『食品商業』06年1月号〜10月号連載
食のこころ こころの食

(編集部からのお題)


第2回のテーマ 必然か おせっかいか 食育基本法


 世界でも類を見ないような食物自給率の低さ、ライフスタイルの多様化、肥満や過度のダイエット志向、食品自体や産地、また伝統への理解足らず…。食育基本法が指摘するところは、現実に存在する問題点だと思います。
 しかし、それらを「法律で定める」というところに、若干の違和感を覚えます。本来、家庭、学校、あるいは地域社会などで、対応できる(あるいは「すべき」)問題だと考えるからです。それを国が音頭を取らなければならないほど、日本の食は乱れているのでしょうか。
 ご持論を頂戴いたしたく存じます。


(本文)

政策が生んだゆがみを
「心の問題」にすりかえるな


 食育基本法は2005年の国会で自民、公明、共産などの賛成多数で可決した。民主、社民は反対にまわったが、郵政改革法案をめぐる政治情勢からだろう。継続審議になった04年の春は、全会一致で国会を通過する見通しだった。

 そのころ、私は、たまたま機会があって『一冊の本』(朝日新聞社)04年3月号で、「『食育』ナンダロアヤシゲ」という、法案反対の孤独な主張をしている。そこで言いたかったのは、この2点だ。

 「そもそも関係者が『食の乱れ』と騒ぎ立てる問題は、食育の欠落が原因なのか。安全性にせよ、自給率の低下にせよ、食事や料理にゆとりのない生活にせよ、ほとんどは政府と与党の政策によるものである。個別の政策で解決を図るべきことがたくさんある。消費者をダラク者あつかいして、食育でカタをつけようなんて、スジ違いではないか」

 「安く、うまく、安全、生活スタイルにあっている、そういう努力がない産業や事業は、消費者から相手にされない社会である。コンビニフードをヨシとするわけではないが、私は80年代のコンビニのオニギリ・弁当戦争の渦中にあって、それは大変な努力をしている関係者の姿を見ている。そして、コンビニフードがないと困る生活がある。もし伝統食が、その生活に応える努力をすれば、支持されるだろう感謝されるだろう。しかし、いま『地産地消』や『伝統食』を唱える関係者の努力たるや、どうであろうか」

深夜のコンビニ客は
不規則な生活が好きなのか


 コンビニは米の消費に少なからぬ貢献をしてきた。しかし、かつて米を食べているとバカになるといった栄養知識が、今度は、子供がキレやすいのは食生活の乱れが原因であり、暴カホルモンとよばれるアドレナリンが出て急に血糖値を上げるからだ、あるいは魚を食べると頭がよくなると、コニビニフードを非難し「日本型食生活」の食育を説くことに、私は不自然を感じている。

 その安直なご都合主義も問題だが、食を生理的にしか考えない点では、サプリメントを多用する風潮と同じではないか。これで健全な食文化が育つのだろうかという疑問である。

 それに、食育基本法を推進する先生方は、消費者の生活実態から、あまりにもかけ離れすぎている印象がある。

 たとえば、私の近所に、ボックスストアがある。よく利用しているし繁昌しているように見えるが、サケの切り身はチリ産、アジの開きはオランダ産しかない。もともと生鮮品については絞った品揃えであるにしても、おそらく、この店で売られている食品は、自給率40%という日本の実態を反映していると思われる。

 それはまた、消費者の生活の現実だろう。つまり国産だけでは生活できない、家計がもたない。それにつきる。輸入品や原料の安価な加工食品が売れたり、「第三のビール」が売れるのは、そういう家計の事情によるのであって、味覚が狂ったわけでも外国かぶれの結果でもない。

 知人の職場のある男性は、小さな子供が二人いて、必ず家族でタ食を共にするというガンコ一徹だ。ところが、彼だけではなく、職場の100人近い人たちは、朝9時に始業で毎晩11時ごろまでの残業がフツウである。だから、午前0時ごろ家でタ食を食べる彼は、寝ている子をおこして食事をする。涙ぐましい。

 このように子供を道連れにする例は、あまり聞かないが、コンビニは遅くまで仕事をする買い物客で混雑する。彼らはみな、好きこのんで遅くまで働き不規則な生活をし、身体を壊そうとしているのだろうか。

 多くの人が変わる労働環境や生活環境の中で、苦労を抱えているのではないか。

 これらの状態を、人々の頭の中に原因があるとし、「国民の『食』に関する考え方を育て」ることで解決しようというのが食育基本法だろう。それは、河川の上流に産業廃棄物を捨てる許可を与えておきながら、日本の美しい自然おいしい水が汚染されるのは国民の意識に問題がある、自然に対する感謝の念が足りないからだ、と言っているようなものだ。

 お節介どころではない、根っこは放りっぱなし、問題のすりかえではないか。
 
お粗末な法律が生む
何でもありの食育


 周知のように自民党は、自由貿易協定積極推進の立場であり、食育に目を奪われているうちに、その交渉は白紙委任状態で進んでいる。食料輸入の増加は、さらに見込まれる状況だ。そして市場競争では輸入品と太刀打ちできないから、とりあえず「地産地消」を錦の御旗に学校給食で国産品の消化を図ろうという姿も見える。

 しかし、こんな法律でなんとかなるほど、農水産業の現状は甘くはないはずだ。

 食育では安全性や自給率の解決にならない。教育の問題は、教育基本法のワクで解決すべきだろう。食育基本法は、あまりにもいろいろなスジを踏み外しすぎている。ついでに書くが、法案の段階から、経産省が見えない。総理府と農水省と文科省と厚労省が主体である。じつにオカシイ。生活の現実は、経済や産業の構造と密接ではないか。愛国と感謝の精神では国産のサケ一切れアジ一枚買えない生活がある。

 かりに消費者の無知無理解があっても、市場・言論活動などで対応すべきで、法で一方的な考えを強制するのは愚策である。消費者は、ダラクといわれようと、働くため生きるため、現実的な食を選択するのだ。それとも戦時統制下のような国産品配給制度と国民精神作興運動のようなものをやりたいのだろうか。

 ところが、施行後の実際をみると、戦後の「カタカナ文化」が諸悪の根源であると主張する食育から、その「カタカナ文化」を象徴するかのようなハンバーガーチェーンが取り組む食育まで、呉越同舟といった有様だ。

 法律のお粗末さが、このようにあらわれるとは、よろこばしい。お節介などは聞き流し、それぞれが生存の権利としての食を主張するチャンスである。また、そのようにお節介を克服してこそ、展望がひらけるのだろう。

 それにしても、投入される税金は、もっと有効な使いみちがあるような気がする。

当サイト内関連リンク
この本文中の、『一冊の本』(朝日新聞社)04年3月号に寄稿の「『食育』ナンダロアヤシゲ」は、食育基本法と食育問題のおべんきょう食育ナンダロアヤシゲ」にあります…
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