江戸っ子食彩記

不肖ワタクシ遠藤哲夫、東京商工会議所が発行する「月刊ツインアーチ」の03年7月号から04年4月号まで、「江戸っ子食彩記」なるコラムを連載しました。ここに順次転載しますので、おたのしみください。全10回。毎回、末尾に簡単なお店の紹介がありますが、これは編集部のほうで選び紹介したものです。

(05年5月8日掲載開始、6月9日版)




1、天ぷら(03年7月号) 2、うなぎ(03年8月号) 3、白玉(03年9月号)

5回目以後は、しばらくお待ちください。


4、豆腐(03年10月号)


  恐れずにいえば、日本食を特徴づけているのは、穀物のめしと大豆製品の豆腐であるといえるのではないだろうか。味噌汁も欠かせないが、味噌そのものは調味料であって料理素材ではない、また納豆もあるが、嗜好に地域差がありすぎる。魚食は地域差にくわえ身分差が大きかった。だが豆腐は、地域差も身分差も超えて、高級料理から庶民の日常の食卓まで広く普及し定着した。
  そのような位置を豆腐が占めたのは江戸中期以後と想定される。日本で最初の本格的料理書といわれる『料理物語』は江戸前期一六四三(寛永二〇)年のものだが、すでに豆腐の活躍が見られる。一七八二(天明二)年には大ベストセラー『豆腐百珍』があるが、翌年には続編が刊行され、ついには鯛や大根の百珍など数々の「百珍もの」を生んだ。
  『豆腐百珍』は題名のとおり百種の豆腐料理をあげている。しかし著者酔狂道人何必醇は読み方も定まらぬナゾの人物であり、中身もまさに酔狂のもので料理としてはどうかと思うものも少なくない。とはいえ、そのような本ができるほど豆腐はいろいろに普及していた。いま「豆腐ハンバーグ」なるものがあるが、これは豆腐をどのようにも形を変えうる融通無碍な食材として利用したもので、豆腐百珍にある「ぎせい豆腐」つまり「擬製豆腐」の精神だろう。また「もどき料理」であるがんもどきなども定着しているではないか。じつに豆腐はおもしろい。
  とにもかくにも豆腐は安かった。であるから落語にも庶民の日常の食として登場する。「酢豆腐」では知ったかぶりの若旦那に台所の釜のなかですえた豆腐をくわせ、「甲府イ」では、三度三度の豆腐料理に文句をいう長屋暮らしの亭主にむかって女房が「お前さんの働きなら、お豆腐で十分だよ」という。穀物のめしと大豆製品の豆腐は、汗水流して働く江戸の庶民の貴重なタンパク源として定着することになった。豆腐は江戸から現在に続く庶民の宝物である。

●笹乃雪  「江戸に初めて絹ごし豆腐をもたらした店」として元禄4(1691)年に創業。にがりのみを使用した老舗の味は格別。尚ここでは豆腐を「豆富」という。
台東区根岸2-15-10。電話03(3873)1145。


ザ大衆食トップ地位向上委員会