六日町 大阪屋 高千代酒造
満足泥酔紀行 第3回
泥酔状態における高千代酒造五月まつり(1)


(03年5月24日記)

このサイトでは、酒については、あまり触れないようにしている。酒は嗜好品であり趣味嗜好のものだからということもあるが、なおかつ、それをわきまえない「酒通」の仲間入りはしたくないからだ。しかし、じつは、日本においては歴史的に「酒通」と「食通」は密接な関係にある。

前に日記で書いた「四條流」に代表されるような、いわゆる伝統的な「日本料理」の歴史というのは、酒がつきものの宴会料理であり、「料理」は「おかず」ではなく酒の「肴」なのだ。料理と酒がセットで献立が組み立てられてきた。そのことの意味は、食通と、そのあとにやってきたグルメの思考に、大きな影響を残している。と思うのである。つまり、料理を酒の品評会のように評定する今日のグルメの存在は、その歴史と無関係ではない。

こんにちの、あえて「大衆的」といいたいのだが、大衆的な「酒通」についていえば、二通りのタイプがあると思う。ただただ酒が好きが高じて通になり、ただただ好きな酒について薀蓄を傾けたいだけのひと。かわいいね。

もう一つは、自分が審美眼の持ち主であること、高い知識や教養あるいは酒に関する豊富な情報の持ち主であること、などを誇示することで、他に対する自らの「人間的な優位」を得たい、自分はシゴトに厳しい職人的なレベルの高い精神の持ち主だとの評価を得たい、そのような目的を含んだ酒通である。自分の「好み」を普遍的な「よい」とカンチガイし他人に威張り押し付ける。そういうの、グルメにもいますでしょ。

後者の場合、酒は好きにしても他者との優劣関係の手段であり、したがって、「よく知りもしないくせに生意気いうな」とか「おれはこれだけ飲んで歩き、これだけの情報を持っていっているのだ」とか「普通酒や発泡酒飲んでウマイなんていっているやつは味を知らんやつだ」とか、それ的なことを口ばしりひとの無知をあげつらね罵倒する。ついでにいえば、発泡酒がこれだけの市場になった不幸は、あると思う。が、発泡酒を飲む人間を見下すのは、それ以上の不幸の積み重ねだろう。


(写真、高千代酒造の前=左も、裏=右も田んぼ)

高千代酒造は、小さなメーカーである。この社長宅の庭に建てたていどの一棟の酒蔵を見ただけで、その規模の見当はつくだろう。高千代酒造から見れば半世紀ぐらいは後発の、六日町の八海醸造の10分の1以下じゃないだろうか。見かけはなかなかだが、これは看板建築のようなもので、リッパな前面の背後に明治大正からの渋い木造の酒造りの蔵があるのだ。

八海醸造の「八海山」は押しも押されぬ著名ブランドになったが、おなじ魚沼南の地域にあってその差が生まれたイキサツは、運不運も含めておもしろいものがあるようだ。とにかく八海山はもう有名ブランド大会社だから、なにもおれのサイトでわざわざ取り上げることはない。じつは昨年の6月に、やはり八海醸造の酒宴に参加して泥酔しているのであり、高千代を取り上げて八海山を取り上げないのは、八海山が嫌いだからではない。って、わざわざ書くと、なんだか言い訳しているようでヘンだな。

毎年、五月まつりというファンの集いをやってきて、今年で12回目。おれは昨年から参加している。ほかの酒蔵の利き酒会などに参加したこともあるが、高千代のこの祭りには、とにかく好きなひとしかいないので、じつに気持よく飲める。あらゆる意味でエラそうな態度のひとがいない。これは、おそらく、めずらしいことなのだ。なにしろ地方の酒蔵といえば、古い名家がほとんどで、酒通のエラそうやつだけじゃなく、地元名士のエラそうなやつがエラそうにしているものなのだ。

好きな酒を飲みながらエラそうな薀蓄を聞かされることほど、イヤなものはないからね。そういうの、アアときどきいますね、モノづくりとしてアタリマエのことをやっているにすぎないのに、モノスゴイことのように神業天才な持ち主のごとき話をし、「おまえ、この味がわかるか」てな態度の「杜氏」とか、そういうエラそうなひとが高千代酒造にはイナイのだ。だから、今年も誘いがあったときに、すぐ参加を決めた。



おれとクボシュンさんと地元鉄道ほくほく線の方と、
六日町駅からバスに乗り込んだ。
巻機山の登山口の清水行きのバスで、途中の長崎という集落で下車の予定。
が、コレ書いてもいいよね、
バスはおれたちのほかに一人の乗客がいただけだが、
あははは、たぶんそこでエンストしたんだね、
バス停に関係なく、高千代酒造の前でとまって降ろしてくれた。
いいなあ、こういうの。

今日はここまで、続くよ、泥酔はこれから

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