断固カレーライス史考


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断固カレーライス史考
その2
そもそも「英国を風靡したカレー」とは、どのようなものなのか? このアイマイさを、どう考えればよいのか


(03年2月28日記)

カレーライスの歴史を語った本としては比較的あたらしい『カレーライスの誕生』は昨年02年6月の発行である。講談社選書メチエ、著者は有名な小菅桂子さん。たしか、どこかの大学の先生でもある。

その本には、「英国を風靡したカレー」という中見出しに、「カレー好きなイギリス人」「上流階級を風靡」などの小見出しが見られる。

カレーライスが伝来であるための、一つの条件として、イギリスのカレーライスがどんなものだったかが問題になるのはとうぜんだ。

おれは、カレーライスが英国を風靡したことは知らなかった。ま、それなりに、イギリスやフランスの食文化史や料理史の本には、翻訳ものだが、目を通しているつもりだが、そのように「風靡した」といえるほどの根拠に出会ったことがない。これは注目すべきことである。

で、まずは「カレー好きなイギリス人」である。「そのイギリス人のカレーとはどのようなものか」と述べていることは、「インドカレー直伝のカレー渡来国とあって、イギリスではカレー料理が盛んである。小麦でとろみをつけたカレーがポピュラーである。肉は鶏肉が代表格である。日本とおなじくイギリスも海に囲まれているのに魚のカレーはあまりみられない。その代わり野菜とレンズ豆やひよこ豆を煮込んでさっぱりと食べるカレーはインド本国さながらである。またイギリスにはインド人が経営するインドカレーの店がたくさんあり、そうした店を利用するイギリス人も少なくない。聞くところによると、イギリス人は月に平均すると二、三回はカレーを食べるという」

最後の「聞くところによると」というのは、じつにズルイ。月に平均すると二、三回というのは、そうとうな回数ではあるまいか、それならカレーはイギリスを風靡したといってもいいだろう。だけど、「聞くところによると」なのである。裏づけぐらいとるのが当然ではないか。

「小麦でとろみをつけたカレーがポピュラーである」といいながら、とろみのない「インド本国さながら」とくる。

小菅さんの主張は、イギリスの小麦粉でとろみをつけたカレーライスが日本に伝来し普及したというのだから、ここは非常に大事なところだし、ところが、しかも、これはどうも最近の話で、カレーライスが「伝来」したころのことではないのだ。このアイマイさは、なんだろうか。

小菅さんが、どのような取材をしたかアイマイだが、89年講談社現代新書から発行の森枝卓士さんの『カレーライスと日本人』は、半分近くが、森枝さんのイギリス取材で占められている。森枝さんはいう「パブにカレーがあったと書いた。が、実はこれもロンドンを一日まわって一軒だけやっと見つけたものだった。大学の学食だって、毎日食べられる人気メニューというわけではないらしい。ロンドン大学が大英博物館のすぐ裏手にあるので毎日行ってみて、何日めにかやっとめぐりあったといった程度である」

ということは、このあと小菅さんの取材か調査のあいだに事情が変わったとみなくてはならない。しかし、森枝さんの話は具体的だが、小菅さんの話は新しいことなのにバクゼンとしすぎている。

さらに森枝さんは、イギリスのカレーは「主役はカレーではなく肉である」という。つまりカレー味の肉スープを想像できるのだが、「この本以降、現在にいたるイギリスで出版されたさまざまな調理書のカレー料理法を調べてみたが、基本的には大差ないものばかりだった」ということで、小菅さんの話とは、まったく違うのだ。しかも小菅さんの話は、メニュー例があるわけでもなく、イギリスを風靡したカレーライスがどんなものか、はなはだ具体性を欠く。どうしたことか、ここは「伝来説」にとって、とても重要なはずである。

ともあれ、では、日本に「伝来」する前のイギリスのカレーライスは、どんなものなのか。「上流階級を風靡」という見出しだ。

ところが、ここには、エスビー創業者の「山崎峯次郎氏による」ということで『香辛料  その歴史とカレー』からの引用である。「カレーはヴィクトリア女王にも献上され、女王もその高尚な風味を賞味し、諸外国の外交使臣のレセプション用のメニューの中にさえカレー料理が用いられたとのことである。激しい植民地戦争に打ち勝って宝庫をわが掌中におさめた女王の誇りと喜びは、カレーの香りとともに英王室に充ち満ちた光景を私も瞼に浮かべうる。カレーは間もなく英国の上流社会を風靡し、次第に一般家庭にまで浸透していった」

これだけなのだ。これについても伝来説の要になるところだと思うが、裏づけはなく、山崎氏の想像の域を出てないものを、そのまま引用しているだけ。

これで、日本に「伝来」したというイギリスのカレーライスについて、どのようなものか想像しろというのだろうか。そもそも、このヴィクトリア女王の時代は、イギリス上流階級の厨房を支配していたのは、かの有名なカレームの生徒たちによるフランス料理で、いろいろ歴史に登場するし資料が残っているはずであろう。それにもかかわらず、このアイマイさは、なんだろう。と、思わざるをえない。

「伝来説」についてはアイマイと矛盾が多すぎるし、もっと基本的なところで、食文化史や料理史の方法として問題が少なくないのだが、まずは、このへんで。

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