神戸元町 暖簾には「家庭の延長」。小さいけれど安いメニュー豊富

皆様食堂

神戸市中央区北長狭一丁目 JR高架下

(05年7月25日掲載)

大衆食堂は地域のイキモノだ

おれが昨年12月に神戸へ行ったワケは、幻堂出版などが主催する「幻堂百年祭」12月7日(火)12日(日)の全5日間のプログラムのうち、11日の「東西大衆食バトル対談」トークショーに参加し、狂信的な「関西原理主義者」たちと、単身「東を代表」し闘うためだった。そして、行ってみたいと思っていた「皆様食堂」に入った。

このときは往きには京都に泊まり、京都で有名な食堂「スタンド」も初体験するなど、京阪神泥酔紀行をやっている。その概略を簡単にメモしておこう。

9日(自宅)→(京都)新京極の食堂「スタンド」→桂の串カツ飲み屋「だるま」→ホテル泊
10日(京都)新京極の立食いうどん屋名前?→(大阪)梅田の立飲み「大阪屋」→(神戸)新開地、ボートピアそばの立飲み名前?→三宮「皆様食堂」→六甲、幻堂百年祭会場→居酒屋で飲み会→女体の詩人宅泊
11日女体の詩人宅→新開地のうどん屋名前?→六甲、幻堂百年祭会場、昼、六甲駅近くのお好み焼き屋名前? バトル対談、夕刻会場近くのとんかつ屋名前?→居酒屋で飲み会→ラーメン屋名前?→女体の詩人宅泊
12日女体の詩人宅→三宮、元町「丸玉食堂」→六甲、幻堂百年祭会場→(大阪)大衆酒場「松屋」→ライブハウス名前?「ふちがみとふなと」ライブ→「村さ来」→ホテル泊
13日(大阪)うどん屋名前?→(小田原)居酒屋「天金」はしご「清盛」→(自宅)

ま、ザッと、こんなぐあいで、帰りは小田原でも途中下車して、知人とハシゴ酒をやっている。ずっと酩酊状態で、カメラを携行し写真もだいぶ撮ったつもりなのだが、メモリーには一枚も残ってないのである。おかしいなあ。そういうわけで写真は、ない。

では、以下、今春発行のオヤジ芝田著『神戸ハレルヤ! グルめし屋』(編集制作・幻堂出版。完売済)に書いた、長文の「解説、なようなもの」からテキトウに抜粋しながら、テキトウにつなげ、皆様食堂をお届けしよう。お断りしておくが、「解説、なようなもの」そのもではない。

丸玉食堂については、いずれ別に書きたい。台湾料理の、とてもよい食堂だった。


神戸の大衆食堂ホメ殺し?

  私は「新潟中越地震」の被災地の一角、南魚沼の出身です。
  さいわい南魚沼は震度5強で直接の被害は少なくてすんだが、被害の大きかった長岡や小千谷、川口には知人がいて、住まいも店も倒壊して商売を再開できないひともいれば、ドカ雪のなか仮設住宅暮らしのひともいるし、傷んだ家が雪の重さでつぶれないようにと何回もの雪下ろしで腰を痛めたひともいる。
  それに、ただでさえヨロヨロの田舎経済は、期待の観光収入の激減で、三次災害といわれる経済問題のほうが、これから重くのしかかりそうだ。神戸の震災も復興も、依然として抱えている困難も、他人事とはおもえない。
  現在、さいたま市に住んでいる。
  震災の故郷を訪ねて1ヵ月後の12月、初めて震災後の神戸へ行った。そして神戸の大衆食堂に初めて入って、神戸のすばらしさを知った。
  ひごろ、日本を知るには、あるいは東京を知るには、あるいはどこかの町を知るには、大衆食堂に入るのがイチバンよいと言いはっているのだが、神戸であらためて、そのことを強く言いたい気持になった。
  それにしても、神戸の大衆食堂は、すばらしい。
  神戸に着く前の日、12月9日は京都に泊まり、京都の大衆食堂に入った。四条の新京極通りにある「スタンド」。有名店といっていいだろう。
  ここもすばらしい大衆食堂だ。大正から昭和初頭のモダニズムの面影を、そのまま建物の細部からインテリアにまでたくわえたようなたたずまいが、ほかにない特徴である。いかにも古都らしい年輪をきざんで落ち着いた店の雰囲気。
  しかし大衆食堂らしく、店も客も気どってはいない。安いうまい豊富なメニュー。大生セット一一四〇円、日替定食八六〇円、ラーメンライス定食六四〇円、かす汁四〇〇円、ぶた天六〇〇円……。かす汁、ぶた天を見ると、「関西に来た」という気持になる。
  大生セットを注文した。ドカンの大ジョッキ生ビールに、メンチカツやポテトサラダや枝豆など数品が一皿に盛られ、大満足。
  ま、京都のことはいいか。
  そのあと神戸へ入ったものだから、よけい神戸のすばらしさにおどろいた。
  すでにここまで何度、神戸は「すばらしい」を連発したであろう。ホメ殺し? そうではない。

アタリマエではない神戸の大衆食堂

  おおざっぱに俯瞰すれば、神戸の大衆食堂密集地帯は、新開地と、三宮元町地域の二ヵ所だろう。私がおどろいたのは、繁華な都心である三宮や元町に、大衆食堂がたくさんあることだ。
  神戸のみなさんは、アタリマエと思っているかもしれない。大衆が集まる繁華な都心に大衆食堂がたくさんあるなんてアタリマエじゃないか。
  ところが、ちがうのだ。
  新開地のような、柴又生まれの寅さんが「労働者諸君!」といって現れそうなところに大衆食堂があるのは、フツウといえる。それから大阪のジャンジャン横丁、東京新宿の思い出横丁のような、とくに戦後復興期に名をはせたヤミ市風の大衆的な飲食街は、あちこちにある。
  が、都心の中央、ギンザのような老舗が軒をつらねる商業地域や、ギンザに隣接する丸の内のようなオフィス街に、元気な大衆食堂を探し出すのは、なかなか難しい。先の京都の「スタンド」のある地域も、京都の繁華な中心だが、これぞ大衆食堂といえるところは少ない。
  しかし神戸は、どうか。三宮や元町をフラフラするだけで、魅力的な大衆食堂に簡単に出会えるのだ。その数もさることながら、個性ゆたかでバラエティに富んでいる。
  思いつくままあげてみると、皆様食堂、末広食堂、マルイ食堂、友光食堂、青葉、丸玉食堂、金時食堂、八島食堂中店、四興楼……。
  せまい地域に、点から線へと面をおおうように大衆食堂がある。それも、焼き魚や煮物の好きなおかずを一品一品選んでめしを食べるスタイルもあれば、豚まん一皿や豚足一人前から食べられる中華食堂もある。ああ、皆様食堂のみそ汁の種類の多いこと、オバチャンとしゃべりながら関東煮でイッパイやるたのしさ。

神戸市長選立候補の弁ではないが

  うーむ、残念ながら、東京は「食都」などといわれるが、有楽町から銀座そして日本橋にむかって歩いても、これだけの大衆食堂を見つけるのは困難だ。渋谷、新宿、池袋も似たようなもの。
  六本木や東京駅周辺の八重洲や丸の内にいたっては、人間はウヨウヨいるのに、街に「年輪」や「大衆」の香りはゼロにひとしい。大衆食文化貧困地帯。
  三菱地所や森ビルのような不動産屋のビルが勝ち誇ったかのように華やかにそびえ、市場主義マーケティングが吐きだすカネ臭い息が地域をおおいつくしている。華やかだがナカミのうすい大企業ド不動産屋成金文化だらけで、地域の歴史や文化などは窒息している。
  ま、それが日本の「中央」のアリサマというわけですが。
  しかし、東京のために弁護しておけば、そういう「中央」のアリサマだけが東京の姿なわけではなく、地域的に見ればホンの一部なのだ。
  東京にも、毎日かよって見たい、毎日でもあきない、こういう大衆食堂が近くにあったら自分で食事のしたくをするのがイヤになると思わせる、これぞ大衆食堂と言いたいすばらしいところが何軒もある。
  ただ、それが点でしかない。都心の繁華な地域に少ないし、東京の大きさ人口の多さとくらべても少なくなっているし、激しい減少の一途をたどっているのも事実だ。
  だから、神戸がウラヤマシイ、と思うのである。
  しかし、また神戸も、もしかすると東京の「中央」のようになりはしないかという危惧もある。
  だが、神戸の可能性は、東京の「中央」をモデルにするより、たくさんある地元の大衆食堂、それをとりまく地域の人びとの活力にあるのではないだろうか。神戸の大衆食堂、いや、すばらしい大衆食堂が都心にまで密集している神戸のパワーにこそ、神戸の発展の源をみるべきでしょう。
  と、いきなり神戸市長選立候補演説のようになってしまったのでありますが、私は市長選に立候補するために、この解説を書いているのではないのですね。

東西大衆食バトル対談の続き

  この解説は、「東西大衆食バトル対談」の続きのツモリである。すまんが、またこの本でオヤジ芝田さんに勝利するツモリだ。
  もっとも「バトル対談」の勝利は、口舌の勝利だから、食文化の勝ち負けとは関係ないし、食文化には個性があるだけで優劣などないのだ。神戸には神戸の大衆食、東京には東京の大衆食があって、それはトウゼン私や芝田さんに関係なく大衆の生きるエネルギーで成り立っている。
  それはともかく、私が神戸へ行くにあたって、ゼッタイ入ってみたい大衆食堂が一軒あった。皆様食堂である。それ以外は興味がないというのではない、時間がないなかで、まず一軒えらぶとすれば、という意味である。
  その皆様食堂が、私が神戸の大衆食堂や芝田さんと出会い、ついにはここでこうやって何かを書いているキッカケなのだ。
  私は「ザ大衆食」というホームページを作っている。そこに「入ってみたい大衆食堂」というコーナーがある。出先で見かけたけど、時間の関係などで入れなかった大衆食堂や、Webでみつけたソソラレル大衆食堂などを掲載しリンクをはって収集しているのだ。
  ある日、神戸出身の知人に、神戸には皆様食堂というエエ大衆食堂があるよ、神戸へ行ったら入ってみて、と言われた。
  私はそれまでのエキゾチック神戸観光的イメージで、へえ〜神戸のようなコジャレ気どった街に、エエ大衆食堂なんかあるのかい、と思ったが、とりあえずWeb検索した。すると、オオッ、あるではないか。
  「皆様食堂」の検索で、いくつかヒットしたなかに、文章は少ないしおもしろくでもないが、写真を大きく掲載した、これは入ってみたいねと思わせるページがあった。
  白地に赤い太い文字で皆様食堂とある暖簾も、店名もいいじゃないか。それに店内の関東煮の大きな鍋の汁の濃いこと。うーむ、これはまさに関東煮だ。カンジンな関東の東京のおでんは「関西風」におかされ、これほど濃い色は「少数派」になりつつある情けない状態だが、すばらしい。などなど、とにかく写真に魅かれ、勝手にリンクをはった。
  それが、オヤジ芝田さんが管理する、MSHIBATA'S HOME PAGEのなかの一ページだったのだ。

まずは大衆食堂密集地の新開地へ

  私は12月10日に神戸に着いた。
  白地に太い赤い文字の暖簾がさがるインネンの皆様食堂に期待をふくらませ。
  その日の朝は京都である。京都の安ホテルの一室で、寒くて目が覚めた。なんと、下着だけで、ベッドの上でフトンもかけずに寝ていたのだ。前夜、どうやってホテルにもどったか覚えていない。ヒドイ二日酔いである。まず薬局をみつけ、ソルマックを一本やる。
  京都から阪急で梅田に出て、前夜のアルコールと一緒に串カツの油が口から胃にかけて残っているようなアリサマで、串カツ立ち飲みでイッパイ、ああ大阪だねえ。
  私は、いま「串カツ」と書いたが、ふだんは「串揚げ」と言ってしまう。そのときも昼から「串カツ」にほろ酔いの頭で、こう思った。
  東京じゃ「串揚げ」がふつうで、串カツの店は「関西風串カツ」とかやっているね。どうして関西は「カツ」というのかねえ、「カツ」は肉じゃないの、野菜や魚貝まで「カツ」というのはどうかと思うよ。インチキ表示でしょう。包括的には「フライ」「揚げ」じゃないの。……あははは、いつでも東西バトル。
  そして梅田から阪急で三宮へ行こうと電車に乗った。しかし社内で電車の路線図を見ているうちに途中で気が変わった。まだ時間も早いし、ちょいと新開地へ行ってみよう。
  新開地は行ったことがない。一度タンケンしてみたいと思っていた。

ついに皆様食堂の前に立つ

  新開地駅のホームにおりたら、初めてとはおもえないひとたちがいる。東京も浅草六区の場外馬券売り場の周辺で見かけるようなひとびと。かぶっている帽子、着ているブルゾン、手にしたシンブン……。このスタイルが、それぞれに主張があってキマっている。
  このひとたちのあとについていけば、イイことあるにちがいないとニオった。ギャンブラーが、安いうまい気さくなよい店の達人であることは、東も西もおなじだ。
  地図もなく土地勘もない私は、かれらのあとにつづいた。すると、ありましたありました。しかし、ずいぶんたくさんよさそうな飲食店があるねえ。この雑然とした猥雑な街の味わいが、たまらなくよいねえ。
  ざっとウロウロしてみたが、新開地は、「浅草六区の小規模貧弱版」どころではない、底知れぬデカさ。これは、じっくり歩かなくてはだめだし、それには時間がない。しゃあない、まずは立ち飲み、と、そこでなぜか、ボートピア近くの立ち飲みで、また串カツでビール。
  ふたたび通りに出てフラフラ歩く。堂々たる「大衆食堂」の看板暖簾がならんで目につく。うーむ、西の新開地、なかなかのものだ。渋いフンイキもいいぞ。マルイチ食堂のアーチ型暖簾なんぞは、少なくなった希少価値。かつてのモダンでハイカラな心意気をかんじるねえ。
  しかし私は、ここで食べるわけにはいかない。これから皆様食堂へ行くのだから。
  大衆食堂に入ったら飲むだけじゃなく、めしをくわなくてはならない。最近はめっきりくえなくなった。数年前までは取材などで、昼間のうちに三軒ぐらいハシゴして大衆食堂の大めしをくえたのだが。トシはとりたくないねえ。
  またいつの日か、じっくり新開地を味わってみようとココロに誓い、三宮へ向かう電車にのった。
  芝田さんのホームページで、皆様食堂は三宮駅高架下にあると知っていたが、それ以上くわしいことはわからない。住所も電話番号も控えてこなかった。
  だいたいどこへ行くにも予備知識も地図もなしで行き当たりばったりフラフラするのが好きだ。ま、なんとかなるさ、みつからなかったら捜し歩くのも、街を味わう散歩のうち。一直線に目的地から目的地なんてツマランね。
  しかし、駅改札口を出てすぐのところ、まさに線路の下、細いにぎやかな路地があって、のぞきこんだら、それらしい暖簾が見えた。
  ついに私は、あこがれの皆様食堂の前に立ったのだ。

たのしいねえ皆様食堂

  たしか二時すぎだった。先客が二人。若い男は食事、中年の男が熱燗をやっている。
  馬蹄形というかコの字のカウンター。十数名もすわればいっぱい。
  そのカウンターの先端部分の客席の前に、ドカーンと「おでん」、いや「関東煮」の大鍋が。現物を見ると感激ですなあ。ほんとに色が濃い。うーむ、これが関東の色なのかと、まじまじ見る。
  いったい、これじゃ「東西バトル」は、どうなるのだ。東が西をマネ、西は東をマネ。現実はバトルというよりマネっこではないのか。マネしあうって、いいことだよ。貶しあって蹴飛ばしあってもいいことないもんね。世界も日本も東西異文化の交流で刺激しあい発展してきたのだ、バトルなんかやめましょう……。でも、「東西大衆食バトル対談」で神戸にきたからには、なにがなんでも勝たねばならぬ。
  手製の紙短冊メニューが、どどどどどっと貼ってある壁際のイスにすわる。
  カウンターの中ではオバチャンが、手元の紙短冊メニューの山から選んでは、壁に貼ってあるのと取り替えたりしている。
  とりあえず、びんビール、関東煮は厚揚げ、大根、玉子と注文。
  サテ、めしは何を食べるかと壁のメニューを見るが、たくさんあって、見るのがめんどうになる。みそ汁だけでも十種類以上。あとでかす汁は頼もうと決め、ツマミにもなるヤキメシを注文。
 すると、オバチャンは、壁に取り付けてあるラッパ管のようなものに口をよせ、「ヤキメシ」と発声するではないか。
  オオッ、これは、むかし戦争映画で見た潜水艦のような。そういえば、この店のつくりは、潜水艦のなかのようなかんじがしないでもないぞ。なにしろ高架下にもぐっているのだし。
  しかし、潜水艦の壁の紙短冊メニューは何を使って書いているのか、紙にワザワザ色を塗って、その上に文字を書くというめんどうをし、しかもそのいくつかにはキラキラ金色銀色に光る粉のようなものが輝いている。
  「これは、なんなの」と、その粉の正体を聞いたつもりだが、オバチャンはニッコリ笑って、「これはね、ほら、クリスマスだからよ」
  ラッパ管といい、キンキラメニューといい、オバチャンといい、たのしいねえ、いいねえ。それにこれだけメニューがあったら、一ヵ月毎日かよっても食べきれないよ。うーむ、タイの刺身も安い、食べたいなあ。

戦争と震災の生き残りたち

  先客の二人は帰り、また若い男が食事をしにきた。
  すると、ドカドカギャオギャオ「ここはな、安くてうまくていいぞ、オカミは美人じゃないが、こんなにいいひとはいないよ」(もちろん神戸の言葉とイントネーションであるが)などと入ってきた完全ヨッパライ老人の一行5、6名。
  みな八十歳前後で、海軍生き残りの宴会の流れとか。
  先頭きって引率してきたメガネのオッサンは、とても八十歳には見えない。「ここはな、安くてうまくていいぞ、オカミは美人じゃないが、こんなにいいひとはいないよ」「いくら飲んで食べても、ここならしれているよ」をくりかえす。正確には「オカミ」とはいわずに「ナントカちゃん」と名前をよんでいたが。
  ときどき、おれや食事をしている若い男に、「すまんね、うるさくて、かんにんね」などと気をつかうことも忘れない。
  食事の若い男は「どうぞどうぞ」
  おれも「ああ、おれも酔っ払いだし、酔っ払い好きだから、気にしないで勝手にやって」
  別の老人が、ビールをつぎにくる。食事の若い男は、「いや、まだ仕事中なので」と断る。おれは、モチロンちょうだいする。
  別の老人たちが「ここは御国の何百里」が反戦歌だったかどうかで議論している。
  ヨロヨロで口もよくまわらない別の老人が、「焼酎、焼酎、おれに焼酎」と叫ぶ。
  オバチャンが「もう飲まないほうがいいんじゃないの」と心配する。
  「大丈夫、大丈夫、もう死んでもいいから好きな酒のませて」
  その間にも、引率者は「ここはな、安くてうまくていいぞ、オカミは美人じゃないが、こんなにいいひとはいないよ」をくりかえす。
  かくて、おれは、関東煮がうまいので何品か追加し、ヤキメシもつまみにしビールを飲み、腹いっぱいになり、かす汁をあきらめなくてはならなくなった。
  帰りがけ、老人軍引率者と握手。
  「戦争でも震災でも生き残ったのだから、長生きしてよ」
  「ああ、ありがとう、どこへ帰るの、このへんのひと?」
  「東京」
  「えっ」
  大衆食堂ならではの出会いだ。それに、まさに「皆様」食堂だねえ。

大衆食堂は地域のイキモノだ

  『ミーツ・リージョナル』04年8月号。 表紙に「うまい、安い、は もう食堂にしかない」「めし・おかず・汁 食堂一直線」というフレーズが。掲載の食堂は、ほとんど大衆食堂の範疇に入るものだ。
  めくると、本誌の中華食堂が好きだと言う青山裕都子さんが「店も人も愛嬌がある方がやっぱりたくさんの人に愛される。だから食堂は街の人気者なんだな」という見出しでコラム書いている。
  「そこでは(遠藤【注】=神戸のグラン・シノワやビストロ中華店のこと)料理も盛られる皿も、その店のスタイルで完結している。だからこその店の迫力も、そこから生まれるのだが」
  「中華食堂は乱暴に言うと店が完結していない。その暖簾から、その店のある街や通りを歩く人に繋がっている。もしグラン・シノワの店同士がチェンジしても違和感はないだろうが、中華食堂はその場所にあってハコと常客とが吉本新喜劇の食堂のように1つのセットになっているから入れ替われない。そういったニュアンスはおかずを取る食堂にも共通していて、つまりそれが店の味と言われるものなんだろうなぁ」
  鋭い指摘だと思う。
  大衆食堂はイキモノであり、イキモノである街や、イキモノである街に暮らす人びとと深く結びついている。東京の大衆食堂には東京の息づかいが、神戸の大衆食堂には神戸の息づかいが、あるのだ。それは、ワタシはワタシで代替がきかないように、ほかに代替がきかない「土着」の息づかいである。

力強く食べ力強く生きる

  こうして私は、また最初の神戸市長選立候補の挨拶にもどるのでありますが……ちがう。
  すばらしい大衆食堂がたくさんある個性豊かな街、神戸が、三菱地所や森ビルなどのド不動産屋の跋扈が象徴するような、東京の「中央」をモデルにして、地域の可能性の芽を摘んでしまうことはないだろうと思うのであります。
  自分の身近にある、地域の息づかいタップリの飲食店を再発見してほしい。そして、神戸から、これからの大衆食文化の可能性を、大いに情報発信してほしい。
  神戸は、それができるはずだと思う。
  神戸がやらなくて、どこがやる、という気持である。
  なぜなら、神戸にはすばらしい大衆食堂がたくさんあるし、神戸の人たちは、やはり震災を経て、地域文化つまり地域の息づかいのなかで生きることの意味、今日生き明日へとつながる日々の食を支える大衆食の大切さを、再認識したのではないだろうか。
  私が直接知る神戸の人たちというとアホバカ幻堂一味だけなのだが、アホバカなだけに、そのことがヒシヒシ正直に伝わってくる。
  「コイツら、ホントウに神戸が好きなんだなあ、神戸で生きることがうれしいんだなあ」
  私は、幻堂百年祭で、10日から12日まで彼らと一緒にすごすあいだに、何度かそう思った。たとえば、駅前のパン屋の「ここがうまい」を語るにしても、「神戸が好きだ」がこもっているし、そのパン屋といえば、どこにでもあるパン屋ではなく、その駅前にしかない小さなパン屋なのだ。
  私は、その思いも、そのパン屋も、その神戸も、なにもかもシャクにさわるほど、うらやましく思った。ああ、これじゃ東西バトルは東の負けか、おれが悪いんじゃない、東京人の根無し草のバカどもが悪いんだ、アアッおれも埼玉の根無し草……。
  大衆食文化というのは、そのように地域の人びとの「この街が好きだ」という思いと共に生きて、語り継がれるものだと思う。
  街はイキモノであるがゆえに、変わっていくだろう。古い建物は、いつかは壊れ、新しく建てかえられる。しかし、「神戸が好きだ」という思いは、大衆食文化と一緒に語り継がれ、語り継がれることによって、好きな街は姿を変えても、地域の息づかいが伝わる街でありつづけるだろう。

大衆食はブンガクじゃない

  自慢じゃないが、私だって、肩書には「フリーライター」とあって、大衆食系の本を二、三冊書いてはいるが、これがプロの文章か、ただのアル中じゃないか、と、よく言われている。
  うふふふ、いいのだ、それで。
  ちかごろの大衆食分野では、高級食通文士のマネゴトをした、ブンガク的装飾や能書きの過剰が目にあまる。
  大衆食でブンガクを気どるなんて、しゃらくさいのだ。
  大衆食で通を気どるなんて、しゃらくさいのだ。
  ジャージを着て、ゾウリをつっかけて、「オバチャン、ビールとヤキメシ!」と怒鳴れるのが大衆食堂だ。ま、もちろん、ビシッと流行ファッションできめたひとだって、このアサリのみそ汁うんまいんねえ、とやっているが。
  そういうユッタリ幅のある包容力やフトコロの深い可能性こそ、大衆食堂なのだ。ここでは、ビンボーニンもカネモチも、オリコウさんもバカも、文章のウマイやつもヘタなやつも、日本文を書けるやつも書けないやつも、社長も社員もフリーターも、みな一緒のゴチャゴチャ。きょう生きてめしにありつけたことをよろこび、明日もこうしてめしをくえるといいなあ、と、食事を快楽するのだ。
  皆様食堂だって、キャッチフレーズは「家庭の延長」である。家庭でめし食べながら、能書きブンガクするやつがいるか。

  気どるな!力強くめしをくえ!


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