『食品商業』06年1月号〜10月号連載
食のこころ こころの食

(編集部からのお題)


第3回のテーマ 家事労働 炊事 女と男


ご執筆陣へ

 今回は、炊事、調理をはじめとした家事労働について、お考えになるところをお書きいただきたいと考えました。
 昨今、食に関するさまざまな場面で目にするものに、スローフード運動があります。同運動の創始者カルロ・ペトリー二氏はファストフードをはじめどした早さ、便利さ、手軽さ、食のグローバル化を求めるライフスタイル=ファストライフを否定しています。
 果たして「便利さの追究=悪」あるいは「便利なこと=良いこと」なのでしょうか。
 また、まだまだ「家事=女性の役割」という通念も強くあります。その打破が、ジェンダーフリー(性差による差別の撤廃)という主張でもありましょう。
 しかし、少子化、さらには子どもの生活の乱れ、非行といった社会問題について、女性、母親の家庭での役割が関連付けて語られる場面は逆に増えているようです。
 ご持論を頂戴いたしたぐ存じます。


(本文)

大人なら男女を問わずできてアタリマエ
まずは現代に即した「生活観」を持つこと


 今回のテーマは、チョイと間口も奥行きも広く、話を絞りにくい。
 「便利なこと=よいこと」か、といわれたら、それは関係ないことだ、結びつけて考えるのはオカシイ、と答えるしかない。紙もインターネットも電子レンジもつかいよう、時間も金もつかいよう。便利になって心が失われたというなら、失われる程度の心だったということじゃないだろうか。

 道具もスローライフも
 それ自体は豊かさではない


 そもそも、家事とは生活であり、生活の歴史は遠い昔から、便利化の歴史だった。便利化は、集団化や社会化(あるいは外部化・サービス化・製品化)の促進、道具化や設備化(あるいは機械化・電化)である。そして便利になると、ワザワザ手をかけたものが希少な贅沢なものとして尊ばれた。それを含めて便利化の歴史だったのだ。

 便利なものが普及し便利に利用されてきたとは限らない。たとえば、ミキサーなどそうだが、一時の流行で家庭に普及したわりには、便利に使われることは少なかった。外食や中食は、とくに江戸後期ごろからは、都会の庶民の暮らしに必需のものとなったが、定着し発展したものもあれば、廃れてしまったものもある。生活に必要で現実的なものが、便利に利用されてきたのであって、そのよしあしを論じることは無意味だろう。それより、それが有用である現実や歴史を直視することではないか。「便利なこと=よいこと」かの議論には、それが不足しているように思う。

 ただ一つ戦後の日本の問題をいえば、すでに1976年『台所道具の歴史』(柴田書店)で、著者の栄久庵憲司さんが指摘しているのだが、「台所の道具、設備の充実を生活の充実とする誤解を徹底」していったことだ。

 栄久庵さんは、これを「女性達」に限って話題にしているが、男も女も、そうだった。戦後まもなくは高価だった味の素についても、あの赤いフタのびんが卓上にあるだけで、当時の大人は生活に充実を感じたはずだ。いまの70歳前後の人たちは、化学調味料を多用し、その普及に貢献した。そしてとくに70年代以後の外食や中食の充実についても、それを生活の充実とする誤解を徹底してきた。

 つまり生活と家事に関して、日本人は誤解したままなのだ。その裏返しとして、「便利なこと=よいこと」かという短絡した議論になっているのだと思う。

 短絡は短絡を生む。便利な道具やサービスに満ち足りたから、もうそこに生活の充実はない、こんどはスローフードにやりましょう。その根底にあるのは、同じように、それを生活の充実とする誤解である。

 それにしても、ファストからスローへの変わり身の早さ、スローを追いかける流行、それ自体があわただしく、スローとは思えない。

 「早さ、便利さ、手軽さ」は、生話そのものから生まれた必要であり、アメリカのファストフードによる「伝来」ではない。太古の大昔からのことであり、江戸期のそばや寿司や天ぷらなどはファストフードだし、そもそも「即席」の概念は、江戸期の料理屋から広がった。煮売り(※)のものや佃煮は、中食のはしりといえるだろうが、近代の東京下町の、食事の仕度もままならないほど忙しく働かなくてはならなかった、零細の商工生業の家庭の食生活を支えた。

 スローフードの理念は、悪くないような気がする。しかし、国民経済の実態からは、かけ離れており、庶民の日常にはなりにくい。聞こえが良く、見た目は立派で美しいものに心を奪われているうちに、現実がひどいことにならないよう願うだけだ。

 「女の役割論」復活は
 社会政策の責任放棄だ


 私が4歳のころ、母は当時としては死に至る病だった肺病に冒され、寝たり起きたりの身体になった。私が中学2年のときは、国立療養所に入院し手術をするため、一年間家を留守にした。家事は父が多く行い、私も多く手伝わなくてはならなかった。中学のころには一人で食事をつくり、ミシンでの繕いやアイロンかけもできるようになった。家事とはそういうものであり、能力は必要だが、特別の作業ではない。誰かが負うべき役割ではなく、大人なら誰でもできてアタリマエというものだろう。

 「家事=女の役割」を、私は単純に否定したくないが、日本のそれには独特の背景がある。男性にだけ認められる戸主権を定めた民法が1947年に改正され、俗に「家父長制」といわれたりする「家」制度がなくなるまで、女は家事をし子を産み育てる以外、能力がないものという、法的な扱いをうけてきた。その法があっての「家事=女の役割」だった。そこに確固たる生活観はなかった。

 法がなくなれば、生活観が欠除した「家事=女の役割」の習慣と文化だけが残った。1999年になって「男女共同参画社会基本法」が公布・施行される有様だ。

 くわえて、最近の「家事=女の役割」の蒸し返しは、少子化や子供の非行や犯罪の対策、あるいは福祉予算の削減の対策として、話題になっている傾向もある。それは、遅れた社会政策の責任や社会的リスクを女性に背負わせようというもので、いかにも稚拙な考えだし、社会政策の責任放棄だろう。それでは、未来の展望は開けない。

 歴史的に見ても、家事は、家庭や女性の労働に限定されていたわけではない。薪割りや水汲みから栓をひねるだけのガスや水道への移け変わりなども含め、現実的に社会や家庭が分担し合いながらやってきた。生活や家事のなんたるかを見極め、社会の責任や家庭の責任を、はっきり見定めながら、それぞれの立場で知恵を発揮することだと思う。
 まずは現代にふさわしい生活観を持とう。昔の知恵より、今の知恵。

※煮売り編集部注:煮炊きした料理や飯などを売ること。10万人以上が焼死したとされる1657年の明暦の大火(いわゆる「振袖火事」)以降、単身の男性労働者が江戸へ大量流入。1店であれこれと商う「煮売り屋」が盛業した。煮売り屋から、お客を店内へ上げて飲食させる煮売り茶屋(一膳飯屋)、煮売り酒屋(居酒屋)などに発展したとされる。


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1月号1回目 「食のゆたかさ」ってなんですか…クリック地獄
2月号2回目 必然か おせっかいか 食育基本法…クリック地獄
3月号3回目 家事労働 炊事 女と男
4月号4回目 食を支える仕事の誇り
5月号5回目 「階層社会・日本」の食
6月号6回目 「魚食べない」も時代お流れか
7月号7回目 健康「ブーム」は行き過ぎか
8月号8回目 食料自給率「40%」は危機か
9月号9回目 飢餓はこの世からなくせるか
10月号最終回 食のこころ こころの食