竹屋食堂美術館
2006年8月11日で閉店しました。
大変お世話になりました。ご苦労さまでした。
(06年10月7日記)
入口
18歳以下でも入場できます。B級グルメ、うまいもの好き、お断り。
みなさま、こちらに見えますのが、大衆的東京名所、「竹屋食堂美術館」でございます。ここは荒川区西日暮里ですが、その外れの裏通りの、こんなところで、よく食堂をやってこれたなあ、という場所にあります。ここで、しかも、40数年間。そこをみなくてはいけないでしょう。 一見こんなところ、と思われるところでも、食堂を必要とする人びとの暮らしがある。しかも、ここは現在でもそうですが、朝の8時か8時半ごろからの営業です。ここでの開店早々の味噌汁の匂いをかぎながらの朝食は、とても清々しく、忘れていた朝食の気分を思い出させます。 近頃の傲慢な食べ歩き族は、そういう朝食が続いていた地元の暮らしに寄り添って味わうことをしないで、自分の都合だけで夜ちょっとだけ来て、ここは「居酒屋化」しているから大衆食堂とはいえないだのなんだのと言いふらす人がいるようです。つまり自分の尺度でしかみないのです。 「いづみや」にも書いたとおり居酒屋食堂などは昔からあって、めずらしいものではない。それにそもそも、大衆食堂というなんでもありの雑多な世界で、おかずにめしに味噌汁があって、あとは飲もうがどうしょうが客の勝手というのが大衆食堂だから、エライ先生に、おまえのところは「居酒屋化」しているから大衆食堂とはいえない、なんてことを言われる筋合いはない、大きなお世話なのです。 ま、でも、そういう客は来なくてもよいのです、来なくても続いて来たのだから。大衆食堂を愛し支えて来たのは、近頃ハヤリのレトロやスローフードで大衆食堂を食べ歩き評論する人たちとは違うのです。ま、とにかく、前口上はこれぐらいで、ご覧ください。(06年7月24日追記) ![]() このドへたな写真では、いささかわかりにくいのでございますが、この建物と申しますか構造そのものが、東京都庭園美術館の旧朝香宮邸などをはるかにしのぐ美術的価値のあるものでございます。 なんといっても、東京都庭園美術館などはしょせん西洋コンプレックスあるいはパリコンプレックスの塊りみたいなものでして、きわめて不健康不健全な精神によるものでありまして、ま、それはそれでわが日本の伝統的な上流的階級や成り上がり知的階級の醜悪な近代美学としての鑑賞価値は高いと申せましょうが、では真に健康で健全な日本の美学はどこに息づいているのかというと、まさに、こういうところにあるのであります。 この写真は、どうやら、1994年ごろのものとおもわれます。このころは正面入り口の引き戸は、まだ木造でした。しかし、もうギツゴツひっかかりながらやっとあく状態だったとおもいます。そこで、たしか1995年の夏ごろに、サッシにかえたのです。 このような景色を汚い貧乏くさい醜い恥ずかしいものとして捨ててきたのが、ここ数十年の歴史であるわけですが。そして日本は、たぶん、豊かな美しい国になって、グルメと海外旅行と芸術にでもウンチクをかたむけていれば苦労と努力のいらない文化的生活の気分で、たくさんの汚染と危険に取り囲まれて、シタリ顔で「モノが豊かになってココロが失われた」などと嘆かわしげな顔をしていられるのです。 正確に言えば、モノが豊かになれば失われる程度のココロしかなかったひとと、モノが豊かになっても失われないココロをもったひとがいたのです。それを、いっぱひとからげに片付けてしまっては、マズイでしょう。 グルメや海外旅行や芸術が悪いと言っているのではありません。モノが豊かになったぐらいでは失われなかった、確固とした美学や文化が、ここにはあるのです。いま現に、ここに、汚染の少なかった川があるのです。 飲食業界には、あるいは客のあいだでも、店の「客種」のよしあしで店を格付けする悪しき汚れた習慣がありますが、そういうものから超然として、この川は誇り高く静かに流れています。(2002年5月6日改訂) |
1959(昭和34)年開業。 元自称竹屋食堂後援会長は、 「ここは見た目は都内ワースト3に入るけど、 人情は一番」と言った。 うむ。『大衆食堂の研究』に詳しく書いた。 ![]() 京成線新三河島駅方面から竹屋食堂(右側)。 先に見えるのはJR貨物線の踏み切り。 そこを渡ってそのまま進むと西日暮里駅ちかくの、 大きな交差点に出る。 05年4月7日撮影、10日掲載。 竹屋食堂への伝言 ここに展示してある開店当初からの木製のイスは、 ついにお亡くなりになりました。 常連も、高齢になり姿を消していきます。 それだけではなく若かったヨシオクンのあとを追うように、 最近コバヤシさんが亡くなりました。まだ54歳でした。 世間ではロクデナシの、いい男たちが死んでいきます。 コバヤシさんは10数年間、 竹屋食堂の常連であり「名物男」でした。 コバヤシさんが亡くなって、 常連たちはガックリしていますが、 竹屋食堂のオヤジは、 「これで、竹屋の時代は、おわった」といいました。 そうかもしれません。 まだ、竹屋食堂は元気ではありますが、 もうかつてのようにはいかない。 おれも60歳になって、そう思うことがあります。 おれが初めて竹屋食堂に入ってから10年が過ぎました。 竹屋食堂は、もうかつてのような竹屋食堂ではない。 そうカクゴして、でもなくなると、さみしいから、 オカズなんかつくらなくていいから、テキトウでいいから、 続けていてほしいと思うのであります。 (04年4月21日記) 常連のミナベさんが亡くなった。 ブログ版 2006/05/16 某大衆食堂の常連の死を知る |