坂戸山![]() 2001年11月某日、ついでがあって故郷の六日町を訪れた。 町の東側にある坂戸山は昔と変らない、真っ赤な紅葉だった。 この山に最後に登ったのは、1962年3月1日か、その前後である。 山も町も数メートルの雪にすっぽり埋まっていた。 同じ町内の同じ歳の友人で、よく一緒に山登りしたマサオくんが、 高校卒業して東京へ出たら、もういつ登れるかわからない、記念に登っておこうと言った。 雪がしまっている早朝に登るのが楽でよいだろうと、平日だったが、 登校前の夜明けと同時ぐらいに家を出た。 わずか標高六百数十メートルの山だが、急である。高度を増すごとに景色がかわる。 想像したとおり、ほとんど埋まらない雪の上を一歩一歩すすむごとに、 まだ雪の中で灯火をかかえて眠っている町が足下にひろがり、 しだいに盆地全体が視野に入る。 坂戸山は記憶以前から、毎日見上げていた山だ。 初めて登ったのは、小学校に上る前で、父と母が一緒だった。 小学校3,4年になると近所の友達と登るようになった。 学校が終わってから数十分かけて、この山まで行き、薄暗くなるまで、 写真のふもとの辺に見える杉林あたりを舞台に、 チャンバラごっこに狂じた日は、数えきれない。 この杉林には、六日町小学校の学校林があって、何度か植林に行ったこともある。 中学生になると、一人で登ることが多くなった。 ちょっと仲のよかった同級生の女の子と登ったこともある。 六日町高校に入学して、山岳部に入った。 早々に驚いたことは、そのトレーニングは嘔吐するほど激しいと評判だったが、 この坂戸山の頂上まで、駆け足で往復するのである。 この急な、標高差400メートル以上ある頂に駆け上るなんて、 信じられなかったが、一週間もやると平気になって、 あとはタイムを短くするのが愉しみになった。 見えにくいが、この写真の左端の尾根の直下に色がちょっとだけ違うところがある。 立岩といい、数十メートルの垂直の岩で、 ここでは毎週土曜日に岩登りのトレーニングがあった。 Hが転落したときのことは忘れられない。 「あっ」という声と同時にケンイチくんの姿が岩から消えていた。 ところが、奇跡的に下部から張り出した木の枝に引っかかって助かったのだ。 おれの成長と共にあった山だが、冬には登ったことがなかった。 冬山登山の対象にするには、あまりにも身近すぎて、考えつかなかったのだ。 マサオくんがバスケット部だったのが良かったのかもしれない。 その日は、どんよりした冬空だったが、雲は高く、 遠くの苗場山神楽峰まで周囲の山は全て見えた。 おれたちは、ときどき歩を止めては、景色をながめた。 言葉は少なかったように思う。 もしかしたら、これが、ここから見る故郷の見納めかも知れないという感傷が多少あった。 頂上直下で思いがけないことがあった。 固まった雪が、数メートルの深さでパックリ割れていた。 ことに頂上周辺は急で、雪面が安定していなかったのだ。 念のためにとピッケルと細引きを持っていたのがよかった。 ちょっと雪壁登りの気分をだして軽く突破、頂上に立った。 そして2人でウイスキーのポケット瓶を飲みかわして祝った。 雪の湖に突き出した岬の頂のような一等三角点だ。 マサオくんとおれが一緒に登った、八海山や中の岳、巻機連山も見えた。 玲瓏とした景色に、厳粛な気分になった。 学校があるから、あまりゆっくりしていられなかった。 かけるように下った。 空腹にアルコールを入れたためか、少し酔いがまわって、 宙を駆け雪の町へ飛び込んでいくような下りだった。 けっきょく、おれにとっては、それが最後だった。いまのところ。 マサオくんとは、大学に進学して上京した、その年に一度会っただけだ。 おれの実家もマサオくんの実家も、すでにこの町にはない。 (2001年12月1日記) (2002年3月6日追記) ![]() 友がいて故郷 六日町中学の同級生から、このホームページを見てメールをいただいた。 久保田俊介さんといい、六日町に在住。 中学3年生のとき同じクラスで思い出の多い級友である。 じつに40数年ぶりの「再会」だ。 そして、この写真を送っていただいた。 今年の元旦に坂戸山登山をしたときのものだそうである。 ここに書いた、坂戸山登山から40年ぶりに見る光景だ。 おれが登ったときは、もっと雪が多く、 また早朝の曇天だったため薄暗かった。 たぶん人家がふえたりで変わっているのだろうが、 雪景色は同じように見える。 手前が坂戸山、前を流れるのが魚野川である。 ふるさとの山や川はありがたきかな、であるが、 なによりも、ふるさとの友はありがたきかな、である。 ありがとう。 |