断固カレーライス史考


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まだまだナゾだらけ、おかしいことだらけ

その1
発作なメシゴト日記 03年2月28日「カレーライス史考」から転載


きのう図書館で『カレーライスの誕生』が目にとまった。著者は小菅桂子さん。昨年出版になったのは知っていたが見るのは初めて。パラパラめくって、驚いた。驚いたので、「ヤッぶっかけめし」のコーナーに、「断固カレーライス史考」を始めた。

カレーライスの歴史と文化を一冊にまとめた本は、江原恵さんの『カレーライスの話』が初めてだろう。83年。同じ年に、小菅桂子さんは雑誌の連載のまとめだと記憶するが『にっぽん洋食物語』を著し、その歴史について触れている。約20年前のことである。

そのころは食文化史や料理史の方法は、かなりイイカゲンなものだった。だから、カレーライスの歴史も、いろいろ問題を残して当然である。

しかし、この20年のあいだに事情はずいぶん変わった。たとえば、とくに構造主義者や文化人類学者の著書が紹介されたり、構造主義に批判的な立場からのスティーブン・メネル『食卓の歴史』や逆に構造主義の立場からジャック・バロー『食の文化史』が翻訳されるなど、食文化史や料理史の方法に示唆的なことが多かった。

にもかかわらず、『カレーライスの誕生』は、20年前の状態なのだ。小菅桂子さんは大学で食関係の先生までしているかただから、驚かざるをえない。

小菅さんにかぎらず、カレーライスについては「伝来説」と呼んでさしつかえない固定観念がある。おれは、『ぶっかけめしの悦楽』に書いたように、カレー粉については伝来が認められるけど、「カレーライス」については根拠が薄弱で急いで結論すべきじゃない、そして、料理からすれば伝来かどうかは大きな問題ではない、カレー粉の伝来だけで十分である、という立場だ。

「伝来説」の最大の問題点は、料理と料理風俗の混同である。それは料理とは何かについて理解に欠ける結果だろう。20年前なら、それが普通だった。しかし、すでに料理は、不十分ながら、「生活の技術」として把握されるようになってきている。

料理本のレシピは、それだけでは、料理風俗にすぎない。それが家庭でつくられる必然が判断できて、はじめて料理の歴史になる。カレーライスの名がのっているだけの文献の列挙では風俗の歴史であって、それが即、料理の歴史とはいえない。生活の技術の歴史として把握する思索作業が必要なのだ、そこに料理史の一つの課題があるはずだ。

『カレーライスの誕生』は、そういうことに無関心である。20年間の惰眠か?

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