消滅録5 01年5月21日版 06年3月14日、古い写真の紙焼が出てきたので、大改訂する。 大衆食堂 泉や 筆書き短冊メニューがずらり 「大衆食堂」と「酒亭」を併記。酒を飲みめしをくい、くつろぐところ。 江戸期の「縄のれん」の伝統か? 写真は全て1996年ごろ撮影。ビールが安いのが、ここのウリだったね。 (01年5月21日記、12月25日改訂、02年7月12日改訂、06年3月14日改訂) 埼玉県与野市大字下落合1035(現さいたま市中央区)京浜東北線与野駅西口与野銀座商店街にあった「大衆食堂 泉や」は、1997年ごろ、駅前再開発事業のなかで、消えた。いまこの地域は、さいたま新都心の一角として、丹下健三風の単なるコンクリートと鉄のカタマリと化した。 筆書き短冊メニューがズラリの光景は、60年代70年代の大衆食堂ではアタリマエであり、とくに感動もなかった。しかし、この写真を撮った96年ごろは、すでに、めずらしい。そして、いかにも、大衆食堂らしい猥雑さに、感動した。そういえば、たしか1980年ごろの浅草にもまだ、松屋前の大通りあたりに、こういう手書き短冊メニューを貼った大きな大衆食堂酒場があった。 大正生まれ、当時70歳ちょっとのオヤジは、赤と黒の墨汁をつかって、よくこの場所で、この短冊メニューを書いていた。 オヤジの話によれば、1970年代はじめまでは、この短冊メニューを書いて歩くのを生業にしていたひとがいたそうである。いろいろな生き方があったのだなあ。 オヤジが座っているカウンターの横に、テーブル席が4つだったかな? それに平行して畳敷きの小上がりに席が3つだったかな?そして奥に4畳半ぐらいの座敷があった。 与野駅から2、3分のところだった。4時ごろ開店で、夕方すぎからは、サラリーマンや職人たちで、けっこう混雑していた。かつて与野は、新潟鉄工などもあったり、自動車部品の下請け工場が多かったりで労働者の町だった。そういう町の働く労働者の息づかいが、この空間にも、しみこんでいる感じだった。写真には写っていないが左側の奥には、木製の氷冷蔵庫が、現役で活躍していた。 女主人格の、腰がまがりかけたバアサンが、メニューにない煮物などをつくっては、そばにきて「どう」という。そのバアサンは、それが生きがいのようにしていた。じつは、バアサン、オヤジの「愛人」さんというウワサもあったりして。いやあ、おもしろいオヤジでした。その後、どうしているかねえ。大衆食堂には、いろいろな人生が詰まっているのだねえ。それが、教科書に書かれることはないしNHKの大河ドラマになることはない、歴史なのですなあ。 いまでは「居酒屋食堂」ってことになるだろうか、江戸期中後期ごろには「縄のれん」といい、庶民が酒を飲んだりめしをくったりするところだった。その伝統が、時代と共に姿を変え生きているのだ。 ここの料理人だった人と奥さんが、泉や閉店後近所で「大衆食堂 横丁」をやっている。とうぜん、ほとんど同じメニューだ。 フライ類やカレーライスなどの「洋食」はあるのに、ハンバーグはなかった。ハンバーグは従来の日本料理の技術では作れない。『ぶっかけめしの悦楽』に書いたが、その「なぜ」を考えると、ハンバーグ以前の「洋食」は日本料理であるとの見方もできる。つまりハンバーグが普及する前の時代の食堂や家庭のカレーライスは、日本料理の技術であるという見方もできるのだな。 やきそば600円、チャーシューめん600円、五目そば600円、たんめん500円、もやしそば500円、ラーメン350円、ざるそば500円、冷むぎ500円、おにぎり1ヶ200円、オムライス650円、チキンライス500円、チャーハン500円、トンカツ定食500円、鉄火丼800円、天ぷら定食700円、やさい炒め定食500円、親子丼600円、かつ丼600円、中華丼600円、のり茶づけ300円、盛合せ天ぷら800円、いわし天ぷら450円、やさい天ぷら450円、きす天ぷら450円、いか天ぷら500円、いかげそ天400円、酢ぶた800円、とりからあげ450円、やきぶた400円、豚ロース生姜焼500円、エビフライ500円、チキンカツ450円、並とんかつ300円、上とんかつ600円、たこぶつ350円、酢のもの400円、芋サラダ300円、やさいサラダ300円、ハムサラダ400円、オムレツ400円、ハムエッグ400円、肉うま煮400円、肉入りやさい炒め350円、きすフライ300円、いかフライ500円、目玉やき300円、玉子スープ300円、コロッケ300円、ラッキョ200円、おしんこ糠漬250円、キムチ250円、谷中生姜300円、帆立サラダ350円、浅漬しんこ300円、あじひらき300円、梅干100円、焼きのり100円、玉子ゆで・生50円、納豆100円、冷やしトマト300円、枝豆300円、うな丼1200円……定食各種 |