消滅録7 2002年11月27日版

ここで半世紀の生き残り<おかめ><柳家><グラミ>の閉店。2002年11月27日をもって、上野駅地下食堂街の歴史は終った。

上野駅地下食堂街の消滅


上野駅地下食堂街は何軒あったのでしょう。
50軒ぐらいだったでしょうか。
きょう11月27日は<グラミ>の閉店です。これでオシマイです。

さいごの生き残り<おかめ><柳家><グラミ>の3軒は、
大家である東日本キヨスク、もちろんその親会社はJRなのだが、
彼らに退去を命じられ、
2002年11月中にそれぞれ閉店、半世紀をこす歴史の幕をひいた。

なるほど世のうつりかわりは常のことだから食堂にも盛衰はつきまとう。それはよしとしよう。
必要がなくなったものは去る。
それは当然のことかもしれない。
だが、しかし、今回の立ち退きは、はたしてそういうものだったのか。

これまでいくつかの大衆食堂の閉店をみてきたが、
これほど陰湿な後味の悪い追いたて閉店は初めてである。

こんな吹けば飛ぶような個人経営相手の立ち退き裁判沙汰にしても、
ゾウがアリに襲いかかるようなものだったが、
最悪の一例は、地下食堂の客が利用していた便所を一方的に閉鎖したことをあげれば、こと足りる。
なんというやり口だろうか。
「ひどいですねえ」という声をたくさん聞いた。
「ひどいですねえ」そう言いながら、<グラミ>の向かいの<CASA>の便所を借りた。
そして怒りをとおりこし、華やかな装いの底にある、ひとを人とも思わぬ深い頽廃を感じた。

この食堂街に対する軽蔑や偏見もなくはなく、
まるでホームレスを虫けらのごとく「処理」するように、
跡形もなく消したいというひともいたのであるが。

はたして何が消え何が残ったのだろうか。

ま、とにかく、上野駅地下食堂街のみなさま、長い間ご苦労さまでした。

これまでこのサイトにあった上野駅地下食堂街に関するリンクをここにまとめます。
以前に立ち寄ることが多かった<さくら>など記録のない食堂がたくさんあるのですが。
そういえば、東海林さだおさんも「ショージ君シリーズ」で、
この地下食堂街を何度か書いてました。

それぞれの記憶が詰まった街でした。
箱は汚くてもあたたかい血がながれている食堂でした。

もし人びとに血のかよう街や店が必要なら、この広い空の下のどこかに、
たとえ箱は汚くても、あたたかい血がながれる空間が続くでしょう。



ここで出会い語り合いさらに人生は豊になった。
一緒に飲み歩き旅をし結婚を祝いあい子供の誕生を喜びあい……しあわせものたちよ。
02年11月16日、グラミのお別れパーティー。


上野駅地下街を今のまま残そう会

グラミ

おかめの情景

毎日新聞記事

こんなこともありました

投稿などから


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