巻機山
巻機山を冷静に語るのは難しい。
おれの愛であり、青春であり、……、ああ、テレちゃうな。
こういう表現は、おれの一番苦手とするところなのだが、
なんだかそんな気持になってしまう山である。
一言でいえば、これほど優美で素晴らしい山はない。
もちろんほかの山々をないがしろにするつもりはないが、
その優美のことにかけては、
登ったことがなく下界から眺めただけでもわかるだろう。
「機織の守護神の伝説がある」といわれるように、
まさに、季節ごとに色のかわる布をまとったような、
なめらかな美しさ。
それゆえ、この三角点があったわけでもない、
割引岳と牛が岳をむすぶ稜線がちょっとふくらんだにすぎない、
そこに巻機山という名前をわざわざつけて、
そしてその呼び名が、あたかも割引岳と牛が岳をも包括する
御主人様(むしろお姫様といったほうがよいのかも知れないが)であるかのように、
敬い親しんできたのではないか。
そして、おれにとってこの山は、特別なのである。
おれが六日町高校山岳部のころ、この山は、いわばホームグラウンドだった。
この山で、鍛えられ成長し、山の素晴らしさも獰猛で危険な性質も覚え、
つまりは、ほかには替えがたい得がたい経験をつんだ。
おれの人生にとって、この山との出会いは、最高の幸せだといえる。
オンナが、じゃぁわたしはそれほどじゃないのね、とか言うかもしれないが、
うーむ、山と人間を比較すること自体、困難であり、
そもそも、山と比べたら人間なんか、このおれも含めてクズのようなものだ。
それゆえ、人びとは昔から、山に神を認めたのであろう。
その山のなかの山が、おれにとっては巻機山なのだ。
2000メートルをちょっと欠ける、この山の頂上に初めて立ったのは、
中学2年の秋、たぶん、9月の秋分の日と思われる。
まだ上部だけの紅葉で、全山紅葉とはいかない時期だった。
前夜、登山口の清水の民宿「雲天」に泊まり、
割引沢、天狗尾根、割引岳を経由するコースを登った。
森林限界線を越える高さは、前年に苗場山を登っていたから初めてではない。
つまり高木はなく、山肌を丈がのびた芝生のような柔らかな草が被い、
ところどころ這松が茂り、
「池とう」と呼ぶ小さな浅い池を配した湿原が広がるなど、
およそ下界では目にすることができない景色の美しさは初めてではなかった。
おれがとりつかれた巻機の魅力は、そういう、
ある場所ある特定のところ季節や時間でなければいけない、
たとえば頂上へ行かなくては見られないといった美しさではない。
巻機は、とにかく、その麓から頂上まで、
どこのなにをとりあげても美しいことなのだ。
民宿のある麓から、ニセ巻機のある尾根すじを眺めても美しい、
割引沢や天狗尾根を配した眺めも美しい。
あるときは、桜坂の桜の木が、いまでも目に浮かぶほど、
見事に見えたことがあった。
割引沢に入れば、沢すじの眺め、水の流れ、
吹上の滝やあいがめの滝といった大きな滝のほかにも、
小さな連続する滝で変る景色の美しさ。
天狗岩を見上げたときの、ため息をつきたくなる、見事な奇景。
岩肌の感触、沢すじから稜線にでるあいだの草つきの感触、
いずれをとっても、美しいのであり、その連続の結果として、
巻機の頂上に立つのだ。
頂上は、ただの稜線のふくらみであって、三角点などない。
だから視界360度という景色のよさはない。
そういうものではなく、この山にしかない美しさは、
頂上と九合目のにせ巻機のあいだに広がる湿原の、
絨毯を敷いた巨大庭園のような美しさであり、
それが、そこまでたどりつく途中の美しさの総仕上げとして配置されている、
ということなのだ。
全登山が一篇の美しい映画をみるようなものである。
いきなり熱が入って景色のことだけを書いた。
六日町高校山岳部の三年間は、
おれは1年のときの入部が遅くて5月の連休明けだったから、
その年の残雪期は逃したが残雪期と夏合宿は、この山だった。
もちろん、そのほかにも登っている。
高校時代は真冬をのぞいて、よく登っていた。
登山が禁止されていた米子沢も登った。
残雪期には、通常のコース以外のところにも入った。
雪崩、ブロック崩壊、いちばん危なかったのは、
滑落と足下の雪渓の崩壊だった。
ひどい雷にも遭った。
9合目の幕営地の朝、停滞日の昼のまどろみ、夜の星、
食事の支度、……、思い出はきりがない。
高校を卒業してからも、ずいぶん登った。
厳冬期が加わり、春スキーが加わり、
裏巻機コースも。
いちばん数多く登った山だろう。
巻機山のすばらしい写真が見られるサイトがあります。
ぜひごらんください。
管理人は六日町高校山岳部の後輩、地元の住人「たきたろう」さんです。
彼の、この巻機と、その麓での暮らしへの愛情がひしひし伝わってきます。
魚沼の四季
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