大衆食者の食卓(投稿)から

#18 2002年11月20日 はら男@茨城さん メール(2002年11月21日掲載)

HPを見させていただきました。
昨日、上野駅の地下の「おかめ」に行ったら閉店の張り紙がしてありました。

大変ショックでした。
東京からまた名店が消えてしまった。
隣の「柳屋」も今週いっぱいだそうです。
このあたりも横文字だらけのファッションやさんになるんでしょう。
文化財クラスの食堂をつぶしてまでキレイにすることに寂しさを感じました。


エンテツ=いよいよ、あと一週間、27日で全店が消えます。そういえば、あの地下の食堂に毎日3時ごろエサを食べにくる鳩がいました。グラミのひとは「たく」と呼んでエサを与えていましたが、ちょっと片方の足が悪く、いつも一羽で行動していました。「ホームレスの鳩」という感じでしたが……どうなるのかな。


#15 2002年10月30日 モト男@東京さん メール(2002年11月7日掲載)

はじめまして。私は元々が鉄道マニアで上野駅を愛し、さらには上野駅地下食堂街をこよなく愛してまいりました。昔に比べればだいぶ寂しくはなりましたが、「八甲田」「はくつる」「あけぼの」等、北行きの夜汽車で旅発つ時には必ずグラミでガツンとメシを喰い、ついでにそこそこ酔っ払ったものです。

先日久しぶりにグラミに行きましたが、11月23日で閉店(エンテツ注=閉店は27日です)という話を聞かされて愕然と致しました。

しかし今の上野駅工事、一体何を考えてるんでしょうか。JRと土建業者は洗練された駅づくりに腐心してるのでしょうが、歴史と伝統と蓄積のない作り物文化などいくらカネをかけてもすぐ飽きられるに決まってます。上野駅は東京駅にはなりきれないのです。

エンテツ=上野駅地下食堂街には、個人経営、家族労働的サービスでなければできない歴史と文化の蓄積があったし、それをうまく発展させる道があったと思いますが。どうもJRは、そういうものについては関心がないようですねえ。どこも同じ大企業的サービスの駅にしようというのでしょうか。ま、企業をテナントに入れておけば地主のJRは安泰ということでしょうし、利用者がつくりあげてきた駅という公共の歴史と文化なんかどうでもいいのでしょう。あいかわらずの親方大将官僚体質で横並びの駅づくり、それぞれの駅地域独自の競争力を高める意識なんかないようにみえますねえ。

それと、ただ「女性がよろこぶような」キレイな駅になればいい、という「市民感覚」も問題だと思いますが。いまや、ヘンなコジャレた女たちが、街の個性を奪う「コジャレ・ファッシズムの親衛隊」のようにも思えますなあ。街の歴史と文化には無関心で、ただ見た目がキレイになればいいというバカ女たちには、よく考えて欲しいと思います。

でも、アメ横ガード下のコキタナイ店で飲む若い女たちも増えていまして、悲観はしていません。人びとの愛着を引き継ぎ育てるような街づくりをしていこうじゃないですか。



エンテツのお言葉から

14、個人家族経営だからできること

(2002年11月2日)

おおくの大衆食堂にいえることだが、残っていた上野駅地下食堂には、個人家族経営だからこそできる、よい商売と交流があった。この世は、大企業経営だけが全てじゃないのである。そもそも、ここの客は、大企業の社員の方も少なくなかった。これからも、スロー、スモール、ローカルの文化を大事にしていこうじゃないですか。


13、上野駅地下食堂街始末<

(2002年10月26日)

今日(10月26日)は、このようなメールを出しまくった。んで、ここをのぞいた方にも読んで欲しいと発作に思ったので、ここに掲載します。


みなさま

「ザ大衆食」ホームページでご縁のあったみなさま
上野地下食堂街の存続についてご理解とご協力をくださったみなさま
大衆食の会のみなさま
友人知人のみなさま

残念なお知らせです。
すでにホームページ「上野地下街を今のまま残そう会」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/nokosoukai.htm
でお知らせしたとおり、地下食堂の立ち退きを裁判で片付けようという「大家」東日本キヨスクに対して、存続の嘆願署名を集めだしたばかりでしたが、当事者のみなさまのもろもろの事情があって、残っていた3軒とも11月いっぱいでの明け渡しが決まりました。

おかめさんと柳家さんは、11月の15日から17日ごろ。
グラミさんは11月27日。
をもって閉店退去となります。

もう多くを語ってもいたしかたないと思いますが、ひとつだけお聞きください。
この食堂街は、わたしにとっても思いで深いところで、よく寄っていた食堂もあったし、おかめはフジテレビの番組制作で大変お世話になりご迷惑もかけた食堂でした。

が、じつは、わたしが、ここが立ち退きの裁判になっていることを知ったのは、ある親しくしているフランス人に聞いてだったのです。そのとき彼はこういう趣旨のことを、わたしに言いました。

「契約など法的な関係はいろいろあったにしても、これは、ここはもう街並みの文化なのだ、それだけで残す理由がある」

わたしは、こういうことを、日本に住んでわずか十年のガイコクジンに言われたというのが、非常に残念でたまりません。

あの通路をどれだけのひとが利用していたかは知りませんが、どれぐらいの方が、あのコキタナイ食堂街を「残さなくてはならない文化」としてみていたのでしょう。また、文化を法律から独立したものとして、それはそれの価値として継承しなくてはならないものだということを自覚しているひとたちが、わが「文化国家日本」にどれだけいるでしょうか。

これは、なによりもあの通路の「大家」でかつ日本を代表する大企業である東日本キオスクとJRに、ぶっつけなくてはならない疑問でしょうが、どうもそれら企業とわたしたちの精神状態は、似たり寄ったりだと思わざるをえない。法律にヨワイ、文化のなんたるか、わかったような顔してわかっていない。わたしが、コシャクなフラスン人に言われて思ったのは、このことでした。それから、わたしなりにできることはしてきたつもりですが、なんとも力およばず、このような結果になってしまいました。

いろいろご理解ご協力くださったかたに、あらためてお礼申し上げます。

上野駅地下食堂街の消滅