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貧乏食通研究所  

食育基本法と食育問題のおべんきょう
食育ナンダロアヤシゲ


個別の政策で解決を図るべきことがたくさんある。消費者をダラク者あつかいして、食育でカタをつけようなんて、スジ違いではないか。「食育」では安全性や自給率の解決にならない。「食育」をまっとうにやるつもりなら、生産者の独善をやめ、消費者の生存の権利として位置づけ深めるべきである。


現代用語の基礎知識2007「さまざまな食育」

(09年11月8日掲載)

『現代用語の基礎知識2007』の綴込み付録「生活スタイル事典」に「さまざまな食育」というタイトルで食育関係の用語解説を書いた。その発売は、06年の11月2日だった。来年2010年は、食育基本法の施行から5年目、基本法にもとづいて決まった基本計画の、さまざまな進捗目標の達成年度なのだ。さて、どうなることやら。

いまでは基本法に反対した民主党と社民党は政権党になり、成立のために賛成した自民党と公明党それに共産党は野党。法案の最初のころは、全会一致で成立の見通しだった。ところが、郵政民営化をめぐる対立構造が、そのまま食育基本法にスライドし、民主と社民は反対にまわるという、奇妙な政治現象で決まった。

おれは、下の「「食育ナンダロアヤシゲ」について」に書いたように、最初から反対だった。「しかし、完全に孤立している少数派。「派」にもならない「一個人」というアリサマ」だった。

ともあれ、ここに『現代用語の基礎知識2007』に書いた「さまざまな食育」を掲載する。…クリック地獄

関連ブログ版「ザ大衆食つまみぐい」……『現代用語の基礎知識2007』は11月2日発売


「食育ナンダロアヤシゲ」について

(05年3月16日版)

朝日新聞社発行の本のPR誌に『一冊の本』がある。ほとんど大衆とは関わりなさそうな内容のものだが、昨年はじめに、ちょいとしたアヤマチがあったのだろう、おれに執筆のお鉢が回ってきた。Point of view というコーナーで、一点に絞った話なら好きなことを書いてよいということだった。3月号に掲載なので、当時、国会通過目前で話題になっていた「食育基本法」について書いた。これは反対する党がなく全会一致で成立の見通しだったが、ほかの法案審議の都合で継続審議になった。そしていま、また成立の動きがある。

おれは、「食育基本法」には反対だ。しかし、完全に孤立している少数派。「派」にもならない「一個人」というアリサマ。

こういう法案では、とてもマットウな「食育」など成り立たないし、ましてや自給率の改善など望めないだろう。そもそも自給率の低下は、教育が原因ではないのだ。グルメで盛り上がっているだけじゃなく、このような法案についてどう考えるのか、グルメのリーダーたちに問いただしたいものだ。こういう法案に明快な見解も持たずに、食の専門家だのグルメだのなんて、チャンチャラおかしい。それとも、この法案が成立すれば、ビジネスチャンスが拡大するかもと、歓迎なのだろうか。

とにかく、いままた成立の動きがあるから、これを掲載する。どうせ、グルメのしゃんしゃんしゃんのバカ騒ぎと同じように、法案は反対ナシで成立するのだろうが。「食育」は、ないよりあるほうがマシだぐらいの感覚で、こういう法案が決まっていくようでは、とても食や自給率の改善なんか望めないよ。ま、日本とは、そういう国だということもかも知れない。



朝日新聞社「一冊の本」2004年3月号に掲載


「食育」ナンダロアヤシゲ
フリーライター/大衆食の会代表
遠藤哲夫


  今年一月には農水省の音頭で「ニッポン食育フェア」があったし、自民党食育調査会がまとめた「食育基本法」の成立は時間の問題とあって、なにかと「食育」がにぎやかだ。

  これは大衆食としてはビジネスチャンスである。私のまわりにも、金儲けの計算は顔に出さずに、あれこれ食育ビジネスを画策している人がいる。じつにうれしそうだ。食関係者はもちろん、教育関係者もはしゃいでいる。私にとってもチャンスなのかも知れない。なにしろ大衆食の会は、私の最初の著書『大衆食堂の研究』の読者を中心に一九九五年に生まれた。アノ、ホラ、古き良き? 昭和三十年代の、手作りの味、おふくろの味、ふるさとの味、のイメージの大衆食堂がキッカケなのだ。ここは、調子よく、「いやー、いまの日本人はダラクしています。ケシカラン。もつと、ふるさとの味おふくろの味を大事にしなきゃあね、大衆食堂にはダラクした家庭が失った手作りの味が残っていますよ」とか言ったり書いたりすると、偉そうで気分はいいし、稼げる食育ライターになれるのではないか……。

  しかし大衆食の会というのは、大衆食堂で飲んで食べて騒ぐだけの会で、私は「代表」とはいえ、その会をときたま思い出したように招集するだけ。「ザ大衆食」なるミニコミ紙も出していたのだが、Webにのりかえて紙版はサボリ続け、ビンボーでパ・ソコンもない会員からは「どうなってるの」と文句が出る始末。「食育」などと偉そうなことは言えません。大衆食の会の希望は「楽しい力強い食事と料理」、そして三大運営方針は「いいかげん大好き」「下品も悪くない」「バカ万歳」というものである。

  でありますが、そういう私が言いたいのは、「食育」を叫んでいる関係者の声を集めてみると、とりわけ農水省は食育推進班まで設け熱心なのだが、確かに食についてはいろいろ問題があるにせよ、だからといって「食育」というのは、短絡しているということなのだ。

  そもそも関係者が「食の乱れ」と騒ぎ立てる問題は、食育の欠落が原因なのか。安全性にせよ、自給率の低下にせよ、食事や料理にゆとりのない生活にせよ、ほとんどは政府と与党の政策によるものである。個別の政策で解決を図るべきことがたくさんある。消費者をダラク者あつかいして、食育でカタをつけようなんて、スジ違いではないか。

  ああ、書いてしまった。これじゃ、食育ネタで声がかからなくなる、稼げなくなる。

  しかし、そうなのだ。国益優先で生活後回し政策を重ねた結果を、消費者のダラクといい、消費者の精神や知能の問題にすりかえたところに、いまの「食育」があるのだ。

  「食育」は明治のころからのテーマだった。明治のベストセラー、村井弦斎さんの『食道楽』にも「食育論」の項がある。「生活問題の人生に大切なるは今更の事にあらざれども世人は兎角迂闊に流れて人生の大本を忘るゝ事多し」と「智育」「体育」に偏向し生活を軽視する教育法を批判している。生活つまり生存の権利は、天下国家のために犠牲になっていた。その政治は、現代も同じ。そして食事と料理は、しつけと栄養と調理に矯小化されたのである。それがいま、「食育」の法制化だ。これは、ナンデアルカ。

  二月初旬に各新聞が「『食育白書』を国会に提出、自民が食育基本法素案」と報じた内容によると、「同法は、牛海綿状脳症(BSE)や鳥インフルエンザで食品の安全性への関心が高まる中、食の安全や食生活を通じた健康増進などを促進する狙いがあり」「素案は、食育を教育の基礎と位置付け、食品の安全性に対する信頼の低下や、自然・伝統的食文化の喪失など食に関する問題点を指摘している」

  私は、こういうものを見ると、ああ、またね、けっきょく過去と同じレベルの蒸し返しなのだなあ、と思う。私が、食に特別な関わりを持つようになったのは、一九七一年秋のことだ。ある企画会社に就職し、大手食品メーカーのマーケティングの下請け仕事をやるようになった。そのころすでに問題だったテーマや議論のレベルから一歩も踏み出していない。まったく進歩がない。あいかわらずピントはずれである。

  農水産業は国の根本「生命維持産業」だぞ、自然の恵みや食物を供給する人々の労働に感謝せよ、伝統食を大事にせよ……。そういう態度なのだ。工業社会から情報社会へと発展している、この資本主義の日本について最低の歴史認識も社会認識もない。

  安く、うまく、安全、生活スタイルにあっている、そういう努力がない産業や事業は、消費者から相手にされない社会である。コンビニフードをヨシとするわけではないが、私は八○年代のコンビニのオニギリ・弁当戦争の渦中にあって、それは大変な努力をしている関係者の姿を見ている。そして、コンビニフードがないと困る生活がある。もし伝統食が、その生活に応える努力をすれば、支持されるだろう感謝されるだろう。しかし、いま「地産地消」や「伝統食」を唱える関係者の努力たるや、どうであろうか。圧力団体まがいに政治力をつかって攻めやすい学校給食に地元産品をつかわせようという。もともと金欲しさに地元を捨て都会に市場を拡大していながら、都会では価格競争できないからと地元に押し付ける。それも「食育」と称する。身勝手、独善、視野狭窄病か。

 「生命維持産業」というなら、まず消費者に支持されるための、血のにじむような努力が必要だろう。安全でうまければ買ってもらえる、ていどの認識では、とても人びとの感謝は望めない。日々、働くこと生きることに密接である食のためにどうすればよいか、真剣に追求しなくては、日本の「生命維持産業」の未来は、さらに暗い。

  そもそも生命維持装置としてさずかったハズの土地を海岸線を河川を、どうあつかってきたか。そこは目先の欲や利権の荒野ではないか。生活の安全を脅かす数々をやってきたではないか。いまさら自分たちだけよい子ぶって商業主義を非難し、地域のものを食べていれば安全で健康でいられるなんていう根拠のない話は、現実的な消費者には通用しない。

  外食や中食(なかしよく)を指弾するが、江戸期からの都市生活者の伝統的スタイルであることを忘れてもらっては困る。そば、すし、天ぷらなどは、いまのコンビニフードのように食べられ、いまのファーストフードのように「下賎の食」という問題児だった。佃煮屋は総菜屋である。立ち食い店の普及や料理に「即席」が始まるのも江戸期だ。都市型生活の成長という歴史のなかに、食事や料理、産業や事業を位置づけなくては、食に関する認識の根本を間違う。そういうアヤマチを、すでにおかしている。だから何十年たっても同じ議論なのだ。

  ま、自民党は、自由貿易協定については積極推進の立場であり、協定による食料輸入の増加は、さらに見込まれる状況を考えあわせれば、政府と自民党の食育基本法の腹の中は、自ずとあきらかである。小さなエサをまいて生産者との摩擦を避ける例のテだろう。そのエサにたかっているうちに、ますます問題は拡散するだろう。そして消費者は、働くため生きるため、現実的な食を選択するだけである。ダラクといわれようと。「食育」では安全性や自給率の解決にならない。「食育」をまっとうにやるつもりなら、生産者の独善をやめ、消費者の生存の権利として位置づけ深めるべきである。








◆当サイト内「食育」関係リンク。
「食育」ナンダロ1(04年2月11日版)
「食育」ナンダロ2(04年2月14日版)

◆当サイト外リンク
食育基本法(最終改正、平成21年6月5日、全文)
食育基本法案(全文)



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◆食育基本法成立以後のことは ブログ版「ザ大衆食つまみぐい」……食育と栄養モンダイのリンク集