■1日目 まず、写真を見て−1 |
「ニッポンのめし」考 2日目 まず、写真を見て (04年7月18日) 昨日の続きだ。 昨日の写真は、2つの比較を1つのページにまとめてしまったので、写真の比較がしにくいし、わかりにくかったようだ。そこで、まず、この2つを比べてみよう。
気がついたこと、感想、批評など、思いつくだけ、あげつらねてみよう。 おれ自身考えたいことがあるし、一緒に考えていけたらと思う。 なんでもいいから、質問でも、気軽にblogの日記のコメントにその日のテーマに関係なく書き込むなり、メールをいただきたい。 ed_meshi@yahoo.co.jp 3日目 まず、写真を見て1−1 投稿から1−1 (04年7月25日) ↑上の2日目の写真を見て、投稿があった。どうも、ありがとうございます。 ハクブンさんの投稿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私は1965年生まれで小学校は神戸(小1-5)と名古屋、ご飯の給食は体験なし。 来年から介護保険料の納付が・・・なことはさておき さて、給食と旅館の朝飯の比較です。目に付いたままです。 給食の部:30年間進歩なし? 1.まだ先割れスプーンを使っているとは思わなかった。食器もアルマイトのままか。 (私の時代と同じ) 2.ご飯に牛乳はないだろう。 3.ご飯が入っているのはプラスチックの容器?味気ないかな?アルマイトよりはましと 思うべきなのか? 5.野菜が少なくない?食中毒を恐れるため生野菜が出せないのかね? マーボ茄子だけで野菜は足りている? 6.彩り(色どり)に欠ける。 7.冷凍みかんは懐かしいのだが、旬を外れた果物は疑問。 8.何かで読んだ「刑務所の食事」に近いような・・・(考えてみると自分の小学生時代 も似たようなものだ。ご飯をパンに変えるとそのままだった) 漆器を給食に使った例 http://www.nouminren.ne.jp/dat/200005/2000052901.htm 大分の給食食器 http://kyushu.yomiuri.co.jp/spe-3/rupo03/rupo031008.htm 朝飯の部 1.旅館の朝飯の王道が出てきた。これも30年?もっと昔から進歩なし? 2.焼物の器に入って出てきている。(と見えます) 3.割り箸なのが減点1 4.2つ並べて「どちらかを食え」と聞かれたら旅館の方。 今日のところはこの辺で。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ こんなかんじで、気軽に気がついたことを書いていただけるといいんだがなあ、と思っているのだけど。しかし、いまのところ、これ以外に投稿がない。残念。 こうやってみると、生まれた年と、すごした小学校の地域がデータとしてあると、いいね。そして、1965年生まれのハクブンさんの、「ご飯の給食は体験なし」に、あらためておどろかされる。 今日のところはこの辺で。さらなる投稿を、お待ちしています。もちろん、この内容とダブっていてもかまいません。 4日目 まず、写真を見て1−1 投稿から1−2 (04年7月30日) 引き続き、↓下の2日目の写真を見ての、投稿である。スーさんからは、サイトを見て、ときどきメールをいただいている。どうも、ありがとうございます。 スーさんの投稿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて、「あなたも評論家!」の企画面白いっすね。興味深く傍観しておりましたが、投稿がひとつだけというので、不肖私めが、2日目写真を見て最初に「むっ」と思ったことを投稿いたしまして、企画盛り上げの助力になればと思う次第にございますです。まあ、本当に「最初に「むっ」と思った」ことだけですが、ご了承下さいまし。 まず目に付いたのは、給食の四角い飯容器。先割れスプーンじゃ隅っこの飯粒がうまいこと取れないんじゃないかな?と思った次第で。私のガキの頃は米も円形のアルマイト容器だったんでスプーンでも問題なしでした。ちなみに1970年生まれの私には米の給食は年に数回だけの特別な献立です。コッペパンばかりの私の頃と比べりゃ、ちょっとだけまともになったかな?と思います。 次に旅館の方を見てまず目に付いたのが調味料置きのところの栓抜き。「やっぱりビールは欲しいよな〜」と思いつつ、調味料でひらめいた。給食の方は調味料なし。旅館の方は、自分の好みで調味料で味付け出来るおかずばかり。まずはハムエッグと冷奴、キューリ半分でビールを呑んだ後、海苔とタラコと味噌汁で飯を喰らう。これ最高! まあ、アルコールに侵された脳味噌の私が取りあえず思いついたのはこんなところでございます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ふむふむ、こうやって2つ目がならぶと、それぞれに「着眼点」のちがいがあることがわかる。評論の面白さの1つは「着眼点」かもしれんな。 ところで、スーさんは、1970年生まれ、ということだが、たしか都内下町方面の生まれ育ちだ。「米の給食は年に数回だけ」。下の3日目のハクブンさんは、65年生まれで「ご飯の給食は体験なし」。 米の過剰傾向は、1968年に始まり、69年度には「精米1人1年当たり消費量(外食向けを含む供給ベースは97.1kgと、初めて100kgを割る。このため米の過剰問題が深刻化」(『昭和・平成家庭史年表』河出書房新社)。その傾向が、このたった2人の給食の歴史だけでも、なんと見事にあらわれていることか。体験を出し合ってみることは、いいことだ。 学校給食の米飯化は、過剰米対策つまりゴミ捨て場であって、「日本の主食」とは関係ないのだ、といえる。現在の「地産地消」も「スローフード」も「食育」も、安価な外国産に押されて行き場のない高い国産モノの「処理対策」であって、その安直な方法としての学校給食や教育問題へのすり替えという、目先のごまかし、ご都合主義なのだ。食糧政策の根本を変えようというわけではない。 それにしても、いま「地産地消」「スローフード」「食育」といったキレイゴトで騒いでいる農業団体や栄養士団体は、当時は、どうしていたんだろうねえ。それに、この30年間は、食文化やグルメなど騒々しい時代だったが、それは本当は、日本の農業を始めとする食糧産業や食文化が失われる時代の騒動だったのだろうか。ああ、「失われた30年」、なのか。あわわわわわ。 テーマとは関係ないが、注をつけると、このホテル宮又では、酒類は食堂や廊下の冷蔵庫に入っていて、客が勝手に出して飲み、自主申告するのだ。だから、テーブルの上には、いつも栓抜きがある。温泉旅館なのに、ビール大瓶一本、500円の安さ! いいねえ。酒好きのスーさんならずとも、かけ流しの温泉につかったあとの朝飯には、思わずビールに手が出てしまうんだね。 ザ大衆食>貧乏食通研究所>ニッポンのめし考 |