「食育」ナンダロ…2

2、04年2月14日のナンダロ。反対はないらしい「食育基本法案」に、異端なイチャモン。
(04年2月14日版)

「食育」ナンダロ…1はこちら

前回に続いて、自民党の「食育調査会」の動向をもとに検討したい。

自民党の「食育調査会」が中心になってまとめた「食育基本法案」は、いまのところ与野党とも反対ナシで、すんなり成立する見通しであるという。しかし、それに、おれはイチャモンつけようというのだ。それなりの、理由がある。

なにしろ、まず、なんのための「食育」なのか、わからんのだ。

前回の資料の「政策提案」を見てみよう。これが政策といえるものかどうか、というのは目的も目標もないからだが、その程度の低い立案能力はともかく、この政策から何がみえるだろうか。1〜7まである、政策提案を順番に見ていこう。まず1、だ。


政策提案


1.赤ちゃんからお年寄りまで、消費者やNPO等との連携を深めた「一大国民運動」の実現
 − 「人任せ」の「食」を自分の手に取り戻そう−
 − あなたのからだは食べ物からつくられる−
  ・ 食育推進国民会議(仮称)の設置
  ・ 「食を考える国民会議」「健康日本21」「健やか親子21」等を通じた国民運動の展開
  ・ 食育の推進に関連する月間・週間等を通じた国民的な機運の譲成「食を考える月間」「食生活改善普及月間」「食品衛生週間」「全国学校給食週間」等

どうしても「一大国民運動」をやりたいらしい。それは、たぶん、「食育」が問題にするところの「食のみだれ」は、食を考えない国民が悪いのであって、国民は「人任せ」の「食」をしている。という、決めつけが、あるからのようだ。「−あなたのからだは食べ物からつくられる−」だってさあ。

しかし、考えてみよう。ここ30年ばかりのあいだというものは、すごく、食に対する関心や、健康や身体や栄養に対する関心が高まったのである。ウルサイ、ほどである。スーパーの魚売り場へ行けば、「さかな、さかな、さかなを食べると頭がよくなる」なんていう音楽とはいえない感性を破壊する音がなっているし、テレビじゃ朝から身体によい食品の話をしている。それにグルメ。政府関係の調理や栄養の団体もたくさんあって活動している。あげれば切りがない。

にもかかわらず「食のみだれ」ということであるならば、基本的には国民の問題ではないだろう。つまり国民の食に対する関心は、あきらかに高まったのである。ところがそれが「みだれ」ということであるならば、リードが間違っていなかったか、反省ぐらいしてみたってよいではないか。

そうである、おれの考えは、こうだ。栄養関係の先生様や専門家様や栄養士とか、調理関係の先生様や専門家様や調理師とか、家政学系の先生様とか専門家様とか、こういう連中がふえて、食事や料理を調理と栄養としつけに矮小化してきたことに最大の問題があるのであって、現に、こういう連中がアチコチでジャマなぐらい活躍するほど、「食はみだれ」てきたのだ。

だから、まず、そもそも「食育」の「国民運動」をやることじたい、「食育」と「国民運動」の両方に対して、根本的に考え方が間違っている。「食育」というかぎり、教育的行為であって、国民的運動にするなんて間違っている。本当にイケナイことがあったら、運動ではなく教育で解決すべきだろう。

いっぽう「国民運動」というのは、このように国民を悪者にしてやるものではなく、たとえば「暴力団を日本から追放しよう」とか、国民の安全や生命をおびやかす存在に対して「一大国民運動」をやるべきものなのである。そうでない善良な国民を悪者あつかいの国民運動は、けっきょく「非国民」をつくる運動になる。あるいは、そういうことをしたいのだろうか。

たしかに、コンビニフーズやファーストフーズを食べている国民を「堕落者」よばわりする識者がいるからなあ。国産物や伝統食を愛さない人間を「堕落者」の「非国民」にする「一大国民運動」をやりたいのかも知れない。

実際、昨年の2月自民党食育調査会がまとめた「食育基本法」(案)の「基本理念」には、このような文言がある。


[2]食に関する感謝の念の醸成
 食育は、国民の食生活が、自然の恩恵と食に関わる人々の様々な活動によりもたらされていることを深く認識し、これらに対する感謝の念が醸成されるよう、これが行われなければならないこと。

[6]伝統的な食文化等への配意及び地域産業の活性化と食料自給率の向上への貢献

これは、”「食育基本法」(案)に関するご意見の募集”ということで発表になったものなので、そのままの文言として最終的に法案に盛り込まれるかどうかは、わからない。しかし、政策提案全体を見れば、こういうことが今回の「食育」の根幹にあるとみてよいだろう。

つまり、これは「精神運動」なのである。「堕落」した国民を叩き直し「感謝」を教え込む精神運動にしたいのだ。そこから、「国民運動」という発想になるのだろう、と考えられる。

これは、いま日本の食が成り立っている、市場社会の否定ではないか。こんにち、国民の食は、自然の恩恵や食に関わる様々な活動だけによりもたらせているのではない。もはや、かつての農業社会ではないのだ。たとえば、石油がなくなったら、どうであろうか、石油づけの農業はやっていけるのか。相互的な市場関係で、生産者も含めた国民の食は成り立っている。そういう現実を、どう認識しているのだろう。

それは、ともかく、「食のみだれ」は、この30年間のあいだ、栄養関係、調理関係、家政しつけ関係の連中が、そのときどきでカネになる都合よいことを言ったりやったりした責任があるだろう。国民の食への関心の高まりを利用して、政府やマスコミや企業に受けのよいことを言い、カネを稼ぐことに熱中していた。もちろんカネを稼ぐのはよい。「料理は愛情」とか「子供がキレるのは食事の問題」とかいっているていどの、その愚劣な中味が問題なのだ。たとえば、テレビや雑誌で活躍した連中を思い浮かべてみよう、食事や料理について、どのような責任ある貢献をしたのか。

この連中のやったことは、人びとがたえず抱く不安につけこんだ脅迫、人びとが絶えず抱く幻想や感傷につけこんだ誘惑や説教で、大衆食の会の希望のような「楽しい力強い食事や料理」といったのびやかなものではない。そこに、働き生きることに密接な食事や料理について、根本的な認識不足がある。栄養や調理やしつけは知っていても、食事や料理に関する基本的な教養がないのだ。

そしてまた、今回、この法案の成立をビジネスチャンスとして彼らは動き、さらにおなじ愚劣レベルの連中が、こんどはヘタすると「栄養教諭」か「食育教諭」とかなるものも新規参加で、のさばろうという動きなのだ。すでに、マットウな教員がいなくて困っている教育現場に、さらにバカな教員を増やそうという。

ところが、である、それもそのハズ。前回の資料にあるように、食育調査会の第2回(平成14年12月6日)会合では、アノ服部幸應さん(服部学園 服部栄養専門学校理事長・学校長)が、テーマ「食育について」講演している。なんということだろう。いや、ナルホド、である。

とにかく、服部幸應さんは、かねてから「食育」を主張していたのではあるが、それがどんな内容であったか、そのレベルの低い幼稚なオッサンの論理をふりかえってみるのも、悪くない。

今日は、ここまで。

ああ、反対がないといわれる「食育基本法案」に、「しゃらくせえ」とイチャモンつける孤独なエンテツの主張は、まだまだ続く。


ザ大衆食トップ「食育」ナンダロアヤシゲ