てんしょう
(天将)




北区上十条2−24−12
JR埼京線十条駅前十条銀座

ビーフステーキがある大衆食堂





てんしょうは、2010年6月発行の『みんなの大衆めし』(小学館)に掲載された。
ブログ版2010/02/25「北区十条の「てんしょう」で、「わははめし」書籍化すべての撮影が終わる。」…クリック地獄


『みんなの大衆めし』…クリック地獄


(06年5月6日掲載)

北区JR十条駅前といえば、斎藤酒場が突出して有名だが、斎藤酒場は突然変異的に出現したわけではなく、やはり十条という土地柄があってこそのようだ。ということを、このてんしょうに入って、シミジミ感じた。

自分たちが大切だと思うことを、ごくアタリマエのように大切にし続ける気性というのかな……。「庶民的な」といわれる、生業店が軒を連ねる北東京有数の長いアーケード街。都心に近いわりには、トレンドを追いかける大規模再開発と無縁だったこともよかったのかもしれない。

気持ちよく食事ができる。二度しか入ったことがないが、顔見知りの地元民がほとんどであるようだった。気性のよい娘さんが客を相手に冗談をとばし、地元民や競艇ファンがくつろぐところ、といった印象だ。

一度は4時過ぎだったと思うが、小上がりの二台のテーブルの一つは、おれと同じぐらい60歳過ぎのオヤジと奥さんがイッパイやっていた。奥さんが、マグロを注文しながら、「ここのマグロはおいしいからね」というと、フロアを仕切っている娘さんが、厨房に注文を通すときに「マグロのおいしいところ一丁」と言った。もう一台のテーブルは、50歳前後の男2人が、やはりイッパイやっていて、一人が酒の追加と一緒に味噌汁を頼んだ、すると連れが「こっちも」と言った。テーブルの上には、すでに味噌汁の椀が一つ空いていた。娘さんは、厨房にむかって、「はい、おいしい味噌汁を二丁」と言った。客席から笑いがおきた。

客席は、その小上がりのほかは、イス席で、真ん中に4人がけが二台、小上がりと反対の壁際に6人がけが二台。だったと思う。クルマ椅子のジイサンが、一人でクルマ椅子のまま、イッパイ飲み食事をして出て行った。80歳ぐらいの老人夫婦、夫は煙草をスパスパ吸いながら銚子を二本あけ真っ赤な顔で食事をし、ヨロヨロ杖をつき妻に支えられながら出て行った。

ネクタイ締めた中年の男が入ってきて、すでにいた男に挨拶し、ボートの話をはじめた。店内の壁には、戸田競艇場のカレンダーが下がっている。

正面上の壁に、メニュー書きがある。その最初の二つ、ポークソテー700円、ビーフステーキ700円。ポークソテーは、めずらしくないが、いまでもビーフステーキつまりビフテキがあるのは、めずらしい。これこそ、『大衆食堂の研究』にも書いたが、かつて1960年前後、大衆食堂がハイカラな存在だった名残りといえる。笹塚の常盤食堂では、ビーフステーキの上にガムテープが貼ってあったが(参照…クリック地獄、てんしょうは現役である。誇らしげである。やるなあ、と思った。

しかし、ビーフステーキを注文する決心はつかない。いつか食べてみたいと思うのだが。

かつてのハイカラな大衆食堂の勢いが、あのころのまま続いているかのような、ビーフステーキであり、店のたたずまいだ。正面の写真「大衆食堂」の文字は、当時の書体であり、そして彫ったのか?浮き彫りというのかな? そういう手の込んだものだ。時流にイロケを出さず、自分たちが大切だと思うことを、ごくアタリマエのように大切にし続けてきた誇りのようなものが、うかがえるのではないだろうか。

中にもショーケースがあるあたり、これまた昔のままだ。めし150円、味噌汁50円。めし半は、茶碗一杯で120円。ビール大が550円だ。サラダといえば自動的にポテトサラダ、たっぷりあって300円だったかな、斎藤酒場に負けないポテトサラダだ。

天将のページクリック地獄を見ると、昭和22年(1947)開店。


十条駅前十条銀座入口。駅前に高いビルがないから、ますます誇り高い庶民の町という感じ。

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