汁かけめし(ぶっかけめし)と
カレーライス・丼物など、とか


09年1月5日、ブログに「ゆらぐ「カレーライス伝来説」。「カレーライスは汁かけめし」と言い切れない悲しさ。」を書いた。汁かけめしの歴史を無視して書かれてきたカレーライスの歴史は、どうなるのだろうか。クリック地獄


丼物は、汁かけめしの歴史に位置づけられるようになったが、カレーライスについてはまだである。「カレーライス伝来説」ともいうべき、根拠のないあるいは誤った歴史が、依然としてはびこっている。

その「説」には、きわめて単純な誤りも多い。たとえば、『ウィキペディア(Wikipedia)』の「カレーライス」にある、「ライスカレーという名称は明治期に登場し、カレーライスという名称は昭和初期に登場した」というのは、単純な間違いで、すでに明治期にカレーライスという名称は登場している。こうした単純な間違いが多いのは、さまざまな先入観が強すぎるからだろう。調べることも考察することも足りない。

(追記挿入 08年1月24日)

上の文章を書いたのは、下段のリンク集にある「『汁かけめし快食學』絶版によせて。おれが愛した大衆食07年10月3日」のリンクを掲載したころだから、きょねんの10月3日以後であることは、まちがいない。

きょう08年1月24日、この『ウィキペディア(Wikipedia)』を見たら、かなり書き換えられていた。

その名称については、

「実際には、1872年、北海道開拓使の公文書では「タイスカリイ」(ライスカレーの意味)という語が使われ、樺太の医師・三田村多仲の日誌『三田村多仲日誌』1875年1月3日付けの記録では「カレーライス」という語が使われており、カレーが日本に入ってきたきわめて最初期から、「ライスカレー」、「カレーライス」という語が併用されていたことが分かっている。」

というぐあいだ。

まちがいをあらためるのはよいことだけど、まだまだ単純な、もっと大きな注目すべきまちがいというか、正確ではなく誤解をまねく記述がある。まさにこれまでのカレーライスの歴史は誤解の歴史なのだが、それを象徴するようなことである。とりあえず、それはブログに指摘するとしよう。

整合性のない、根拠があいまいのまま、まちがいを指摘されては取り繕う歴史の書き方は、そもそもこの書き出しが、根本的なアヤマチをおかしやすいもとになっている。

「カレーライスの原型となった料理は、明治時代の日本に、インドを植民地としていたイギリスによって伝えられた。そのためインドをルーツとする料理でありながら、日本では長く洋食として扱われてきた歴史がある。」

単純な話し、いまだにその「原型」とやらは明らかにされていないし、かりに明らかになったとしても、それをつくる料理主体のことが問題として残る。いうまでもなくカレーライスは料理であり、モノではない。モノの歴史とおなじ感覚ではアヤマチをおかす。

蓋然性や先入観にとらわれたまま、「料理とは」「料理の歴史とは」の根本が考えられていないところからくるアヤマチがある。そのことは、すでにとりあえず、ざっとだが、ブログでふれた。

「アラバマのグリッツ」にカレーライスの歴史を考える。2008/01/22

(追記挿入以上)

(以下追記挿入 08年1月25日)


上記挿入の『ウィキペディア(Wikipedia)』だが、もう一か所、おれが指摘していたところが書き換えられていた。

おれは、「『汁かけめし快食學』絶版によせて。おれが愛した大衆食」07年10月3日で、こう書いている。

………………………………
で、結論を急げば、その話のほとんどは、生活の実態とまったく無関係なのだ。たとえば、それは「日本のカレーライス」について、「カレーソース」の項目から始まっている。ここから始めることが、あとの「軍隊とカレーライス」とのつなぎのうえでも意味を持つのだけど、そもそもなぜ「カレーソース」から始めるのか、なぜ「ソース」なのか、その説明はないし判断つくだけの内容がない。ましてやそれと生活の実態の関係は、いっさい説明がない。

「カレーライスは日本にはヨーロッパを経由して紹介された。最も有力なのはインドを植民地にしていたイギリス人が日本に持ち込んだ説である。」という前提で話は始まり、「カレーソースはジャガイモ、玉葱、人参などの具を煮込んだものにカレー粉を入れ、小麦粉を加えてとろみを出したソースである。」と決めつけられている。その根拠もあげられてないし、それが最初からの生活の実態なのか、それともいつごろナゼそのようになったのかの検討もない。そもそも「カレーライス」というのに、「ライス」料理への視線は、まったくない。
………………………………

ここは、「日本のカレーライス」という見出しがなくなり、前文らしきところが、つぎのようになった。

「カレーライスの原型となった料理は、明治時代の日本に、インドを植民地としていたイギリスによって伝えられた。そのためインドをルーツとする料理でありながら、日本では長く洋食として扱われてきた歴史がある。日本で最初に出版された西洋料理のレシピ集(『西洋料理指南』1873年)には、長ネギや食用ガエルを使うという記述があり、食材についての試行錯誤がみられる。その後、西洋野菜の栽培が普及し、牛肉・豚肉・鶏肉のいずれかの肉と、タマネギ・ニンジン・ジャガイモという3つの野菜を食材とした調理方法が定着していった。ちなみにヒンドゥー教徒やイスラム教徒の多いインドでは、牛・豚を食べることは忌避され、食肉としては鶏・羊・山羊が主流である。さらに野菜のみの料理も多く、蛋白源として豆類や乳製品が多用される。

関西では牛肉を使用したビーフカレー、関東では豚肉を使用したポークカレーが定番とされている。」

そして、そのあとに、「カレーソース」の項目があって、つぎのようになった。

「日本初のレトルト食品であるボンカレーの発売当時のホーロー看板カレーライスのうち、飯の上に掛けたものをカレーソースと呼ぶ(カレールーと呼ぶ人もいるが、この言葉は固形のインスタント・カレールーをさして限定的に使われることが多い)。野菜と肉を煮込んだ鍋に、油でカレー粉と小麦粉と炒めて少し焼き色をつけたものを入れて、とろみが出るまでさらに煮るというのがオーソドックスな作り方である。カレーソースにジャガイモを入れることを考案したのは札幌農学校の教師として来日していたウイリアム・スミス・クラークであり、米を補う目的であったといわれる。クラークとカレーライスについては後説。」

おれの指摘と比べてみればすぐわかることだが、なんという陳腐な苦しまぎれの論理展開だろう。この陳腐さについても、いずれブログに書くとしよう。

(追記挿入以上)


エンテツのブログから、汁かけめしとカレーライス系リンク

カレーライスの歴史、どこが間違っているか。間違いだらけのカレーライスの歴史は、どうして生まれたのか。

カテゴリー「汁かけめし」……クリック地獄

『汁かけめし快食學』絶版によせて。おれが愛した大衆食07年10月3日
カレーライスの歴史 もうちょっと責任ある発言がほしい07年5月26日
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カレーライスの夏だけど06年7月15日

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来週13日、再び「はなまるマーケット」に登場05年4月8日
ダックライスとチキンライスと鶏飯05年4月3日
ぶっかけめし食べる ホリエモン05年4月1日

(以下、しばらくお待ちを)

悩ましい「めし」と「ごはん」 05年3月23日
NHK生活ほっとモーニングの丼ごはん 05年3月23日
悩ましい料理物語 05年3月15日
「汁かけめし快食學」が教科書だと 05年2月25日
「和」ブーム 05年2月19日
悩ましいカレーライス 05年2月14日
人生山あり谷ありのなかでも「大衆食堂の研究」 05年1月5日
貧しさのなかで見る夢「やどや」と「汁かけめし快食學」 04年12月21日
「マイルドにクセがない」以後は? 04年11月22日
相互理解は「ねこまんま」から? 04年9月24日
カレーライスの「本家」と「起源」の諸問題04年9月5日
下品を装いながらの哲学 04年9月4日
目黒のサンマ 04年8月18日
今朝の「はなまるマーケット」に登場 04年8月16日
16日朝はTBS「はなまる」で「ぶっかけご飯」 04年8月14日
夏はカレーライスというステレオタイプ 04年7月7日




ま、とにかく、ぶっかけめしとカレーライスを見直しましょうや

(2002年2月6日記、05年4月30日改訂)

日本の食を語るとき、汁かけめしの歴史をはずすことはできない。

むかし「武家にては必ず飯わんに汁をかけ候」と汁かけめしは正式の食事の作法だった。一日に二回の食事が汁かけめしだった時代があった。味噌汁はめしにかけてくった。

江戸後期には汁かけめしが大流行して、さまざまな汁かけめしが誕生した。それが近代の汁かけめし、各種の丼物やカレーライスへとつながり大成長した。

だから日本では「かけめし屋」が繁昌すると考え、かけめし屋をやろうとしたやつもいた。なのに、その歴史について語られることがなかった。

そういう歴史を忘れてか無視してか知らずにか、「日本型食事」や「和食」や「丼物」や「カレーライス」についてウンチクをかたむけてきた。そんなことで食事や料理についての正しい知識は育つのだろうか。食品のインチキ表示のように、おかしいことだらけである。

まずは、汁かけめしの歴史を見直すことだろう。



カレーライスや丼物はぶっかけめしの系譜である

(2002年7月22日)

カレーライス史の課題は、いくつかあるが、まず一つをあげておくと、江原恵さんが、かつてこのように指摘していることである。

カツ丼も、親子丼も、天丼も芳飯―汁かけめし、の系譜につながる。(略)そしてカレーライスも、基本的には同じごはん料理ではないか、と解釈する。

これは、朝日新聞社発行の「アサヒグラフ」1981年5月1日号より翌年10月29日まで「実践家庭美味学講座」シリーズとして連載になったうちの、「丼物」の項にある。同じ朝日新聞社から1983年に、「実践講座 台所の美味学」として単行本になった。

これ以後、何人ものひとがカレーライスの歴史について述べているが、このことについて検討がくわえられてない。おれは、それが気になっていて「ぶっかけめしの悦楽」では「芳飯―汁かけめし、の系譜」をたどった。カレーライスの歴史を語るほどのひとたちが、なぜ、このことが気にならないのか、知っていて無視しているのか、知らないだけなのか。



ま、とにかく、冷や汁を食べましょうや


(2002年7月11日記)

宮崎の「名物」と知られているが各地にある「冷や汁」を食べましょうや。暑い季節に負けない力がつきます。味噌汁ぶっかけめしが下品だなどという過去の偏見は捨て、まっすぐな目と心と胃袋を持ちましょうや。それでこそ、日本の食の歴史やカレーライスの姿が見えてくるのだ。では、クリック地獄



見直されるぶっかけめし

(2002年7月11日記)

日本食、いや近代日本史の根幹をなしてきた「白米偏向米食史」は見直されなくてはならない。芸術を語るのもよかろう、世界情勢を語るのもよかろう、飲んだくれるのもよかろう、食べ歩きも散歩もよかろう、だが、そういうおれたちは、三代もさかのぼれば、もうなにをどうくっていたかもわからない「自分」だということに気づくべきじゃなかろうか。

そこでだ、ぶっかけめし。名もなく貧しく品もないおれだけではなく、このひとたちもこういっているということになれば、ちったあ本気に考えるひともいるだろう。

「中世から近世に入るまで、一汁一菜形式の食事の前は、ぶっかけ飯が主流、と想定してよいでしょう。日本食の原形として、ぶっかけ飯は見逃せないということです」

と約6ページにわたって発言するのは、あの天下のNHK出版からですね『「うつわ」を食らう』を出して著名な神崎宣武さんです。

どこでこういう発言をしているかというと、さいきん出版された、あの『たこやき』(講談社文庫)の著者・熊谷真菜さんの『ふりかけ』(学陽社)という本でなのだ。

それぞれ、おれとは違ったアプローチで「ぶっかけめし」を評価しているのですね。神崎さんは、「器」という物的根拠から、熊谷さんは「ふりかけ」文化の源流として。つまり、どこから考えても「ぶっかけめし」は無視できない。

ま、とにかく、いずれ日本食の歴史もカレーライスの歴史も「ぶっかけめし」の再評価によって書きかえられると確信はしていたけど、意外に「変化」は早いようだ。そういう時代なのかなあ。「いま時代が動くとき、かけめし再発見」とは『ぶっかけめしの悦楽』の帯のコピーだぜ。


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