六日町 大阪屋 高千代酒造
満足泥酔紀行 第1回
魚沼コシヒカリ田植え風景

(03年5月21日版)
川端康成は『雪国』という小説で、「トンネルを抜けると雪国だった」とアタリマエのことを書いたらしいが、モシこの時期なら「トンネルを抜けて湯沢をすぎると、美しい田んぼだった」と書くはずだ。

清水トンネルの関東側は、まったくといってよいほど水田はなく、見えるのは小麦畑の多い畑の景色である。しかし、新潟県側に入り山間の湯沢をぬけるとガラリ景色が変わる。

越後湯沢駅で新幹線から普通線に乗り換える。列車は六日町盆地に向かって一路下る。すると水を満々と溜め、青い可憐な苗が風に揺れる水田が、ばぁーーーーーっと広がるのだ。いやその美しいこと。

ま、つまり、こんな写真の感じだね。塩沢駅の少し手前、上越国際スキー場あたり、車窓東側の景色。湯沢をすぎないと、こういう景色にならない。
六日町駅到着前の車窓西側の景色。田植えのすんでない田んぼもある。見えてる魚沼丘陵の山のピークは6百数十メートル。六日町ミナミスキー場がある。高校生のころは山岳部の部活で、毎日このあたりを走りまわっていた。山の向こう側は十日町市。

この写真では、おれがガキのころと風景はほとんど変わっていないようだが、じつは周辺は建物が増え、また新幹線や関越自動車道が突っ切るなど、田んぼは減りずいぶん変わった。それでも、圧倒的に田んぼである。

田んぼがこのように区画整理されたのは、おれがガキのころで、一見自然に見える景色も人間サマが手を加え変わり続けているのだ。そうして大勢が食べてきたのだ。

車窓から見えた田植え風景は、じつにさまざまで、機械で自動的にやっているひともいれば、ナント、手植えでやっている人もいた。機械が持ち込めない場所もあるようだ。それだけではなくて、コダワリなのだろうか、昔の道具を使っているひともいた。

その道具は、手植えでやるためには、田んぼのなかの土の面に、苗を等間隔に植えるための目印となる線を先に刻むのだが、それはある種の木製の升目の道具を転がしてシルシをつける。そうとう古くから使われている道具と思われる。それをまだ使っている人がいておどろいた。おれがおどろいただけではなく、高千代の酒宴の席でもそれが話題になって、地元の人もおどろいていたぐらいだ。

これは高千代酒造の真ん前の田んぼ。
ただし酒造りに使う米ではなくて、コシヒカリの田んぼ。
コシヒカリで酒をつくっていると思っているひとがいるし、
そのように間違われそうな宣伝もあるが、
酒造りには専用の品種を使う。山田錦、五百万石、美山錦などいろいろ。

中央、奥に見える残雪の山は、一番上の写真の正面奥の山とおなじ。
実際の巻機の山頂は、この裏側に隠れて見えないが、
この山塊は「巻機」と呼ばれている。2000メートル弱。
深田久弥の日本百名山の一つ。
高千代酒造は、その山すそにあって小規模で生産量が少ない。
しかし地元の酒好きのあいだでは人気がある。
普通酒は「高千代」で純米吟醸は「巻機」という銘柄。
東京近辺で置いている店は少ないのでガンガン飲んできた。がははは。


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