甘味食堂考


(05年10月8日掲載)

ブログの更新ばかりしていて、こちら本サイトの更新がおろそかになっている。ま、暑かったせいもあるが。ってことにしておこう。前からやろうと思って予告だけはしていた「甘味食堂考」だ。とりあえず写真だけ掲載して、始めたことにする。

写真は、まだほかにもあるし、すでに掲載している新宿区大久保の「林家」も、『大衆食堂の研究』にも書いた江東区亀戸の、冷しミカンがメニューにあった「川崎屋」なども、この系統ということになる。そういえば、川崎屋は、まだ営業しているのだろうか?

さかのぼれば江戸期の「立場(たてば)茶屋」という、茶屋のなかでも下等とみなされていたものに、その原初的な形態をみることができる。立場茶屋とは、主に宿場の外の街道筋、宿場と宿場のあいだにあった茶屋のことらしい。テレビ番組の「水戸黄門」に登場する、黄門の供の八が休んでだんごや餅を食べたがるアレなど、そうだろう。

大衆食堂の系統でも、イチバンさまがわり変転の激しい業態といえるかもしれない。呼び名も、餅屋、おしるこ屋、甘もの屋、だんご屋、まんじゅう屋、生菓子屋。さらに近年は、甘味食堂、甘味喫茶……いろいろ。その土地その時代によって、提供するものが、かなりちがう。

共通項をしぼっていくと、餅あるいはモチ米を原料とした食べ物から始まっていると思われる。しだいに、ラーメンや丼ものなどがメニューに加わり、さらに甘味のほうは縮小し中華洋食をそろえたり、なんでもアリの大衆食堂性が強まった。最近まで、古い街道筋や駅前に、かなりあった。大衆食堂の歴史を語るとき、はずすことはできない。

ってことで、つづく。




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