ナカ☆満寿夫の特別寄稿


ぶっかけめし的音楽論または音楽論的ぶっかけめし論1

(2001年9月某日)

山本益博氏の功罪の功は色々有るとして、罪は大衆食までも高級料亭を計る眼で見ていることではないでしょうか?それに踊らされて料理人は”こだわり”を押し付け、客を怒鳴りつける様になり、客は自虐的にこれを受け入れるに成り下がってしまったと思います。

例えれば、大衆音楽をクラシックの基準で評する愚と言えませんか?やはり大衆食の醍醐味は野太いパワーがないとこれであるとは言えない。それと経済性も大事で、安さもまた大衆食の味と思います。またいわゆる「こだわり」なんてものは、声高に言うものではなく、昔の料理人なら当然の事として黙々とやっていた様なものばかりです。

ご参考=当サイト「誤解された料理評論」



ぶっかけめし的音楽論または音楽論的ぶっかけめし論2

(2001年9月16日)

「絶対音感教育ママ」と「グルメ人種」の本質的共通性に関する考察

最近のグルメブームに似たことに、教育ママが子供に押し付ける絶対音感と言うものがあります。これは素晴らしい音楽を聴いたり、演奏するにはどうでも良い事で、「あれば便利だが、時には煩わしいもの」だそうです。

「合唱」と言うジャンルがあります。括弧付きなのは「コーラス」とは違うからです。あれは実は、日本が生んだ一つのジャンル、歌唱法で今や世界に知られたものになっているのだそうです。これは私がよく行く居酒屋の常連である、プロのトロンボーン奏者が教えてくれました。

以前からこの「合唱」については奇妙なものとして感じていました。NHKが主催する「合唱コンクール」を聞いていると、詞は妙に前衛的であり、コーラスはハモっているとは思えない濁った音です。ピアノ一本の伴奏に幽霊が沢山出て来て、いっせいに「うらめしや〜」と言っている様に聞こえます。前に出てくるはずの主旋律が弱く、副旋律が前に出て来て不安定な印象があります。実は私も小学校の5年生の頃、友達に誘われて地元のNHK支局の合唱団にいた事があります。1年しか続かなかったのは、才能がなかったのでしょうが、子供の耳にもおかしな音楽に聞こえたのは確かです。

この疑問が私なりに理解できたのは、極々最近の事、やはりあのOKWebをチェックしていた時です。音階律、つまりドレミの音の高さ、厳密に言えば夫々の音の周波数には純正律、ピタゴラス律、平均律の3種類があるのだそうです。ピタゴラスとはピタゴラスの定理のピタゴラスの事で、ピタゴラス律とはピタゴラスを始祖とあがめるピタゴラス学派と呼ばれる宗教の一派によって考案されたものだそうです。ピタゴラスと言う人は広辞苑によると「ギリシャの哲学者・数学者・宗教家。サモスに生まれ、南イタリアで教団を組織、霊魂の救いを目的とする新宗教を説いた」とあり、ピタゴラス学派とは「ピタゴラスの教えを信奉した学徒(教徒)。霊魂の不死と輪廻を信じ、霊魂の救いのためその浄化を説いた。世界の根源は数であり、一切は偶数と奇数とから成るとし、特に数学・天文学の進歩に寄与した。……」とあります。

このピタゴラス学派によって、美しく響く音の原理が考えられ定義されたものが「ピタゴラス律」と呼ばれ、後年これの矛盾点などを手直しして出来たものが「純正律」と呼ばれるもので、歴史的にはかなり近年まで使われていたのだそうです。ところがピアノの様な鍵盤楽器が発明され、これが主役になるにつれ、ほかの楽器との合奏などには不具合が生まれます。例えばピタゴラス律」「純正律」では、ドの#とレの♭では、異なる音だそうで、これはバイオリンなどでは常識で実際に現在でも弾き分けているそうです。

ところがそれを全て鍵盤に配列すると、膨大なエボニー&アイボリーが並ぶ訳で、よほど手の長い人でもない限り弾きこなすことは不可能になります。そこでオクターブを12等分の半音で強引に分けたものが「平均律」で、合奏や転調には便利になったわけです。この合理性はウェーバーも指摘している様に、西欧的なエートスですが、音楽的には「折衷」であり「騙し」でもあります。滑稽なのはこの「騙し」の音を聞き分けられて、あげくはそこから外れた音を気持ち悪くなるように訓練するのが、教育ママの目指す「子供に絶対音感を身につけさせること」です。

さて長くなりましたが、ピアノ1台の伴奏でやる「合唱」は、この平均律の音をそれぞれがキチンと出すことによる「音の濁り」だと私は思うのです。全体の調和(ハーモニー)を考えずに、自分の役割をそれぞれが主張しあうと美しく響かないと言うのは一種の警句の様ですが、西欧の人達は、それでも近代まで「純正律」が使われた歴史があり、協会の聖歌のコーラスでも訓練されていますので、主旋律に合わせるハーモニーのテクニックは先天的・後天的に持っているでしょう。ところが和声などと言うものは明治以後に学び、それ以後はピアノを使った平均律を身につけされた日本人には、その辺の融通性はなかなか困難で、これを一つのジャンルにしたのが「合唱」なるものではないでしょうか?

この「合唱」は、今や世界的なものになっており、音楽的には確立したもので、一概にダメとは言えないと、例のトロンボーン奏者は申しておりました。また不思議なもので、現在でも古いクラシック音楽の場合、「純正律」にピアノを調律することもあるそうですが、これが出来るのは世界でも日本人にしか出来ないのだと、これもトロンボーン氏が申しておりました。

そう言えば、JAZZのブルーノートと呼ばれる、スケール(音階)の3度、5度、7度の半音下がった音、Cmajor(ハ長調)で言えば♭ミ、ソ、♭シの音は、アフリカ音楽で使うクウォータートーン、つまり夫々の全音の4分の1だけ下がった音の代用らしいのですが、厳密に言えば全音の3分の1が本当なのだと、これもトロンボーン氏が言ってました。これが本当のブルースは黒人のDNAでしか歌えない理由のようです。昨年、白人のブルースの王者E・クラプトンと黒人のブルースの帝王B・B・キングが共演したアルバムCDが出ましたが、あのクラプトンがB・B・キングの前では子供の演奏の様に聞こえたのもこの辺でしょう。

さあ!、そろそろ忙しい読者が私の長文に怒り出すでしょうから、結論を急ぎます。山本益博氏の登場によって巷に蔓延している「食通」「グルメ」人種は、「絶対音感」教徒の「教育ママ」やその生意気なガキどもに似ていないでしょうか?本質ではないものを以って評価の基準にし、本物を見逃す滑稽さは「教育ママ」のそれと同じです。


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