2002年の大衆食者の食卓

#26 2002年12月20日 ハジメ男@東京さん(2002年12月23日掲載)

ハジメ男@東京さんからいただいたメールに、よく話題になることがあった。その部分と、それに対するおれの返信をチト簡略して紹介しよう。


そもそも大衆食堂の「大衆」とは、現在どのような意味をもつのでしょうか。

はてさて、こういう質問は、ときどきありますが、わたしにおいてはさほどの意味はないのであります。自分は不安定自由文筆労働者である大衆だし、わたしが食にクビを突っ込みだしたきっかけは、1970年代のはじめから、大手食品会社のマーケティングを手伝う仕事をしてまして、そこで扱った食品はもう「大衆食」としかいいようがないものでしたし、それにわたしは上京して入った食堂には「大衆食堂」の看板でしたし、ごく自然の成り行きと申しますか。

大衆食の会に某大学院生がいまして、かれが申すには、かれの論文指導教員は、「大衆」というのは「階級的用語」とやらで約100年の概念の歴史をふまえて使わなくてはならない用語だといっているとか。そりゃあ学者だからだろう、学者というのは簡単なことでも難しくして商売している連中だから。こちとら、バカな大衆だから簡単なほどいい、そんなめんどうなことはどうでもいいの、おれはとにかく大衆だ、とわたしは答えたのですが。

しかし一応、ま、近代資本主義下、日本の歴史では明治以後の「民衆」を「大衆」というと、わたしはきめています。わたしの関心は「研究者風」にいうと、「近代日本食のスタンダード」がテーマなもので、それを簡単にいえば「大衆食」であると。



#25 2002年12月12日 S男@新潟さん(2002年12月15日掲載)

貴殿のホームページで面白い話を見つけました。
関東の名物、「しもつかれ」とは、なんと怖いほど魅力のある食べ物でしょう。
読めば読むほどはまりそうそれでいて箸を出すのに躊躇が付きまといそう。
見ためと味は反比例するのではと思いますが?
いずれ近いうちにチャレンジを考えております。

まったく、日本は狭いようで広いのですなあ。知らないこと知らない料理がたくさんあります。


#24 2002年12月9日 ボン大塚@居所不明さん メール(2002年12月13日掲載)

私も73年から某大手スーパーで足掛け27年間グローサリーとデイリー食品を担当していたので、流通の栄枯盛衰を現場底辺から見続けてきました。

石油パニック時の徹夜での砂糖の袋詰販売も懐かしいですし、ナタデココや豆腐アイスのつば付けから下火への流れも走馬灯のように浮んできます。流行りのお役目ご苦労さんで、ドロップアウトを余儀なくされましたが、やはり毎日毎日1万アイテム近い商品をさわりながらそれを通じて社会を見ていたという思いが今も自分の支えになっております。

ま、30年という年月のあいだには、いろいろな変化があるのは当然だろうけど。おれも1971年秋から食のマーケティングの現場にいて、その変化はいまだかつてなかったものだと思う。明治の文明開化は、まだその前史からの継続があった。しかしこの30年間は、かつてなかった断絶をともなう大きな変化だったと、少なくとも「食の現場」からはいえるだろう。


#23 2002年12月9日 ハジメ男@東京さん メール(2002年12月13日掲載)

私は大衆食の醍醐味、荷風山人「カツどんのおくびを嗅ぐを欲す」的飯にして、食事ついでにビール瓶の一本、もしくはお銚子を誂える、あんまりお金を必要とせずも、己の心の余裕と趣味に生きらばをモットーとする人間の食と考えます。気取るは無用、群れず単独黙って食えばいいのです。

変な雑誌編集者が得意とするようなB級グルメ的指南書片手に、昭和レトロのテーマパークに歓喜するような、コジャレタ馬鹿娘に足の細い色白男がはびこる大衆食堂モドキではなく、硬い白飯を肴でも酒が進む、そういう空間が好きです。


おお、なんと泰然自若たる美学・趣味、これこそ男、いや人間というもの。もしや単なる貧乏の結果だとしても、おれの場合はそうなんだけど、いいじゃありませんか、独自の美学と心の余裕こそ肝要。しかし、このコーナーは、どんどん男臭くなっていくなあ。


#22 2002年11月18日 とも男@東京さん メール(2002年12月13日掲載)

さて件の入谷の食堂ですが、今日そばまで行く機会があり覗いてきました。和定食があまりない様なので大衆食堂としての定義からは外れるのかと思いつつ、いつもどうり肉ニラ定食を食らってきました。住所は 東京都台東区松が谷4-10-8(たしかそんなとこだったと)。店名は ”松屋”。中華と洋食と書いてあった気が・・・なんとなく住宅の一部のような、古くて汚いような感じが好きなんです。よろしければ足をお運びください。

チト掲載が遅れてしまった。なんだか「古くて汚いような感じ」ってのがソソラレル。入谷には知人もいるから必ずや行ってみるだろう。みなさまもどうぞ。おれは「大衆食堂の定義」といった、権威臭いことは嫌いなのだけど、いちおう「大衆食堂」としては、味噌汁があるとベストと思っています。が、テキトウてきとう。


#21 2002年12月4日 まゆ女@居所不明さん メール(2002年12月6日掲載)

おもいがけない質問がよせられた。

ホームページ拝見いたしました。
ホームページに手動式の製麺機(のしと切り用)が載っていましたが、
どこのメーカーのものか、教えていただけませんでしょうか?
ぜひ、購入したいと思っています。


これは当サイトの「小鹿野のうどんそば生活」に載っている製麺機のことだ。なんどもこの製麺機を見ているし、そのメーカー名も見た記憶があるのだが、いざこのように質問されるとわからない。その家に電話をして、「小野式手回し製麺機」といいメーカーは埼玉県戸田市にある株式会社小野機械製造所とわかった。小鹿野町では、近藤金物店や農協で販売しているとのことだ。これ一台あれば、うどんそば屋もやれるような頼もしい機械だから、お店や、しょっちゅう自家製うどんそばを楽しみたいひとには、おすすめ。


#20 2002年11月29日 ユタ@居所不明さん メール(2002年12月1日掲載)

今日、たまたま、夕方のニュースを見ていたら、「錦糸町のミルクスタンド最後の日」をやっていました。
偶然、当hpでミルクスタンドのことを知り、関心を持っていました。ミルクスタンドも確実に消えていくのでしょうか。寂しいばかりです。

エンテツ=ミルクスタンドに関心をもっていただき、ありがとうございます。まだまだファンもたくさんいるようです。

大衆食の会のひとから、このニュースがのった11月19日朝日新聞東部版のコピーが送られてきた。ここは立ち飲みもできた。カップ酒250円、生ビール中ジョッキ350円、それを通勤帰りに一杯ひっかけてストレスを発散するひとたちが集うところでもあったようだ。飲みすぎや大声だしたりは暗黙の「御法度」とかで、庶民の幸せのためのマナーも生きていたようだ。けっきょく、こんなささやかな憩いも奪われてしまうんだよねえ。「不採算」が理由だけど、そんな小さな不採算は、閉店という方法じゃなくても解決しようがあるのだろうに、サルでもできる計数管理の経営だけで人間の知恵をだす経営努力が足りないよね。



#19 2002年11月28日 モト男@東京さん メール(2002年12月1日掲載)

元来風来坊の私ですが、最近旅に出ても上野駅地下のような現象が多いと感じております。ローカル線の終着駅周辺にファストフード屋やファミレスがあると萎えちまいます。そこには土地の人に支えられているめし屋や居酒屋がなければいけないのに。

また駅弁でも新宿・東京・上野は品揃えが同じです。というのはJR東日本100%出資の日本食堂が、その資本力と威光で各駅の業者を資本傘下に収めてしまったからです。要するに唯一の株主であるJR東日本から優先的に儲けの場を与えてもらえる仕組みになっているのです。東京周辺で日本食堂傘下になっていないのは品川の常磐軒、横浜の崎陽軒くらいのものでしょう。それだけにこの2社は応援したいです。

規模の経済・効率化・スピード化の徹底で、今はたして日本人は幸せになっているのだろうか?と考えることがあります。ムダのない旅とムダのない人生って、味気ないもんです。

ともあれすべての街が同じようにこぎれいに新しくなってしまった時、ミョーにみんなが昔っぽいものを懐かしがるような気もします。

エンテツ=まったく、まったく。ワタシの人生、ムダだらけ。……ってことはともかく、大きなムダはやりながら小さな庶民の楽しみのムダが奪われる、というのが最近の傾向であるような。


#18 2002年11月20日 はら男@茨城さん メール(2002年11月21日掲載)

HPを見させていただきました。
昨日、上野駅の地下の「おかめ」に行ったら閉店の張り紙がしてありました。

大変ショックでした。
東京からまた名店が消えてしまった。
隣の「柳屋」も今週いっぱいだそうです。
このあたりも横文字だらけのファッションやさんになるんでしょう。
文化財クラスの食堂をつぶしてまでキレイにすることに寂しさを感じました。


エンテツ=いよいよ、あと一週間、27日で全店が消えます。そういえば、あの地下の食堂に毎日3時ごろエサを食べにくる鳩がいました。グラミのひとは「たく」と呼んでエサを与えていましたが、ちょっと片方の足が悪く、いつも一羽で行動していました。「ホームレスの鳩」という感じでしたが……どうなるのかな。


#17 2002年11月20日 ひら男@東京さん メール(2002年11月21日掲載)

早速、|ザ|大|衆|食|ホームページを拝見しております。
どこから読み進んだらよいか、読み進むうちにしか分らないような仕組みになっているようで、路地裏を行く気分です。

東中野食堂に行って参りました。
黄色いカレー食べました。
正直、食べたことのないウマさでした。
幸せを感じるうまさ。
コロッケものせたのですが、手作りで丁寧に揚げられ、アツアツで出てきました。
これは、後世までぜったいに残るべきですね。
東中野は、至福のまちだ。
「いらっしゃいまし」のコトバも、ずっと健在であらんことを。


エンテツ=このサイトは、機能的に整理されることなく、しだいにもっと小路がたくさんできて猥雑な混沌の迷路になっていくはずです。人間や自然のように。東中野食堂、よろしく。


#16  2002年11月8日 ハジメ男@居所不明さん メール(2002年11月13日掲載)

HP拝見しました。通好みの渋い趣味、そして玄人の仕事に感服いたしております。
痒いところに手の届くような情報と豊かな文章、まだ全部拝読しておりませんが、仕事サボりの時間つぶしの中、素晴らしい文献にぶち当たりました。

感激のメールにて失礼致します


エンテツはひたすらテレていますです。テレテレテレ……。
おい、こらっ!おれの趣味や文章を「下品」だなんてぬかすやつら。反省しろ! がははは。



#15 2002年10月30日 モト男@東京さん メール(2002年11月7日掲載)

はじめまして。私は元々が鉄道マニアで上野駅を愛し、さらには上野駅地下食堂街をこよなく愛してまいりました。昔に比べればだいぶ寂しくはなりましたが、「八甲田」「はくつる」「あけぼの」等、北行きの夜汽車で旅発つ時には必ずグラミでガツンとメシを喰い、ついでにそこそこ酔っ払ったものです。

先日久しぶりにグラミに行きましたが、11月23日で閉店(エンテツ注=閉店は27日です)という話を聞かされて愕然と致しました。

しかし今の上野駅工事、一体何を考えてるんでしょうか。JRと土建業者は洗練された駅づくりに腐心してるのでしょうが、歴史と伝統と蓄積のない作り物文化などいくらカネをかけてもすぐ飽きられるに決まってます。上野駅は東京駅にはなりきれないのです。

エンテツ=上野駅地下食堂街には、個人経営、家族労働的サービスでなければできない歴史と文化の蓄積があったし、それをうまく発展させる道があったと思いますが。どうもJRは、そういうものについては関心がないようですねえ。どこも同じ大企業的サービスの駅にしようというのでしょうか。ま、企業をテナントに入れておけば地主のJRは安泰ということでしょうし、利用者がつくりあげてきた駅という公共の歴史と文化なんかどうでもいいのでしょう。あいかわらずの親方大将官僚体質で横並びの駅づくり、それぞれの駅地域独自の競争力を高める意識なんかないようにみえますねえ。

それと、ただ「女性がよろこぶような」キレイな駅になればいい、という「市民感覚」も問題だと思いますが。いまや、ヘンなコジャレた女たちが、街の個性を奪う「コジャレ・ファッシズムの親衛隊」のようにも思えますなあ。街の歴史と文化には無関心で、ただ見た目がキレイになればいいというバカ女たちには、よく考えて欲しいと思います。

でも、アメ横ガード下のコキタナイ店で飲む若い女たちも増えていまして、悲観はしていません。人びとの愛着を引き継ぎ育てるような街づくりをしていこうじゃないですか。


#14 埋もれていた 吉田謙太郎@神奈川さん メール(2002年10月28日掲載)

すまんすまん。このhpを改装中に、どこかに消えてしまった、吉田謙太郎さんが大分前に知らせてくれた[サンチャン食堂]をファイルの中から見つけた。

ところで、東急東横線の新丸子駅付近に
サンチャン食堂というのがあるぞ。
まさしく大衆食堂だ。
以前はよく行ったなぁ
地方からの出稼ぎの人たちが周辺地域から歩いてくるところ。
ここの三人姉妹の注文の取り方をみているとすげーおもしろい。
天才じゃないかと思う。
厨房を覗くとそらもう戦争状態だ。
アルバイトにはバイトはできんほどに込んでるのじゃ。
どよんとした大衆食堂ではないが、一度はみるべきかもね。
TVに一度でたことあるけど、かわらんはずだ、あすこは。

うーむ、気になる。東横線沿線では、かなり有名な食堂らしい


#13 2002年10月22日 おでん子@山形さん メール(2002年10月24日掲載)

大変ごぶさたしてます。
ぶっかけめしの本は影響されまくった。ほんとにもう。
そういえば香港の空港に一椀飯という本がありました
1椀の中の料理です。

旅に出るといって、しばらく音信不通だった、おでん子さんは無事帰還した。どこをウロウロしていたやら。「一椀飯」といったら「どんぶりもの」というイメージで、ぶっかけめしそのものというかんじだけど。ま、ぶっかけめしヨロシク。


#12 2002年10月16日 六男@東京さん メール(2002年10月18日掲載)

またまた#6の[いわさき]について。うーむ、[いわさき]の魅力、人気、おそるべし。

NTサンと全く同じで、懐かしくてなりません。どんなに遠くても行ってみたいと思っています。こんな感情を持った人間がわが社だけでも十数人はいるのです。


#11 2002年9月30日 鍋男@東京さん メール(2002年10月9日掲載)

タイトル:大衆食堂、響きがいいですね。

本日午前、このHPに偶然立ち入りました。
午後から押上で仕事があるので、何か情報を・・・
と探っていたところ突然発見。

いやいや、はまりました。大衆食堂は奥深い。
充実したHPには驚きました。
外回りが主な仕事なので、今後ご協力できるかとも思います。

本日は、グラミで早めの夕食をとり、仕事帰りに押上食堂前通過。
勿論、東京都指定食堂の看板も確認。

今度は久しぶりにピ−ターに行ってみよう。
かつて、週1回(月曜日)。2年間通ったお店です。

エンテツ=とくに外回りの多いひとにとっては、大衆食堂は頼もしい存在ですよねえ。ご協力よろしく。


#10 2002年9月26日 ボン大塚@居所不明さん メール(2002年9月28日掲載)

大衆食堂の研究の密かな愛読者のひとりでボン(カレー)大塚と申します。著書があるならもしやHPもとグーグル検索で辿りつき楽しませていただきました。大衆食堂といえるのかどうか、学生時代、小倉競馬場入口近くにあったメニューがサバだけという[さば屋]を思い出しております。

52才になりますが、あの味がいまだに忘れられません。看板もメニューもない店で、さばといっても[さば]と[さばの味噌漬]のどちらかをお好み焼きを焼くような鉄板でやいて、山盛の千切りキャベツにのせて醤油をかけただけで、どんぶり飯と一緒に出てくるという不思議な店でした。

もちろん店名もなかったようで、サバか味噌漬かどちらかボソと言えば、あいそもなにもない親父さんが黙って焼いて出すというそんなところで、勝手に[さば屋]と呼んでおりました。しかしいろんな国の物を味わったりもしましたが、この思い出の品以上の物には出会わなかったです。

エンテツのうめき=うーむ、すごいガツンガツンの[さば屋]、こういう店あったら行ってみたい。それにしてもサバの鉄板焼きとは独創的。うーむ


#9 2002年9月10日 おにょ女@東京さん メール(2002年9月16日掲載)

#6の「[食事処 岩崎]をさがしています」に「赤坂のいわさきの本家が日比谷にあるのをご存じですか?」と情報があった。やはり「赤坂のいわさき」を「社食」のように利用していたおにょ女さんからだ。すでに消息を調べていて、わかった内容を伝えてくださったのだが、ここに詳細は報告できない。しかし、[いわさき]は、よほどすばらしい食堂だったのだ。おにょ女さんは、こう述べている。

ぜひ、お母さんのお墓参りに行きたいのです。

#6のNTさんといい、お客をここまで執着させた[いわさき]も、ここまで執着する人たちも、すばらしいじゃないですか。いいねえ〜、こういう関係が「東京砂漠」にだってあるのさ。もっともっと、こんな関係を発見し、築き上げていこうじゃないすか。飲食店とは、せかせか食べ歩き採点だけじゃなく、こんな付き合いをしたいものです。ひきつづき、情報をお待ちしてます。



#8 2002年8月28日 Y女@香川さん メール(2002年8月30日掲載)

「エンテツの発作的お言葉集」の「しゃくな、讃岐うどん」のメールの主、Y女さんは讃岐に旅行かと思ったら転勤していたのだそうだ。知らなかった。んで、下記のようなメールあり。

香川県民の冷凍庫にはかなりの割合で
カトキチの冷凍うどんが入っています
これがまたヘタな店で食べるより
ずーっとおいしいんだからすごいですね
(カトキチは香川の企業です)

そうかそうか、そういうこともあるだろうな。こっちのスーパーにもカトキチの冷凍讃岐うどんが売っているけど、同じものだろうか。しゃくだが、食べてみるか。


#7 2002年7月5日 ハム勝つキック42男@東京さん メール(2002年8月6日掲載)

いつも「ザ・大衆食」を拝読させて頂いている、極めて呑み好き42歳男です、はじめまして。本来、大衆酒場で呑むのを最上としているのですが、西日暮里の[竹屋食堂]、川崎の[丸大ホール]、赤羽[まるます家]なんかに通ううちに、酒場と食堂の境界はなくなってしまったと感じております。普通の惣菜、晩飯のおかず、小学校時代の土曜日の家で食べる昼飯のおかず、で呑む酒の旨さにはまっております。

呑もうが飯喰おうが何でもありの店で、小生のの定番肴といえば、@ポテトサラダ(これは絶対はずせない!ウスターソース必須)、Aハムカツ(ハムフライ)、Bおしたし(ほうれん草なら最良!)で黒ビールとコップ酒を呑み、C揚げ餃子または特製メンチカツでライス、味噌汁、新香で一件落着です。焼き飯なんかあると、ついつい追加。ああ、シアワセ。

おこがましいですが、先輩のHPに登場しない、小生一押しの食堂(含、酒場)をお知らせいたします。

1)丸大ホール:JR川崎駅南口徒歩5分。昼から営業。食堂と酒場の両性具有典型の店。ハムフライあり(ステンレス洋皿にキャベツ千切り、練りからし添え)。酒は大関のみ。いろいろ食べて呑んで、2000円チョイ超。

2)まるます家:JR赤羽東口、一番街徒歩3分。うなぎと鯉こくで朝9時から飲める店。純粋な酒場と一線を画すのは、「うな丼 750円、1000円、1750円」や「ご飯(コシヒカリ)あります 200円」などの品書き。

エンテツ=まるますは、ときどき昼酒を飲みに行ってます。たしか朝9時ぐらいから飲めるはずです。あそこは、いかにも酒を楽しむのが好き、という感じの客ばかりでいいですね。


#6 2002年8月1日 NT@東京さん メール(2002年8月1日掲載)

タイトル:『食事処 岩崎』をさがしております

めし屋が好きなため、時々HP訪問させていただいています。
「東京定食屋ブック」早速手に入れました。
私の親父魂を揺さぶる定食屋さんが何件かでていました。
うーん、店構えからしてうまそうです。

ところで、いきなりお願いで申し訳ありませんが、
ある定食屋さんの行方を捜しているのですが、ご存じでしたら
教えていただけませんでしょうか?

このお店は、赤坂のアメリカ大使館の裏口(?)の向かいにあった
『食事処 いわさき(岩崎)』という店です。
親父さんと、お母さん(亡くなった)、お兄さん2人でやりくりしていました。
学校が休みになると、お兄さんの子供たちが店に手伝いに来て、
注文を取ったり、お茶を出したりしてくれる、家族で和気藹々と
した店でした。

彼らの飯屋としての仕事は、おお、これぞめし屋もプロ、
プロ中のプロだ、と言えるすばらしいものだとおもいます。

お客が来てから、飯を盛る、魚を焼く、みそ汁をつける、昼時の
どんな忙しいときも、絶対にこのようにしていました。
まあ、そのために、店の人どうしてけんかになる、怒号が飛び交う
ということも時々、ありましたが、常連の人たちは、
「これも岩崎の味の内」と、飯をかっこんでいる、そんな店でした。

私の前勤務先の近くにこの岩崎があり、昼、夜と岩崎に入り浸って
おりましたが、職場を移してからはあまりいけなくなって
おりました。

今年の一月に、前勤務先の岩崎常連さんから岩崎が閉店した、
との連絡が入りました。おどろいていってみると、
別の店になっています。

それ以降、インターネットや電話帳で探しているのですが、
どうしても移転先が解りません。もしかしたら廃業して
しまったのかもしれません。しかし、移転しているなら
駆けつけてもう一度岩崎の飯が食いたい、
どんなに遠くても食いに行きたい
そう願っております。

もしエンテツさんやお仲間の方が岩崎について
何か情報をご存じでしたら、
どうか教えていただけないでしょうか?

厚かましいお願いではありますが、
お知恵を貸していただけたら幸いです。
どうか宜しくお願いいたします。


#5 2002年5月27日 S男@新潟さん メール(2002年5月28日掲載)

タイトル:ぶっかけ飯うまかった

今日も1日忙しい一日であった。 帰宅して1杯飲もうかと思ったが兎に角腹が減っている。面倒くさいのは嫌だし『そうだ遠哲氏の言うぶっかけ飯を随分と食っていない』とぶつぶつ言いながら冷や飯に冷たい味噌汁をかけてみた。昨夜の味噌汁は、青菜に塩蔵のあまんだれ(ならたけ)と天かすが入っている贅沢な味噌汁だ。両方とも冷たいのがなんとも上手い。俺は汁椀には凝るたちで、欅の漆塗り汁椀を(自慢するほどの物ではないが)を毎日無造作に使っている。ぶっかけ飯を一気にすすりこみさあー一杯だ。残り少ない久保田に手が届く。明日も頑張るぞー。


#4 2002年5月13日 R男@東京さん メール(2002年5月26日掲載)

タイトル:なんにせよ「大衆」は魅力的かつ正しい

本日は予定が狂いまくり、若干B級グルメに過ごすことで、間を持たせました。
渋谷の[寿亭]という焼き肉屋の、ランチ(ぼくは豚ホルモン・ミックスをチョイス)の飯の盛りが、この世知辛い昨今、感動的なくらいごつくて、大学生の胃袋のときに出会いたかったと思った次第です。

まわりは佐川急便のセールスドライバーの一団を含めた、若くてがっしり体育会系の野郎どもばかり。「負けないぞ」と歯を食いしばってみたところで勝負は見えています。なんとか丼一杯完食でおしまい。サラダ等サイドディッシュも充実で、デザートに(やはりロッテの)アイスクリームまで付きます。これで680円也。味はまぁ、たかが知れていますが・・・

ご飯およびスープはお代わり自由なのでした。それでぼくは一杯きり歯が立たなかったというわけです。

そういうわけで、今晩は軽く一人で飲んでしまいました。場所は巣鴨の[千成]という、由緒正しそうな建物の大衆酒場(ボリュームはあるが、一人だと割高感は拭えない価格設定でもある)。


#3 2001年10月30日 R男@東京さん メール

「ザ大衆食」拝見しました。実に読みごたえ(文字ばかりで?)ありますねぇ。じゃんじゃん、秘めやかで楽しい食の情報をお知らせください。男が一人で外で飯を喰らう、その侘びしさを満たし、羞じらいを殺ぐ、理想の飯屋をつねに私も追い求めております。女はおそらく大戸屋で満足なのでしょうが、男はあれだとつまらなくて、腹もくちくなりません。今日も表で、昼飯をそのようにつまらぬ吟味の末に食いはぐれました。


#2 2001年8月30日 K男@札幌さん 紙郵便

札幌市内の西18丁目という場所に、絵に描いたような大衆食堂を発見しました。その名を[ゆりや食堂]。入る勇気はまだありませんが、そのうち蛮勇をふるって、内部のメニュー、集まる人々についてご報告したいと思います。


#1 2001年7月30日 PB@東京さん Eメール

大衆食の会、今度こそ参加したいです。食堂研究の熱は冷めてはいませんから、ご安心を。
東府中に食堂が二軒並んでます。まだ入ってないのですが、二軒ともかなり混んでました。あそこは旧関東村、いわゆる駐留アメリカ軍の基地があったところで、その後自衛隊が入っていたのでその名残かと・・・

(2001年3月25日掲載分)

東京は恵比寿の、「自称、大衆食の会、日和見地下潜伏派、恵比寿支部長」ミスター・キッズ氏から、「コジャレる恵比寿でイカガワシく輝く<こづち>」を見てメールあり、かくのごとし。

今回の記事で、恵比寿周辺が紹介されていたので、
自称、大衆食の会、日和見地下潜伏派、恵比寿支部長としては、
近辺をレポートしたく、メールを差し上げる次第です。

えびすストアの雰囲気は、やっぱりいいですね。
店の名前は忘れましたが、中の味噌屋の隣の総菜屋の弁当がうまいです。
とりどりの総菜が贅沢にパックにつまって、450円(大)350円(中)
ライスは別で、確か200円(大)、150円(中)、
100円(小)だったと思います。
煮魚の味付けなど抜群で、いつ食べても満足です。
おやじさんにみそ汁を頼むと、おかみさんが店の奥のなべから、
よそってくれます(確か50円)。

さて、恵比寿はラーメン激戦区などといわれて、
新しい店が次々でき、そのたびにあちこちで行列が
見られますが、まあどれも1、2度食べたらもう十分という店
ばかり。そんななかで、けしてマスコミには登場しない
何度食べても食べ飽きない名店があります。
「北越軒」という新潟出身のおじさんとおばさんがやっている
昔ながらの中華料理屋ですが、壊れそうなくらい古くて狭い。
でもラーメン(600円)、ヤサイソバ(700円)は、絶品です。
おじさんはやさしい感じ、おばちゃんは、とっつきにくい
(お水とおしぼりを無言でドカンとテーブルに置く)
けれど、つきあってみると、情にもろくて
かわいい感じ。
あるときなど、
俺「おばちゃん、お釣り50円多いよ」
おあばちゃん「いいから、おまけだよ。ね、とっといて」
……って、
もう、こんな会話、今の東京じゃ味わえないっすよ。

てなわけで、恵比寿に来てラーメンが食べたくなったら、
ぜひ寄ってみてください。
えびすストアの魚屋と反対側の通りを目黒方面へ
すぐ、左のルノアールの先の道を入り、一本目を右の1軒目。
駅から1分です。

今回はこんなところで……。

大衆食の会のさらなる発展をお祈りしております。

では。



東京は大塚の、ミスター趣味人氏からメールあり。「コジャレる恵比寿でイカガワシく輝く<こづち>」について、かくのごとし。

恵比寿の『こづち』は、僕にはご飯が軟らかすぎる!どうも柔らかいご飯は苦手です。でもあの「何でも来い!」ってな豊富メニューは嬉しいです。


群馬は前橋の、ミズ・しる子氏から紙郵便あり。『ぶっかけめしの悦楽』を読んで、かくのごとし。

私の一番は茄子のみそ汁と里芋の芋ガラの粕汁をごはんかけにするものです。又は冷や飯に塩をふり冷い井戸水(水道水は不可)をかける。温い飯に冷い豆腐のせ、醤油かけグシャクシャにして食べる。もうひとつはソバつゆの中に飯入れ、葱・七味かける。以上です。


アメリカはコロラド州の、ミスター・カウボーイ氏から紙郵便あり。『ぶっかけめしの悦楽』を読んで、かくのごとし。

こりゃ長い、要約してしまうより、抜粋といこう。

「私は遠藤さんと同じ1943年生まれですが、人生のほとんどはアメリカのWILD WESTで過ごし、本業はカウボーイという珍しい仕事をしています。たまに、くだらない本を日本へオーダーしては気晴らしをしたり、日本語を忘れない様にしたりしてます」「本の表紙からしてスゴイくだらなさとか、クサい感じがする変な本だなあと実感しました」

「私は馬の世話で明け暮れ、ロディオの試合に出る準備で毎日忙しく、本を読む時間というのは、めしを食いながらの時だけですから、かなり時間をかけて読むことになります。ヤッパリ思った通り、くだらないことが、ずいぶん書いてあるなあと思いながらめしのオカズみたいにして毎日コツコツ読み、(やはりアメリカに永住している)弟に電話して、オイ、くだらない本を読んでるぞ、超くだらなくて、読み終えたら送ってやるよと云ってやりました。と、この本を読みながら気がつくと、ナンと、みそ汁をめしにかけて食べる自分に、あれっ、いつの間にか、このくだらない本にすっかり影響受けちゃっているじゃないかと思いましたヨ。」

大衆食者の食卓