江戸っ子食彩記 3
(「月刊ツインアーチ」03年9月号、東京商工会議所

白玉

  月見に団子という季節といわれても、どうもピンとこない。むかしから十五夜の月は変わらないのだろうが、コンクリートジャングルの残暑は長く厳しく仲秋の候といえども秋の風情は薄い。せめて冷たい自玉団子でも食べながら月見といきましょうか、どちらも江戸期にひろまったものだもの。それに江戸の月見は十五夜より前にもあって、ま、要するに白玉つき残暑の夜遊びとでもいおうか。
  柴田流星(一八七九−一九一三)の著作である『残されたる江戸』、その中の「心太と白玉」で、心太つまりトコロテンや白玉を見たら前を素通りできないのが江戸っ子なんだと描写されたほど、これは江戸の夏の風物詩だった。
  当然、幕末の江戸の風俗を網羅した『守貞漫稿』にも白玉売りは登場する。それも店売りではなく江戸の街の隅々まで入り込む担ぎ売りのたぐいとしてである。「冷水(ひやみず)売り」ともいい、白玉を水桶に浮かべ、一椀四文で砂糖をかけて売った。売り声は「ひゃっこい、ひゃっこい」。砂糖の量により八文にも、十二文にもなる。背後には江戸中期以後の砂糖の普及があった。
  白玉は寒晒粉(かんざらしこ)でつくった。寒晒粉はモチ米の粉であり、寒い冬に精製したのでそう呼ばれたが、いまでは白玉粉という。時代と地方によっては上新粉というウルチ米の粉を混ぜる。やわらかく練って団子状にし熱湯に投げ込み、浮いてきたらすくい取って冷たい水に放つ。真っ白な艶のある団子ができる。砂糖をかけるもよし、ぜんざいでもよし。
  江戸時代の白玉の形状はわからないが、近年はヘモグロビン状、まん丸を指ではさんで押してへこみをつくる。そのヘソのようなエクボのようなへこみに冷水がとどこおり涼味が増すように思える。
  井戸水に浮かべ椀にとって砂糖をかけて食べる白玉は、昭和三十年代ごろまでは、江戸の風情そのままのおやつでありおふくろの味でもあった。冷えた白玉と砂糖水が喉をツルリと通り抜けるときの食感は江戸町人も現代人も同じだろう。「ひゃっこい、ひゃっこい。」

●紀の善  甘味処としての創業は昭和23年。神楽坂にあって、20代30代のOLから家族連れまでで賑わう人気店。新宿区神楽坂1-12。電話03(3269)2920。


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