竹屋食堂美術館 展示室 2
(2002年5月6日改訂復活)

竹屋食堂冷蔵庫大衆食堂というのは、つまり大衆というのは、進歩や近代化を拒否してきたわけではありません。それは、このコカコーラの冷蔵庫が証明しています。

昭和30年代というのは、大衆が進歩を希求していた時代であることを忘れてはならないのですね。だから、昭和30年代を体験してない若者までが昭和30年代的なものにふれて懐かしさをおぼえるのは、そこに今日の社会に氾濫している工業製品生活の原風景があるからだと思います。

なんでも「手作り」「自然」「原始生活」をヨシとしていたんじゃない。チクロ入りの缶詰などを、よろこんでガバガバたべていましたし、石油製品大歓迎でしたよ。公害が問題になるのは、この年代ということを忘れてはならないでしょう。


ついでにいえば、竹屋食堂にはクーラーは最近つきましたが、そのクーラーがないときでも「チン」はありました。こういう冷蔵庫やホッピー(これらはまさしく工業文明的成果であります)を懐かしがりながら、昔ながらの食堂が「チン」をつかうのはおかしい、というようなことをいうひとがいます。教条的と申しましょうか、観念的に昭30年代を幻想しているにすぎません。自分勝手の思い込みで昭和30年代の精神を書き換えているのです。

それにしても、このテーブルで三人が食事するのは無理があります。一人です。ここで毎朝、一人で朝食をとっていた常連がいましたが、あのひとはどうしているのでしょう。最近は勤めが変わって来ません。そのように、とおりすぎていった人生が、この部屋には充満しているのです。よく目をこらすと、冷蔵庫の上の、やはりどこかの土産物らしい王将の駒の左側に、その常連が自分でつくって使っていた、「予約席」と書いた札が、そのまま残っています。

自分の人生はもちろん、他人の人生も大切にするがゆえに、その面影が息づいているものを、捨てられないのでしょう。

竹屋食堂いす

1959年の創業から使っている、木製の椅子ですね。カバーは別にかぶせたものです。
この椅子は、ついにお亡くなり。
床はコンクリートが、あちこち表面がはげています。


さて、竹屋食堂の美学とは、どういうものでありましょうか。

とかく「芸術」というと、特別な技巧による製作物だけが注目されますが、芸術とは表現されたものであって、文字をつかってそれをするひともいるだろうし、絵を描くひともいるでしょうし、肉体で表現するひともいます。

そして、文章や絵は苦手でも、生活全体で「わたし」を表現しているひともいるのです。竹屋食堂などは、その典型といえるような気がします。

毎日、この雰囲気で、このおかずで、イッパイやりめしをくうのを楽しみにやってくる常連がいます。大衆食堂というと、「薄汚い薄暗いコンコリートの土間の奥で、ババアやジジイがうごめいているところ」といった、悪意の感じるたわごとをふりまくひとたちもいます。そういうひとたちは、そのていどの見方や感覚しか持ち合わせていないということなのでしょう。

しかし、ほんとうに、それだけでしょうか、それだけのものなのでしょうか。

前の展示室 竹屋食堂入り口