六日町 大阪屋 高千代酒造
満足泥酔紀行 やっと最終回
二日酔い状態における越前屋旅館と駅便所
(03年6月11日版) うーむ、やっぱ、こういう素なかんじの宿がいいねえ。 六日町は温泉町だから、温泉街ワンパターン的コケ脅かし豪華風温泉旅館がある。おれも一度はああいうところへ泊まって、にわか殿様成金ごっこプレイを楽しみたいものだと切に思っているのだが、クボシュンさんはゼッタイそういうことをさせてくれない。 おれがお城のような旅館に泊まりたいというと、イヤあんたは大衆食堂のようなココがいいのだと勝手に決めて紹介する旅館は、大和屋旅館かホテル宮又なのである。なるほど、つげ義春貧困旅行的、なかなか素な味わい深いたたずまいで、「旅館」や「ホテル」というより「宿」がふさわしい。 が、いつも当日当夜になってからの「予約」だから、大和屋旅館は空いていたことがない。ホテル宮又は、3回ほど泊まった。朝食付1泊4000円か5000円。この1000円の差はよくわからんが季節差なのだろうか? ともあれ、コケ脅かしいっさいナシの素であるが、これがなかなかよい。 24時間流れっぱなしの温泉は、カラン二つだったかにシャワーが一つあるだけだが、コケ脅かしスーパー銭湯じゃないから、素な湯につかるのが基本なのだ。温泉は、それでいい、ああいい湯だなあ。ネエチャンはいないがバアサンがいい。朝飯は家庭の朝飯のようでいい。おまけにめしがうまいから、どんなに二日酔いオゲッ状態でも、めしを二杯以上たべてしまう。 ま、そういうわけで、このホテル宮又の2、3軒となりには、六日町の老舗的大衆食堂的<万盛庵>があるから、ここで夕飯泥酔をやってホテル宮又で朝食付泊まりってのが安くてよい温泉酩酊コースなのだ。 が、しかし今回は電話をするのが夜の10時すぎと遅すぎた。ホテル宮又は空いてなかった。そこで選んだのが越前屋旅館である。ここもかなり古い旅館だ。しかも、おれの家とは縁浅からぬ関係で、それを説明していると長くなるが、苗字は同じ遠藤だが血縁はなく、ま、とにかくおれはガキのころ、ここでよく遊び亡くなった女主人の肩を叩いたりした。そういう懐かしさもあって、クボシュンさんに頼んでここにしたのだが、大和屋旅館やホテル宮又と変わらぬ素の風情の旅館である。だいたい、この3軒とも、六日町に温泉が出る前からあった古い旅館で、新興の温泉街とちがって町中にあって、どことなくかつての素な商人宿風なのだ。 とにかく、その5月18日の夜、クボシュンさんの家を出て、どうやっても焦点の合わない目で越前屋旅館についた。顔の記憶がはっきりしないのだが、オバアサン風(翌朝、女将ではないことはわかった)が出てきて「今夜はもう遅いので風呂には入らずにお休みください」といったのは覚えているが、どうせヨロヨロ入れる状態じゃない。 気がついたら朝だった、朝陽だった。おおっ、目覚めて見れば、なかなか渋い木と紙の風情ではないか、思わず写真を撮り、温泉につかる。風呂は、もちろん湯が豊富で流れっぱなし。ああいい湯だなあ。 朝飯を食べる。そうだ、越前屋は朝食付1泊6000円で、宮又よりは高い。宮又は安いぶん、建物が少し傷みがあるし、それはそれで味わい深いのだが畳も古女房風だし、朝食のおかずの種類も越前屋より少ない。しかし、納豆、タマゴ、梅干と漬物、海苔、という基本は共通しているね。宮又は、そこに生タラコの2センチぐらいがついているのが、印象的だった。おれがこの町に住んでいたガキのころ朝食のおかずに、当時は生じゃなく焼タラコが、よく登場したものである。 越前屋の場合は、朝から豪勢な、山菜のおかずがいろいろあって覚えてない。味噌汁の具はワラビ、それにワラビのおひたし、コゴメのサラダ風?、それからエート覚え切れなかった、あくまでも山菜という山の草だね、うまいんだなあ、これでは夕飯のおかずはどんなに満足かと思った。 だから6000円なのだろう。家庭料理の味わいで、文句なし。それに、ナント、心にくいことに、おれが座ったテーブルの上には、さりげなく、ただの小さな縦長の湯のみに、小さな野の花らしきを二輪落としざしで置いてあって、朝食の気分も一層サワヤカというぐあいだった。まさにシミジミ素な心づかい。コケ脅かしの旅館やホテルじゃお目にかかれないね。まだアタマは酒シビレで朦朧だったけど、めしはうまくて二杯食べられた。 ふーむ、いいねえ。豪華じゃないけど、木の渋い素なかんじが生きているねえ。なんだか、この「御手洗」の風情まで気に入って写真を撮り、そしてその中から部屋の入り口を撮った。こちらで越前屋旅館が見られる。「気取らず長期滞在できる安らぎの宿」だって。まさに! ついでに大和屋旅館はこちら。どうです、いずれも素な風情がよいでしょう。 で、まあ、身体全体がフワフワ心地よい酔いのなかにいるかんじのまま勘定をすませて表へ出た。駅へ行くと駅舎の一階の六日町観光協会はすでに仕事を始めていた。クボシュンさんは、もちろんちゃんと仕事をしている。どういう挨拶をかわしたか覚えていない。 二階の駅の改札口へ行くと列車の時間まで30分ある。なんだかウンコが出たい。アタマはしびれたままでウンコが出たい。また一階に下りて、観光協会の隣の公衆便所に入った。大便のほうである。入って、しゃんがんだか腰掛けたか覚えてない、とにかくパンツを下ろしてやろうとして前を見ると、どうも女性の便所ではないかと思われるものがおいてあるのだ。 シマッタ、まだ酔っているから間違えて女便所に入ったらしいとあわててパンツをもどし、大便所の外へ出ると小便器がある。ジャここは男女兼用便所かと思ったが、たしかに入るときの入り口に男マークがあったような気がする。いちおう念のためにと思って外へ出ると、向い側に女便所があった。ナンダやはりおれは正常だったと思い、もどってアンシンしてウンコをした。 しかし、これは面白い、いったい何に使うのか、写真に撮っておいた。フタはおれがあけたのではない、あいていたのだ。 こんな写真を撮ってどうする。この用途は、なにか? さあ考えてみよう。タブンなにか心づかいなのだろう。こういうことするひとがいる町は、いい町のような気がする。 これで六日町をあとにした。清水トンネルをこえて関東に入ったら、苗を植えた田んぼは、ほとんどない。小麦の刈り入れがおわった畑が広がっていた。それは間もなく、二毛作の水田になるのだろうが。 狭い日本だが、気候、風土、とうぜん人間も味覚もちがう。そのちがいを、アタフタ薀蓄グルメに流されることなく、ゆうゆうと楽しみ味わいたいものだ。 帰ってから、また土産の高千代本醸造を飲んだ。クボシュンさんの奥さんにもらったウドと竹の子を食べた。うまかった。しばらく、草のウンコが出た。あくまでも、ウンコまで、素な小旅だった。 |
これ、読んでくれたひと、どれぐらいいるのかな。
感謝のシルシに、高千代辛口の写真をごらんいただきます。ゴックン。
どうも長いあいだ、ありがとうございました。