消滅録番外編

南千住駅前  大衆酒場<大利根>の消滅

南千住大利根

(2002年4月28日撮影、2002年6月6日版 11月2日追記)

去年の、いつごろだっただろうか、大衆酒場<大利根>のオヤジが逮捕されたという話を聞いた。聞きながら、オヤジの血色のよい顔と恰幅のよい姿を思い出した。いつも彼は、入ったすぐ右側の風呂屋の番台のような一段と高いつくりのところに座っていた。そこで、広い店内を睥睨し、従業員の女性が客の注文と引き換えに客から受け取ってくる金を「徴収」していた。

たぶん一昨年の9月ごろに行ったのが最後だったと思う。彼は、いつものように、そこでそのように仕事をしていた。

東京都荒川区、地下鉄日比谷線南千住駅南口を出たところ正面にあって、安くて安心の酒場として賑わっていた大利根は、いまのところ再開は困難のようである。

従業員の多くは中国人女性だった。彼女たちは客が入口に立つやいなや客の腕をとり、いかにも大衆酒場風の大きな頑丈な木の長机のような、「自分のテーブル」に連れて行く。そして、客の注文を伝票に書き込み金を受け取り、オヤジのところへ持っていく。

直接の容疑は、留学ビザ入国者の「不法就労」である。2回目か3回目かの逮捕で、再起はむずかしいらしい。売買春の噂もあった。真偽のほどは、わからない。しかし、理由はなんにせよ、このオヤジを逮捕して、法律は守られるのかも知れないが、なにが解決されるというのだろう。この場末の酒場の一軒をつぶして、なんになろう。と、思ったりする。

ここに寄り添って生活していた少なくない従業員、ここを愛していた多くの客は、ちりぢりにされた。たぶん、ほとんどはどこからかここに流れ着いた、世間から期待されることの少ない人たちだろうが。逆に言えば、ここぐらいが「頼みのつな」で、おれの知り合いにも、ここに来るのを楽しみに生きていた人たちがいる。

孤独な男たちが、安い酒と中国人女性とのちょっとしたふれあいと会話を楽しむ。そして心ばかりのチップを渡す。それが彼女たちには、とても大切なのだ。だから争って自分のテーブルに客を連れていく。おれの知人の一人は、自分だけでも食べるのがやっとなのに、よく「貢いで」いた。

ここは、江戸時代の小塚原刑場の上である。橋本左内や吉田松陰は、ここで処刑され、この並び10メートルと離れてない回向院に弔われている。近年では、山谷の北の入口。昔から因縁の多い土地だ。

(2002年6月9日追記)

6月8日。ついでがあって、南千住駅前に立ったら、なんと、この大利根の酒場のシャッターが開き、暖簾が下がり営業しているではないか。

が、しかし、建物はそのままだが、入口についた小さな新しい看板は<居酒屋 天竜>だし、ちょっと覗き見したところでは、店内は大改装してコジャレた居酒屋風のつくりになっていた。

(2002年11月2日追記)

ぐうぜん、とある酒場で、大利根の元従業員中国人女性と、彼女を追いかけてその酒場へ通うようになった大利根の元常連と会い、思いで話がはずんだ。彼は、山谷でホームレスをやっていたがドヤのオヤジに拾われて従業員になった運のイイ男だ。

ここには書けないことが多い。だが、それを書けないのは、その内容に問題があるというより、あまりにも世間一般の偏見が強いので用心しなくてはならないからだ。いまにはじまったことではないが、たいしたリッチでも中流でもない「コギレイ好き」市民のみなさまの、「コキタナイ」大衆酒場や大衆食堂の人たちに対する偏見は、なかなかすごいものがある。

とにかく、大利根を懐かしがり、なくなったのを残念がっているひとが多い。大利根があるおかげで助かった中国人女性も少なくないようだ。

ある意味では、大利根のオヤジは、世間一般の「まともな」経営者がやれない、しかも誰にも迷惑はかけないで、よろこぶひとが多いことを、身体を張ってやっていた、ともいえる。根っこに欲があるにしても、欲なんかみんなあるのだから、欲だけで非難はできない。

「下層」の人間に同情するぐらいなら、大利根のオヤジのようにやったほうがよいし、やらせておけばいいじゃないか、とも思った。この不備な社会で、その不備の悪さのわりには、自分だけ「正義」のような顔が多すぎる。片方からみるとよくなくても、別の片方からみるとよいということなんか、いくらでもあるのだ。

などということを、いろいろしみじみ考えさせられた。


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