ザ大衆食トップブログ版日記


ミーツ・リージョナル別冊 『酒場の本』の取材
京都・下京区四条寺町の食堂 山の家(やまのや)
京都市下京区綾小路通御幸町東足袋屋町330


(09年9月3日掲載)

5月のことを掲載する。

6月28日発売のミーツ・リージョナル別冊『酒場の本』の取材で、大阪、京都、神戸の食堂をまわり、原稿をまとめた。編集部がつけたタイトルが「めしの鬼・エンテツ(遠藤哲夫)の めし屋酒のススメ」。ようするに、食堂で呑む企画だ。

そのときの一軒がここ。取材の2日目、5月15日、午前に大阪の[心斎橋 明治軒]を終えたあとだった。京阪電車で移動し、祇園から四条大橋を渡った。初夏のような陽気、鴨川沿いには納涼床がつくられ、川風が心地よかった。

チョイと約束の時間に早かったので、錦市場をさらっと流し、喫茶店で一休みしてから行った。四条通りの藤井大丸の裏あたりの狭い小路が交叉するところ。着いたのが、午後の2時過ぎ。たいへん印象に残る食堂だった。

印象に残って、しばらく考えることになった。しばらく考えているあいだに、このあと5月25日に別の旅で奈良へ行き、似たような食堂に入った。

何か似ている、とくにコレといった特徴がないところが似ている、平々凡々。そこでしばらく考えて思いついたのが、「凡庸の美学」ということだった。

『酒場の本』では、「この「山の家」のように、あえていうが、なんの変哲もないめし屋で、気分よくやれるひとは、上手なのだと思う」と書いた。「全国平均的にみれば、どこのまちにもあるめし屋である」と書いた。京都や奈良といった観光地の、それも都心部にある。それは、アタリマエのことだけど、どんなところにも、フツウの平凡な日常があるということだろう。

とかく、大衆食堂のばあいでも、なにか特別なスペシャルなこと(ガンコ親父とか人情おかみとか、あるいは絶品おかずだの、手づくりだの)が注目を浴び話題になりやすいが、どこにでもあるのは、むしろこういう「なんの変哲もないめし屋」なのではないか。庶民のふつうの日常の生活にある「凡庸の美学」が息づいているところ。

そういうわけで、2009/06/25「凡庸の美学。」に書いたように、スロコメでのトークライブ、6月27日の第5回のタイトルは、「めし屋酒の真実 凡庸の美学」になった。

それはともかく、この日の取材は、午前11時すぎに[心斎橋 明治軒]で串カツとオムライスにビールをやったあとだから、まだ十分に腹がこなれていなかった。初めてのメニューである、「ブタ目(焼豚のせ目玉)」という、ハムエッグスのハムが焼豚のようなものと、「ヤキウドン」を食べて、ビールを飲んだ。

昼食タイムは終わっていたが、出前の注文があったり、近所の商店のひとらしい男性がフラッときては食べていた。のんびり、休憩所、喫茶店遣いの食堂でもあるのだろう。日々の生活と労働のあいまに、ホッと一息つくところ。

どちらかといえば、最低限の飲食の要素を備えた、ただの箱で、それ以上の主張や干渉はない。あとは客が好きなように、その空間に暮らしの絵を描くのだ。いってみれば、屋台を大きくしたような食堂だろうか。

大衆食堂は、もともと「グルメ」だの「食べ歩き」の趣味を対象として成り立ってきたわけではなく、このようにコミュニティの生活の支えとして存在してきた。こういう食堂が生き続けていられるのは、そこにコミュニティが存在しているからにほかならない。そして、旅行者でも、そこへ行けば、観光の顔ではない、地域の普通の姿や空気にふれられる。土地の人に親しまれている味覚がある。

メニューも、シンプル。







■関連 当サイト
「『ミーツ・リージョナル』とめし屋とエンテツ。 」…クリック地獄
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2009/05/16「大阪、神戸、京都、三都めし酒物語。」…クリック地獄





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