80歳御老人の「五十沢ラーメン」に
ガツンと感動!


(2002年5月19日訪問、年5月29日記)

03年6月5日、クボシュンさんからメールがあって、このラーメン屋さんは廃業されたそうです。お年ですからね、ご苦労さまでした。ありがとね、ありがとね。でも、また食べたかったなあ。

看板も暖簾もないラーメン屋


はあ、おらまあ、たまげたてえ。ここがラーメン屋なんだってえ。昔から、そうだのえ、昭和37年ごろから、こんな調子でのお。看板も暖簾もねえすけ、何年間もこの前を通っていても、ここがラーメン屋だなんて知んねえひとも、いくらでもいるこっつぉ。

ってわけで、この看板も暖簾もない建物の左側の戸を開けるとラーメン屋です。名前がないので、おれが勝手に土地の名をとって「五十沢ラーメン」とつけました。

テーブル3個だけの店内ドカンドカン満足の450円ラーメン ただの玄関のような6畳ほどの土間に、昔のテーブル3個だけ。メニューも何もない。だいたい知らないひとが1人で入って来ることはない店だ。

チャーシューもナルトも、大雑把に切った、厚さ5ミリほど。麺は中太丸麺で固いのだが、この日は茹で加減がチト足りなかったのか粉っぽさが残った。スープは、もちろん濃い醤油色。

だが、そんなにショッパくなく、あとでのどが渇くようなことはなかった。とにかく、ガツンガツンとくるラーメン。450円で満腹、満足。
栗田正義さん御夫妻
ラーメンをつくるのは、写真左端、粟田正義さん。1922年(大正11)生まれ、80歳だよお。じつに、愉しそうに、真剣につくっていました。真ん中は奥さん。右端は、おれじゃないよ、ここに案内してくれた同級生のクボシュンさんです。

ここで、この調子で、40年。うーむ、すごい。しかし、いいお顔。こういうお顔のかたの店で食べていると、ほんわか幸せな気分になります。無形大衆文化財ですね。

ここは新潟県六日町。上越線・ほくほく線の六日町駅からバスだと数十分の田んぼと畑の多い五十沢地区です。どうか、さらに長生きしてラーメンをつくり続けてほしい。これぞ、ラーメンの歴史ですよ。


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