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北区王子、さくら新道・柳小路
柳小路の福助
居酒屋

閉店しました。
ブログ版 2008/02/20「ついに、やはり、王子の福助閉店。」


(06年10月29日掲載)



たびたびブログには書いてきた柳小路の福助。なかの写真はたくさんある。それもサイトに載せられないような、客たちが気分よく酔っている姿ばかり。なぜか外観は撮りそびれていたが、去る10月20日、やっと撮ることができた。(右の写真は02年に撮影の柳小路の王子駅側の入口。福助は写真左端の裏側のへんになる)

すでにココにつく前に、山田屋で二人で生ビール二杯と高千代辛口の4合瓶を一本あけて、かなりよい気分だった。そのためかどうか、せっかく撮った写真がブレている。だが、この風情にふさわしいかんじがしないでもないね。

福助に初めて入ったのは、1997年のことだ。たぶん8月か9月の残暑のころだったと思う。『散歩の達人』の特集で横丁をやるというので、それじゃあ、ゼヒ王子のさくら新道と柳小路をやらせてちょうだいよという願いがかなって、下見でウロウロしているときだった。

午後4時ごろ、蒸し暑く、冷たいビールが飲みたいよ〜と思いながら、福助の前にさしかかると、ちょうどオバサンが暖簾を出すところで、目が合った。「冷たいの飲ませてもらえますか」「どうぞ、どうぞ」ということで中に入った。

それが縁で、『散歩の達人』97年12月号の特集「元気な横丁世界」に、ここ福助が登場することになった。あれから10年がすぎたのだなあ。

大正11(1922)年生まれの姉、アグさん(いつも、アグリさんと呼んでいるが)と昭和7(1932)年生まれの妹、愛さん(いつも、あいちゃんとよんでいるが)の二人姉妹の居酒屋。

上の画像。福助は扇形の地面に建っているので、福助と左となりのつながった一戸は奥へいくほど狭くなっている。店内は、四角ではなく扇形をしているわけだ。というのも、戦後のヤミ市に始まる一角で、最初のバラックのときの地割のまま、建物だけは昭和27年に建て替えたからだ。写真の開いた戸の奥でカウンターに座っているのは姉のアグさんで、彼女は、ヤミ市時代から、いまでもここに住んでいる。左の店は、いつごろだったか、やっている人が変わった。

アグ婆さんは85歳になって、好きなビールの酒量もチト落ちたようだ。愛ちゃんは、おれより10歳も年上なのに、愛人にしてもよいかな?ぐらい若々しい。こういうところで飲む酒は、じつに味わいが深く、いいのだねえ。福助は福助なりの、他に変えがたい、いってみれば「宇宙」があるのだ。ま、年輪というものでしょうか。ビール中瓶500円だから、大衆酒場のように安く酔うことはできないが、お二人とさしつさされつ2千数百円は覚悟で気分よく、その「宇宙」にひたり酔う。

ときたま婆姉妹がくりだしてくる「H」というより「スケベ」な口撃を、サッとかわしたり、パッと投げ返したりしながら、かといって決してミダラな雰囲気に流れることもなく、興がのればカラオケに一曲つきあい、のらないときでもシツコクされることはないから、ベテラン婆姉妹にこの身をあずけゆらりゆらり。

下の画像は、『散歩の達人』に載った柳小路とさくら新道。大きな写真が福助の店内で、10人入れるかどうかのカウンターだけの店だ。ここに写っている常連客は地元民か、王子に通勤している人たちばかりだった。右端に写っていないが団塊世代のサラリーマンの方が一番若く、大変よく、ご老人たちのめんどうみていた。すでに亡くなった方もいるし、マイクを持って歌っているオバアサンは、いまも健勝らしいが90歳ぐらいだった。

この記事をおれは「駅をはさんだ兄弟横丁」という見出しで、こんなアンバイに書き出している。

 王子は、都内にはめずらしく山あり川あり橋ありの街で、名所旧跡もおおい。けれど、なんといっても面白いのは、JR王子駅をはさんで2つの横丁、さくら新道と柳小路の存在だろう。
 昭和20年、敗戦後の焼野原のバラックから柳小路がはじまった。昭和27年、現在も残る木造に生まれ変わるが、どうしても全戸を収容しきれない。そこで、飛鳥山公園の麓に木造棟割り長屋をつくり、クジビキでそちらへいくひとたちを決めた。それが、さくら新道だ。
……以下略

「クジビキで」についてはビミョーな異説もあるようだが、おれが取材したかぎりでは、これが真相のようだ。こういうことは、それぞれの思い込みやメンツがあって、ゆがんで伝わりやすい。

もしかすると、このご老人たちは、自分の親や職場の上司や先輩だったりするとイヤなやつかも知れないが(そしてそのイヤなやつぶりを想像するのも楽しいが)、ココでは皆さん、ホントによいご老人で、戦争中の話や大日本帝国バンザイの話なんかも素直に聞けちゃうのだった。それぞれに、作家を気どる人たちの、ちゃちな小説やエッセイなどを読むより、はるかに奥行きのある物語があった。

そうそう、10歳以上年下の「ツバメ」を連れてくる80歳代後半のオバアサンもいたり……。

10年もたてば客も大きく変わる。ここに写っていて生き残っていたご老人たちの消息も、だんだん途絶えがちだ。かわって新しい客が来る。

ま、とにかくおれは楽しい姉妹に魅かれ、お世話になっている。が、しかし、はて、この福助は、いつまで続いてくれるのか。

月水金は、愛ちゃんが来るので暖簾が下がっているが、火木は、アグさんは腰が曲がって暖簾を下げられないから、暖簾は出さないまま、上の写真のように、戸を少し開け、同じ位置に座って一人でテレビを見ている。

柳小路も変わりつつある。上の写真を撮っている位置の右側は、柳小路の真ん中に中洲のようなアンバイに固まって古い建物があった。そりゃもうディープなじつにイカガワシくおもしろいウワサの多いスナックなどがあったりしたのだが、最近いま風の貸しホールのビルに建てかわった。駅から見えるところに、こんなコキタナイ横丁があっては、という見方もあるようだ。

そういや、ギターを抱えた流しもいたのだが……。

ここをこえられる以上の街ができるなら、コキタナイ建物が消えてコギレイな建物になるのも悪くはない。だが、コギレイな建物は、必ずしも「よい街」を意味するわけではない。街をつくるのは、ニンゲンだからな。

ま、きょうは、こんなところで。
また書き足す、ツモリ。


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