ご苦労さまでした。



#35 03年5月9日 マリリン@東京さん
(03年5月11日掲載)

コナモンの日、大変盛り上がったみたいですね。
おいしいたこ焼き、最近食べてないです。近所の銀だこはいまいち。

まったくねー、東京にはうまいたこやきないですねえ。だいたいね、大阪へ行くと、どのたこやきもうまく感じる。それに安い!東京はなんでも異常に高すぎ、値段のわりにうまくない。


#34 03年4月28日 オオトネ@東京さん
(03年5月11日掲載)

鶯谷駅前の「信濃路」はご存じでしょうか?
鰻の寝床のような狭い店内の壁には「大利根」を彷彿させる品書きの
紙札が所狭しと並んでおります。

情報ありがとうございます。知りませんねえ、ゼヒぜひ行ってみたい。大利根なくなってさみしいものねえ。


#33 03年4月21日 イサオ@横浜さん
(03年4月22日掲載)

 「カツカレー食いたい!!」と思いました。カツの大きさと色が食欲を
誘います。ここのところ食べていませんので。

 横浜駅の相鉄ジョイナスB1に「カレーのリオ」というチェーン店があり、
30種類以上のカレーライスが食べられます。
 値段が安いのと旨いのでよく会社の帰りに食べました。

 野菜サラダとスープ、揚げ餃子5つがついたチャイニーズカレー#1が確か700円くらいだったと思います。これは結構おなかにたまります。
 我が家では普通のカレーを作りません。娘が作る非常に辛いタイカレー専門です。
 たまにはこのような黄色いカレーが食べたくなります(^_^;;

新潟日報連載コーナーの「カツカレー」をご覧頂いたようで、ありがとうございます。これからの季節、ますますエエですねえ。カレー食べてガツンガツンいきましょう。


#32 03年4月11日 ヨネジ@埼玉さん
(03年4月11日掲載)

「メシゴト日記」を興味深く読ませて頂いております。
高橋氏と安曇氏の話になってきましたね。現在、安曇氏の子孫は博多で宮司をされています。

博多湾の沖合に、「海の中道」に抱かれるように「志賀島」があります。この島に「志賀海神社」があり、この神社の宮司が安曇さんです。

海人族の安曇一族はおそらく朝鮮半島から博多に渡ったのでしょう。能登半島にも安曇があり、松本にも安曇野があります。海彦も時代に流されたのでしょう。この安曇氏が、日本料理の起源にかかわっていたとは、驚きです。

志賀の島(しかのしま」からは、邪馬台国の卑弥呼の金印が出土しました。志賀海神社と金印塚の写真を貼付しました。では、また。

ヨネジさんありがとうございます。写真の掲載は、略させてもらいました。安曇氏の子孫が、まだ宮司をしていたとは知りませんでした。この神社は、見た目も古そうですが、かなり古くから安曇氏が祭る神社ですね。日本書紀の巻第一の神代の最初の方、第4段に、「底津少童命(ソコツワダツミノミコト)・中津少童命(ナカツワタツミノミコト)・表津少童命(ウハツワタツミノミコト)は、是安曇連等が祭れる神なり」というのがあって、その神社なのですねえ。安曇氏は、そのあたりを本拠にして、東上したらしく、神武と一緒に東上したのではないかとか、いや同じ頃神武だけじゃなくて九州の豪族たちが次々に東上したのだとか、いろいろ「説」があるようですが。まだ、系譜が残っていたとは……。ただ安曇氏については、古事記か日本書紀かに、顔にイレズミがあるという記述があって、これは東南アジアやフィリピンのほうから黒潮にのってきた人たちというふうに見られているようです。で、安曇氏の失脚は、そのことに関係すると推測できるのですが、それはまた日記で。


#31 03年3月31日 ソレデモ母@奈良?さん
(03年4月8日掲載)

そそ、最近の給食ってすごいのよね。

うちの、もひとつ可愛げのないお子も、
小学校で、毎日給食食べとりますが〜
献立見てると、昔とは全然ちゃうもんね。
スーミータン?何それ?ってな感じで
謎な献立もあったり。

しかし、宇喜田小学校のメニューはすごいな…
わしも食いたい。

更科食堂の写真が載ってる〜〜〜〜
こないだ、久々に行ったのよん。JR周辺。
あの辺も、何年後かには
全く違った雰囲気になるんだろうな…

「更科食堂」と「浮世のめし新聞」の「給食の風景」を見てのメールだね。うーむ、どうやら関西のヒトで奈良かどうかはわからない。このメールによれば母親のフリをしているが、自分のマゴのことかも知れないし、正体不明。あははは、でも更科食堂を知っているらしいから、よろしく〜。

ほかに、おれが参加しているMLで、こんな話もあったよ。必見!!

珍しくもないのかもしれませんが、
毎日の給食が写真付きで紹介されているので、
何年か前から、昼飯前にときどきのぞいてしまいます。

小牧市立小牧中学校
http://www.k-komaki-j.ed.jp/default.htm



#30 03年2月16日 チエ女@東京さん
(03年2月16日掲載)

今、日記を見ています。私も、生のウンチはそのまま食べるのは嫌だけれど、それほど「清潔」にこだわる方ではありません。でも、男の子に手料理をふるまったとき、相手が腹痛を起こしたことが何度かありましたよ。ウウウーン、相手の腹が弱いのか私が原因なのかは不明。もう、その男の子には会っていません!

がははははははは、ああああああ、あんた、生のウンチをそのまま食べるの好きなひといますか、あがががが、それに、そんな男とは二度と会わないでよろしい! しかし何度か腹痛を起こさせたあんた、何度も腹痛を起こしながらつきあっていた相手もエライ! ああ、もう、どっちがどっちかわからん。


#29 03年2月2日 ヨネ男@埼玉さん
(03年2月3日掲載)

成人の日に神田明神に行きました。その時拝殿の前で四条流の包丁式が奉納されていました。TVなどで見たことはあるのですが、実際に見たのは初めてでした。何か現実離れした、時代錯誤的なものと思いました。料理の世界を始め、この国の「家元」制度は考えるべき問題と常々思っています。まだこの国には、前近代的な権威主義がまかり通っています。私達の価値観が未熟なせいでしょうか。食の世界にまで、マスコミ主導のおかしな権威主義が通用しています。本当の「おいしさ」のために遠藤さんの、お考えは貴重です。ラーメンの世界にまで家元?云々が蔓延る風潮を憂いているヨネ男でした。

あのアナクロ陳腐な庖丁式も「料理」ではなく「遊芸」あるいは「遊芸料理」ということなら、それなりに好きな人がやって芸を磨き楽しめばよいと思うのですが、「日本料理」の権威というわけですから問題にしたくなるわけでして。かの雅楽のみなさんですら、「おれが日本音楽」だなんていわないのに。日本は、ほんの半世紀ぐらい前までは、「元祖」だの「由緒由来」だのが有難がられ権威を持っていた「前近代」だったのだし、そりゃ「戦後」というぐらいでは、なかなか克服されないのでしょうねえ。もっと「自分の目」を持つべきだと思うのだけど。しかし、日記は、どこへころがっていくのやら…。


#28 03年1月19日 ハジメ男@東京さん
(03年1月21日掲載)

話題は急転しますが、
名手・藤沢周平の小説;

「○○(←おかずの名前)で飯を食う」、

というような文章があります。曰く、煮しめで飯を食う、とかそういう件です。
「飯を食う。」いいじゃあないですか。これ以上も以下もない、気取りのない、潔い言葉です。

過日、とある大衆飯屋で、60歳を既に越えたる人、赤星のビール大瓶2本に、焼きたらこ、大根おろしと焼き魚、ひじきをつつきつつ日曜日の午後。曰く、「あぁ、やっと落ち着いたよ、ちょっと休憩するよ。」といい様、ショートホープに着火。小休止のあと、新たに誂えた熱い飯と味噌汁をもって、残りのおかずを食う。余った麦酒は隣人に献酒。。うーーむ、素人ではこうはいかない。

おれも藤沢周平のファンです。ま、潔く力強くめしをくいましょう。この「大衆飯屋」の景色、いいなあ、こういう景色も味覚のうちでしょう。充足を知る者のめしというかんじがします。


#27 02年12月28日 あつ男@札幌さん
(03年1月5日掲載)

ところできょう、前にお話したゆりや食堂に行きました。ガラスの引き戸を開けると中は意外ににぎわっておりました。黒ずんだコンクリートのたたき、大きなストーブの上で湯気を上げるずんどうなべ、製麺所から贈られた金文字入りの鏡、お約束の町内住宅地図と大衆食堂のムードは満点でした。

ラーメン400円は最近見ないなると巻き、焼きブタ(チャーシューというより焼きブタ)半切れ、のり半切れ、ネギと具はいたってシンプル。懐かしいしょうゆ味、うまいわけでもないけれどスープも飲み干したくなる味でした。どんぶりにはゆりやマークも。寒いせいか多くの客がラーメンやうどんを注文。昔の高札をかたどったらしい例のメニューによればほとんど麺類で、ほかはカレーやチャーハンといったところ。これはカレーも期待したくなります。まさに一周遅れのトップランナーと行った風情でした。

ゆりや食堂は前から気になる存在だった。こんど札幌へ行く機会があったら是非よってみたい。
2002年の大衆食者の食卓