中尾佐助と『料理の起源』
(04年9月5日記)
松屋に「タイ風ココナッツカレー」があって、スーパーによっては売り場にナンプラーが並んでいる時代だ。日本とエスニック料理の関係は、「料理の起源」にまでさかのぼるのだ。と、エスニックごはんをウマイウマイと食べながら、エスニックごはんをウマイウマイと食べる、日本人ワタシのアイデンティティを考えてみるのも悪くないのではないか。
1980年代以後、日本でエスニック料理がブームになった。それが、いまでは「ブーム」では片づけられない状態になっているように思う。当サイト「ぷあん」にも書いたが、「もうエスニックは特別のものではなく、”中華食堂”のように日本の街角の”ごはん”になっていくのかも知れない。何かが、鼓動しているのだ」
ということで、いま、中尾佐助さんの労作、『料理の起源』を、あらためて読んでみると、ドでかくおもしろい。
何度も書いているが、おれが企画会社に転職し、食のマーケティング関係の下請け仕事を担当したのは、1971年の秋だ。そのころから、とくに1970年代前半に注目を集めた著者と著書のなかに、中尾佐助さんの『栽培植物と農耕の起源』(岩波書店、1966年)と『料理の起源』(NHKブックス、1972年)がある。
そして中尾さんは、数々の労作を残されたが、おれが読んだのは、この2作だけだ。この2作と、1969年中公新書で刊行された上山春平編の『照葉樹林文化−日本文化の深層』を加えた3冊は、当時かなり目からウロコ的に話題になったし、おれはいつもそばに置いていた。そしてグウゼン仕事の関係で、日本のなかでは、より照葉樹林文化の片鱗にふれるチャンスが多いと思われる九州のヘソで約一年近くすごしたとき、その3冊を持っていき、おれが寝食でやっかいになった、古代の農耕に関心が高く「自然農法」を実践している家族の本棚に置いて読み、残してきた。ついでにいえば「自然農法」は、よく「有機栽培」と混同されるが、有機肥料すら使わない、古代の農法だ。「自然農法」からみたら有機栽培は、とんでもなく不自然な環境破壊的な農法であり、とれた作物も質低く「安全」ではない、ということになるのだなあ。有機栽培信仰者が知ったらびっくりする。
とにかく、これら3冊は、日本の食文化の、基礎あるいは、まさに「深層」を知るために欠かせない。これらの著書によって、日本の食文化は、中国雲南省四川省地域をコアにする照葉樹林文化と、その広がりのなかにある、インド・タイ・インドネシアなどから朝鮮半島日本列島までの、東アジア地域の風土と深く関係して位置していることについて、かなり強固な科学的な根拠にもとづく具体的なイメージを持つことができた。
70年前後から、当時は若手の新進気鋭だった石毛直道さんら、文化人類学者や民族学者たちのあいだで、東アジア地域との関係で日本文化をみていく研究が、一気に熱っぽく進み注目を集めることになったのだが、この「照葉樹林文化論」にはじまる動向は、それまで、「西洋」との関係だけで文明や文化を考え追求してきた日本の知的回路に少なからぬ影響を与えた。
なかでも、とくに中尾さんの『料理の起源』は、日本を含む東アジア一帯の「料理の起源」にまで突っ込んだ労作として、異彩を放っていた。というのも、それは、単に「照葉樹林文化論」を、料理のレベルまで掘り下げたからという以外の、大きなワケがあったからである。
本の「まえがき」で述べている中尾さんの言葉を引用するのがいいだろう。
ところが、加工、料理の問題は、いわば学問的に研究されることの非常に乏しい分野である。全世界の家庭で毎日必ず行っている食糧の加工、料理ということに、今までの学者は理解しがたいほど冷淡であった。それで、そのような学術書は全く無いといってもよいほど乏しいものと言えよう。けれども生活中心に、生活を研究する立場にたつかぎり、食糧の加工、料理の問題は、衣と住とともに、最も基本的であることは疑う余地もないであろう。こんな学問的状態のところへ、この本は切り込んでみようとする試みである。 |
このように、それまでの観念的な学問や教養の書ではなく、生活と料理のための学問と教養の書であることを高らかに宣言して始まっているのだ。つまり、この本は、なにかというと、生活の実体なんかぬきに、西洋との関係で知識をひけらかしあいオシャベリしているだけの観念的な学問と教養に、東アジアと生活の学問と教養という切り込みをやらかし、大いにカルチャーショックをあたえたのだった。
この本は、日本人の日々の米の炊き方を、タイ北部やラオスとの関係で考察することから始まる。この本と、江原恵さんの、「日本料理の敗北」を宣言した1974年の『庖丁文化論』や、その後の「生活料理学」の書とは直接関係はないのだが、むしろイマだから関係づけてみられるし、みるべきだろう。
イマ日本の食は、東アジア地域という位置において、大きく変化しているように思うのだが、一方で、あいかわらずの狭い見方の伝統的伝承的「日本人の知恵」論をふりまわし、その変化のダイナミズムを理解しようとしない人たちは、食文化本を書きまくって有名なガクシャも含めて少なくない。それは、「西洋」との関係で「和」の日本をとらえてきた結果と同質表裏の関係である。だけど、もともと日本の料理の伝統は、米の炊き方からして、東アジアのダイナミズムの渦中にあったのだ。
大衆食のおもしろさは、ときには国境を越えて(大衆食にとっては「国境」なんか関係ないのさ)、広がる、あるいは竜巻のように発生する、ダイナミズムではないだろうか。そのように、さまざまな料理の起源や歴史を考える方法論をも示している本である。
今日は、ここまで。
『料理の起源』(NHKブックス、1972年) もくじ(1997年5刷)
1、米の料理
飯盒飯の炊き方 日本の古代に湯とり法はなかった 日本古代の米の炊き方 おこわを常食にするラオス ジャワ島の笊(ザル)取り飯 前期炊干し法の世界、華北の蒸し飯 湯取り法の世界 竹飯(カオ・ラム)のこと シトギというもの セイロン、ビルマのシトギ 外国のモチ パーボイル加工とヤキゴメ パーチト・パディとパーチト・ライス プラオ 大胆な仮説
2、麦の料理
パリーのパン屋 パン種の登場 華北のマントウ ウドンのこと インド、パキスタンのチャパティ 中国のピン(餅)類 ナンというもの タンナワー アラブパン 西欧のパン バルガーというもの 麦の粥食 炒り麦の加工 中国の炒り加工 インドの炒り麦製品 チベットの炒り麦 近東・北アフリカ 西欧の炒り麦 麦料理法の発展段階
3、雑穀の料理
アフリカの雑穀料理 エチオピアのインジュラ インドの雑穀 料理とトーモロコシ 中国の雑穀料理
4、穀物料理の一般法則
材料発散過程と収斂過程の法則 複合伝播とエレメント伝播の法則 平行進化の法則
5、豆の料理
マメは煮えにくい ダルとファラフェル ジャワ人はスリーTで生きている ナットウの大三角形と味噌 乳腐と豆腐
6、肉と魚の料理
偏見の世界 食肉と変遷と発達 肉の貯蔵 魚肉の貯蔵 スシの問題
7、乳の加工
赤ちゃんは牛乳を飲むが 乳糖分解酵素の問題 遺伝か獲得性か 乳利用圏 乳加工は系列である 怪しげな系列 酸乳系列群 アフリカのネグロとブッシュマンの乳加工 インドの酸乳系列群加工 インド近隣国の乳加工系列 北方遊牧民とモンゴル族の乳加工 凝固剤使用系列群 乳加工系列の複合文化要素 インド古代の乳製品の検討 酥と酪 乳加工のとりまとめ
8、果物と蔬菜
中国文化の評価 温帯性果樹の二大中心地 中国のリンゴと桜桃 乾燥果物の二大中心地 ナットでは東西に大差がある 野菜と蔬菜 ハーブとサラダ 中国の蔬菜 野菜、蔬菜の貯蔵
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