これが<えびし>だ

(01年9月25日記、02年10月20日改訂)

えびし<えびし>のことは『ぶっかけめしの悦楽』に書いた。

埼玉県秩父市の中心からバスで四〇分ほどのところにある小鹿野(おがの)町というところの、そのまた中心からバスで四〇分ほどの山間の谷底の大石津という、わずか二〇戸ほどの集落の、そこのだね、黒澤ミネさんがつくる<えびし>というものをたべさせてもらった。(略)すると、どうだ、カルチャーショックのうまさだったのだ。

というぐあいである。

この夏(2001年夏のこと)、またミネさんの[えびし]をたべさせてもらった。この写真だが、つくるのにチョット失敗して、芯の部分に空洞があるが、味は問題ない。やはり、うまかった。どんな味かは、『ぶっかけめしの悦楽』に書いたつくりかたから想像してもらったほうがよい。

えびしは、若干それぞれの家でつくりかたがちがうようだが、小鹿野町が発行している『ふるさとの味を訪ねて』から引用しながら紹介する。
「小麦粉、ゴマ、くるみ、唐がらし、青のり、みかんの皮、ネギ」を「きざんで、さとう、正油、酒、塩を入れよくまぜこねる!」「こねる程味がよくなる」それを「昔は竹の皮にくるんで蒸したそうな!」であるが、いまでは「約二〇センチ」の棒状にし、おれがたべたのは太さは魚肉ソーセージより太めだったが、「アルミホイルでくるみ蒸すこと四〇分」。厚からずうすからずに切ってたべる。


である。この夏たべたものは、みかんの皮ではなく、ゆずの皮の乾したのがきざんで入っていた。とにかく、よくこねることが大切で、蒸す時間といい、手間ひまがかかる。

こんなぐあいにいろいろな素材をまぜて熱をくわえ絶妙な味にしあげる料理は、円熟までにそれなりの想像力と創造力が必要とされる。それを蓄えた文化があることを意味する。

こういう文化を捨てて、ガイコクのケーキやクッキーづくりを真似することが、進んだ文化生活という錯覚に「知的な日本人」が陥ったのは、ごく最近のことである。

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