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関東うどんそば逆襲協会


宣言

「さぬきうどん」や「きしめん」
「信州信濃のそば」や「江戸のそば」だけが、うどんそばではない。
うどんそばは関東大地の文化である。
このことを、もっと関東人自身が自覚し誇りを持って
全世界にむかって主張すべきである。
そして、とくに、関東のうどんそばのツユは
色が濃くて「下品」だなんていうやつらをのさばらせてはいけない。
こういう偏見は食文化の貧困を招くだけでなく人類の歴史をゆがめることになる。
がははは、撃破しよう。
立ち上がれ関東人。真にうどんそばを愛する全世界の人びと。
関東うどんそば文化を再発見し爆発させよう。

埼玉県小鹿野町は、いいところだ。
祭りもいい。
豊かなうどんそば文化の伝統が
息づいている。
写真は小鹿野町藤倉で。
自家製手打ちうどんそば。
左手前の山のクルミをすって作った
冷汁で食べる。うめえうめえ。
小鹿野うどんそば 小鹿野のうどんそば生活
小鹿野は「おがの」と読みます

関東うどんそば紀行
05年2月11日更新

堂々、埼玉うどんの主張
関東コナモン連 03年9月7日更新

情報によれば……

■鴻巣産小麦粉の手打ちうどんが食べられる。食べたい!(2004年6月11日記)
うどんというとバカの一つ覚えのように、讃岐うどんの喉ごしツルツルがよいみたいに言われているが、それじゃ、小麦粉の味は、どうなるんじゃ! あのシコシコかみしめたときの小麦粉の味わいこそ、うどんの味じゃないのか。埼玉のうどんは小麦粉がよくなきゃ不可能な、シコシコ麺がよいね。

だから、ここ「てらや」へ行って食べてみたいのだ。
http://www.pref.saitama.jp/A06/BX06/suishin/teraya/teraya.htm

■埼玉県長瀞町(2003年6月12日記)

「大衆食者の食卓」に紹介しましたが、下記メールをいただきました。感謝。みなさんも是非行ってみてください。また、このような情報をお待ちしています。

「関東うどんそば逆襲協会」拝見させて頂きました。さて一軒埼玉のそば情報を。長瀞町の、秩父鉄道長瀞駅から岩畳の方へ向い、踏み切り端にあるお店です。お品書きには、もり・ざる・とろろの三品だけ。いわゆる「タネモノ」はありません。これは通年してだそうです。長瀞には「長生観」といううどんの大きな店もありますが、初めてここのおそばを食べたときは「さっき長生観でうどん食べなきゃよかった〜」思いました。相当にうまいです。お店の名前は…、忘れちゃった。まー行けばわかるでしょう。探すのも「亦一楽」かな…。

■埼玉県入間市(2002年2月9日記)

Web「埼玉県のふるさとの味」のところに、こんな記述があった。

さて、入間市の「郷土料理」といえば、「うちいれ」です。
●「うちいれ」とは、ほうとうに似た煮込みうどんです。家庭で打っためんを短く幅広に切って季節の野菜などを入れ、各家庭で工夫をこらして作られています。

このうちいれは、下の熟女のものとおなじではないかと思い、熟女に聞いたところ、やはりそうであった。


■埼玉県秩父市(2001年12月17日記)

酒とゴルフが趣味の埼玉県寄居町出身の某熟女は、秩父神社の裏にある<武蔵屋>という蕎麦屋がお気に入り。「ゴルフの帰りに、たまに立ち寄ります。おからと、漬け物やこんにゃくを煮いたのが、美味しい。秩父錦という、日本酒も美味」。この熟女は、あきらかに、蕎麦より酒なのだ。彼女はかあちゃんがつくる手打ちの煮込みうどんを食べて大きくなって、なぜか酒好きになりました。「母がうどんを打ってました。ほうとうのような感じの、巾広で平たいうどんでした。油揚げやネギ、山キノコなどを大きな鍋で煮込み、しょうゆ味です。東京で食べるような、お上品な物ではありませんでした」。いやいや立派な埼玉の母のうどん文化です。

■埼玉県小鹿野町

小鹿野町岩殿沢札所31番観音院の門前の<観音茶屋>は有名。「大昔の雰囲気に浸れる」というひともいる。「鬼ころり」が名物で人気とか。

■埼玉県熊谷周辺

某住宅メーカーの熊谷営業所の営業職のあいだでは、なんといっても<田舎っぺ>のうどんが評判とのこと。この地域では、かなり有名なうどん屋である。

■埼玉の干うどん

調べることがあって、『昭和・平成家庭史年表』(河出書房新社)を見ていたら、昭和16年(1941年)のところに、こんな記述があった。「埼玉県、県内の食糧確保のため干しうどんの県外移出を禁止。同県の干しうどんの製造量は年間250万箱、6割が県外へ移出されていた」。埼玉県では干しうどんが重要な食糧であり産業だったのだ。
現在の生産量は知らないが、2、3年前に清流めんという乾麺、うどんをもらって食べたがすごくうまかった。販売会社は大宮市、現在のさいたま市錦町のサイサン商事株式会社だった。
(2001年12月24日記)