「食育」ナンダロ…1
1、04年2月11日のナンダロ。資料と解説……自民党「食育調査会」と「食育基本法案」をめぐる動き。
(04年2月11日版)
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食育は、大衆食の会の希望「楽しい力強い食事と料理」を、基本にすべきだろう。なーんちゃってね。
最近、「食育」に関する原稿を書くことになって、それは昨日の締め切りに無事納めたのだが、いろいろ資料を集めたので、その整理という意味も含めて、徒然なるままにここに異端な私見をまじえながら、整理しておこうと思った。
次のような記事が04年2月6日か7日ごろ各新聞に載った。
「食育白書」を国会に提出 自民が食育基本法素案 自民党の食育調査会(武部勤会長)のプロジェクトチームは6日の会合で、食育基本法の素案をまとめ、小泉純一郎首相に提出した。同法は、牛海綿状脳症(BSE)や鳥インフルエンザで食品の安全性への関心が高まる中、食の安全や食生活を通じた健康増進などを促進する狙いがあり、政府に対し、国会への報告書の提出を義務付ける。 国会への報告は、政府の食育推進への取り組みをまとめた、いわゆる「食育白書」として毎年、提出を求める。 近く同調査会に小泉首相を招き、法案について意見交換した上で、議員立法で3月中旬の国会提出を目指す。首相は武部会長らに対し「人間の命と健康にとって、食育ほど重要なものはない」と述べ、素案を了承した。 素案は、食育を教育の基礎と位置付け、食品の安全性に対する信頼の低下や、自然・伝統的食文化の喪失など食に関する問題点を指摘している。 |
「食育」については、すでに明治のころから話題になっているのであって、さまざまな考え、いろいろな思惑や思いがある。
しかし、いま、とくに「食育」が話題になるのは、この自民党の食育調査会がとりまとめをやってきた、「食育基本法案」と深い関係がある。そして、この「食育」は、かならずしも、過去の「食育」に関する議論や実践を反映したものではない。
自民党のこの動きは、当然ながら選挙を意識したものであり、自民党の支持基盤である、産地や企業を意識したものだということは、その活動や法案の内容を見てもわかる。
つまり、生産者あるいは企業側からの消費者に対するPR・啓蒙運動、という色彩が強い。生産者や企業が消費者に学ぶのではなく、生産者や企業は努力している頑張っている、消費者は生産者や企業のいうことを聞いてオリコウになりなさい、というものなのだ。もちろん、ラーメングルメがごときにはしゃいでいないで、オリコウになる必要はあるのだが。
それは、政府の政策でやってきた食料輸入や、生産者や企業の責任で生じた食品の安全への不信、その解消が自民党政権にとっても座視できない課題になったからで。そして、その法案の成立は、昨年の「マニフェスト選挙」といわれた衆議院選挙で自民党のマニフェストになった。で、いま公約の実施として「食育基本法」の設立は時間の問題であり、その実施を見込んで、そこに発生するビジネスチャンスを期待してニギヤカなのだ。
まずは、自民党の動き。
毎日新聞02年11月22日朝刊 自民党は21日、食品の安全に関する調査・検討を行う「食育調査会」(会長・麻生太郎政調会長)を政務調査会内に設置し、初会合を開いた。BSE(牛海綿状脳症)の発生や産地偽装などによる消費者の不安や不信を取り除き、食に関する理解を深めてもらうのが目的。必要に応じて、農水省や厚生労働省などに政策提言する。 会合で、麻生会長は「食べ物は安全、安心だという前提が崩れてきており、党としても万全の対応を考える必要がある」と強調。検討項目として、(1)交通安全運動のような国民運動を「食」の分野でも展開する(2)地元の食材は地元で消費する「地産地消」や、「スローフード」のような産地の特色を生かした食品供給体制を確立する(3)食のリスクに関する調査と情報提供の体制を確立する――などを挙げた。 【上田宏明】 |
もはや、食品の安全は政府や与党の政策では保証できない。「交通安全」のように、消費者は「食べるものは自分で守ろう!」(『ダ・カーポ』02年10月16日号より)という運動をやろうという趣旨である。
しかし、それだけではない、地元の食材は地元で消費する「地産地消」や、「スローフード」のような産地の特色を生かした食品供給体制を確立する、ことや、さらにあとで登場するが、「自給率の向上」「自然の恵みへの感謝」「食物を供給する人々の勤労への感謝」、なども、この「食育」に期待されている。
とりあえず、自民党の考え動きがよくわかる、食育調査会の報告があるから見てみよう。これは、URLと内容から判断すると、食育調査会の事務局長で、先の衆議院選挙で富山2区から3回目の当選をした宮腰光寛さんによるものだろう。サイトに掲載のタイトルは、そのものズバリ「食育調査会」である。
食育調査会 「健康の玄関は、あなたのお口から」 宮腰光寛は「食育」に一生懸命取り組みます 設立趣旨 ― 食育は人間力を養う柱 − 21世紀における、わが国の発展のためには、子ども達が健全な「心と体」を培い、未来や国際社会に向って翔ことができるようにしていくことや、すべての人にとっての「健康寿命」をのばすことが大切です。 「人間力」あふれる日本人の基本は「食」にあり、「食育」はその重要な柱として位置付けられるべきものです。 食育は、糖尿病など生活習慣病の「予防医学」の最たるものであり、食生活の改善が生活習慣病の改善につながります。 一方、社会や経済の情勢が目まぐるしく変化する中で、忙しい日々を送っている私達は、毎日の「食」の大切さを忘れがちです。 また、自然の恵みのもとに、先人から育まれてきた地域色・文化の香りあふれる豊な日本の「食」は、いま見つめ直さないと、失われる危機に立っています。「食の安全」への国民の信頼が大きく揺らいだ後、スローライフ、スローフードに関心が高まっている今日、私達は大事なものに気が付きはじめました。 「食育」は、国民の心と身体の健康を増進し、豊な人間性と健全な食生活を目指すものであり、消費者の「食」に対する考え方を育て、その「選択を手助け」するとともに、「食卓から農場まで」顔の見える信頼関係を構築することによって、ひいては「食料自給率の向上」や「環境」と調和した持続的な「食料生産」にも貢献しようとするものです。 今こそ、国民一人一人が「食」について改めて意識を高め、「食」「子育て」「教育」等の専門家とともに、「食育」に関わる実践的な活動を「一大国民運動」として展開していくべきである。 [参考] 明治時代の日本教育の中身には、「五育」があると言われていました。それは、「食育」「知育」「体育」「才育」「徳育」の五つです。その一つである「食育」をいま一度考え直し、推進しようというものです。 |
あとまだまだ続くが、とりあえず、ここで区切ろう。
まず、[参考]だが。カンチガイなのか意図的な都合のよい解釈か判断できかねるが、この表現は正確ではない。明治の日本教育は、「五育」があるといわれながら、実際には「食育」が欠けていたから、それが議論になっていたのである。
明治のベストセラー、村井弦斎さんの『食道楽』の「食育論」の項には、こうある。「生活問題の人生に大切なるは今更の事にあらざれども世人は兎角迂闊に流れて人生の大木を忘るヽ事多し」
村井弦斎さんは、「智育」「体育」に偏向し生活を軽視する教育法を批判している。明治は富国強兵の国家戦略のために、生活つまり生存の権利は犠牲になっていた。国益優先、それは、いまも同じだろう。
ところで、食育調査会設立の趣旨は、なんらケチのつようがないほど、リッパであるようだ。
ただ、また、自然の恵みのもとに、先人から育まれてきた地域色・文化の香りあふれる豊な日本の「食」は、いま見つめ直さないと、失われる危機に立っています という点に関していえば、その危機は政府や自民党の政策の結果だと思うのだが、反省もなければ政策転換の意志もはっきりしていない。もちろん反省も政策転換もないのだが。
「食の安全」への国民の信頼が大きく揺らいだ後、スローライフ、スローフードに関心が高まっている今日、私達は大事なものに気が付きはじめました であるが、この場合の「私達」とは誰なのか、自民党なのだろうか。
で、ひいては「食料自給率の向上」や「環境」と調和した持続的な「食料生産」にも貢献しようとするものです である。「ひいては」だから、食料自給率の向上は、食育の積極的な目的ではなく、波及的期待する効果の扱いと見てよいだろう。しかし、ときによっては言い方をかえ、「食育」が食料自給率の向上に貢献することは、アチコチで強調されている。また、「食育」によって、食べずに捨てられる膨大な量の食料を減らすことで輸入を減らし、結果、自給率の向上につながると説く「御用専門家」もいる。
しかし、食料の輸入は、不足から始まったことではない。貿易自由化推進政策の一環なのである。ここで思い起こさなくてはならないのは、自民党は、これまでもそうだったし、いま進行中の自由貿易協定(FTA)については、積極推進の立場だということだ。その協定によって、さらに食料輸入の増加は避けられない。「食育」で残飯を減らすかどうかに関係なく、自給率の危機的状況はさらに深まる。これは、明治とかわらない国益優先の政治の結果ではないのか。
となれば、自民党食育調査会の取り組みと食育基本法は、直接的には、自由貿易協定(FTA)積極推進の自民党が、支持基盤の生産者と摩擦をさける、いつも小さな甘いエサである、ということがわかる。実際に、去年の衆議院選挙と、今年の夏の参議院選挙との日程とリンクされての動きなのである。
だからといって、「食育」がイケナイということにはならない。がしかし、このエサにとびついているうちに、自給率は本当にキケンな状況になる可能性はあるし、そしてそのエサに群がって「食育」を叫んでいる声を聞くと、どうも、ナンダカアヤシイことがたくさんあるのだ。
「食育」つまり「教育」は、国民の権利として行われるべきものだから、国家の都合ましてや政党や生産者の都合で行われてよいものではない。【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重】
ま、簡単にいってしまえば、「生存の権利」にもとづいて行われるべきものである。ということについて、食育調査会の「食育」は、まったく関心がない。
て、ことで、今日はオシマイ。
ここに続けて、宮腰光寛さんの「食育調査会」の報告を載せておきます。この「食育」は「国家戦略」にもとづくもので、「健全な国民」を期待してのことだということがよくわかる。「国民運動」と称して、個人の生活まで国家の思想が干渉する、戦前の構図がみえる。「グルメ」の「浪費」を促す一大キャンペーンが続いたあとは、この「食育」キャンペーンである。イヤハヤ。「グルメバカ」のあとは「食育バカ」か。
だから、食育というのなら、真の食育なら、大衆食の会の希望「楽しい力強い食事と料理」を、基本にすべきだろう。なーんちゃってね。なのだ。
ついでにおおざっぱに書いておこう。おれは、貿易自由化や食料輸入に反対ではない。自給率問題は複雑で、これぐらいなら良いとか悪いとかの基準は判断しにくいのだが、米と大豆ぐらいは、輸入に頼らないですむセンが必要と思っている。それから日本の農業については、国内需要だけで未来を構想するのはムリがあると思っている。高い能力を、他の産業のように、国際的視野で生かすべきだろう。農協や政府や自民党にぶらさがった一元的な農業ではなく、積極的に、多様な国内市場国際市場で生きることを追求すべきだという考えだ。多様な市場にこそ、可能性と生きがいがあるはずだ。つまり「自立」である。
農業は「生命維持産業」だから感謝され保護されて当然だという考えは、はやく改め、はやく市場に位置づかなくてはいけないと思う。かつて先進的に「無農薬有機栽培農法」に取り組み、それを理解しない農協に産品を扱ってもらえず、直接消費者と関係することで活路ひらいてきた農家もあるではないか。そういうことのために税金を利用するなら、よいだろう。そういう「自立」が唯一、日本の農業が成り立つ道だろう。「食育基本法」に期待し、税金をつかっての食育ドンチャン祭が終ってみたら荒野が残っていたというような、過去何度もあったアヤマチを繰り返してはならないのだ。そのことは、またこの「食育」にからんで述べたい。
それにしても、「ゲーム感覚のグルメ」という世界一バカ消費者の見本のような連中、こいつら「食育」でなんとかなるのか。
では、以下、「食育調査会」の続き、「組織の構成」は、発足当初のものと思われる。現在の会長は、武部 勤さんだから。
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