ザ大衆食トップブログ版日記


(09年9月18日掲載、19年1月19日更新)

週刊プレイボーイ1995年11月14日号(10月31日発行)4頁分全文一挙転載。



『大衆食堂の研究』(三一書房)が店頭にならんだのは1995年7月のことだった。
それがキッカケで、ライター仕事をいただくようになり、おれはフリーライター化していった。
『週刊プレイボーイ』の編集のKさんから初めて電話をもらったのは、9月下旬ではないかと思われる。
集英社で会って打ち合わせ、「男なら大衆食堂でメシを食え」という感じで原稿を書くようにいわれ、書いた。
「男なら」というのは、「大人なら」ということだ。
初めてのことで、けっこう直された。
何ヵ所かは、編集Kさんが直接直したところもあったと記憶する。
だけど、ま、おれの文章だ。
おれの肩書は編集Kさんがつけたのだが、「大衆食堂研究家」だった。自分では、一度もつかったことがない。
ほぼ同時に読売新聞社の『KITAN』12月号の原稿が進行していたが、こちらは月刊誌で11月4日の発行だった。
この二本の原稿が、おれが駆け出しライターとして初めての仕事ということになるだろう。
もう、まだ、52歳だった。
そして、「フリーライター」でも「大衆食堂の詩人」でもなかった。
『KITAN』12月号の文章は、こちらに掲載してある。…クリック地獄


気取らない庶民の味が今、懐かしくも新しい!

男なら「大衆食堂」でメシを食え!
                         
フヤケきった日本を象徴するかのように薄っぺらな「トレンディ・グルメ」の時代は終わった。本当の男たるもの、堂々と大衆食堂ののれんをくぐれ。大衆食堂こそ男の生きる根源だ。さあ、ファミレス、ファースト・フード、コンビニ弁当はきっぱりと捨てて、今年の秋こそ大衆食堂で力強くメシを食え!

マニュアルどおりの"お食事"とはおさらぱしようぜ!

 いかにもマニュアルにあるからという感じでお辞儀をし、「私はバカ」を証明するかのように注文を復唱する。
 あのくだらないサービス。おれをなめてるのか! 思い出してもムカついて、いきなり話がそれそうだ。
 いかにも、サラリーマンがつくりましたという感じの型どおりの料理。工場で大量生産された"製品"を解凍して温めただけの料理。コーヒーのおかわり自由で貧乏症のフトコロを妙にくすぐるってやつ。
 こんな子供だましをありがたがることはない!
 こんなメシしか食ってないやつを男と言えるか!こんなばかばかしいことはもうたくさんだ!だっ!だ!
 そういえば、こんなファミリー・レストランを喜んでいた「教祖」がいたな。
 これみよがしの、わかりきったサービスと料理は女、子供にまかせようじゃないか。

 よくぞ生き残ってくれました。60年代、70年代の「わかもの文化」を生んだ連中がメシ食った60年代の大衆食堂。「ナウい」の流行語で始まる80年からバブルにいたるフヤケ時代を60年代のまま生き抜いたハードな大衆食堂。
 ウーン、たたずまいからして「流されませんゼ」という感じで、かっこいい。過激で、エネルギーになりそうだ。
 安いだけが大衆食堂ではない。そこには、流されない、独自に生きる真の男のメシ、大人の交流がある。
 このメシも食わずに、クルマの免許とった、セックスした、就職した、こんなこと大人の証にもならない。
 男やるなら独自の自分を追求しろ。苦労しても、これがオレの流儀だというものを持て。人生、自立とバイタリティだぜ――これが大衆食堂のメシだ。
 貴族趣味化したフヤケ男は、こういうガッツのあるメシを食ったハードな勢力に必ずとってかわられる。
 やっぱり男の基本は大衆食堂の「常連入り」からだ。

いきなり注文。返事はないが頼んだものがホイと出る!

 おれの地元・与野の『大衆食堂泉や』。
 紺暖簾をわけて引き戸をスッとかガタピシやる。「紺暖簾をわける」ってのは、それが顔の前までダラリ下がっているからだ。わかってくれ。
 中には氷をつかう木の冷蔵庫だって残っている。もちろん、新しい型だってある。この共存混在。結果、猥雑。
 「やっ」「ヨッ」てな感じで挨拶をかわして、いきなり注文をいう。「はい」という返事はあったりなかったり。それでも注文どおりのものが出てくる。
 「社長」と呼ばれる男主人は確か70歳くらい。ときたま客がアレコレ、やいのやいのと注文すると、ちょいと節をつけた感じで、 「人生〜いそいではいけません〜、のんびりやりましょう〜」
 とかやる。これだね。臨機応変、「大人の対応」だ。
 女主人は少し腰が曲がりかけている。テーブルの側に来て、「きょう、私がつくったんだけど、食べない?おいしいよ」と一品、メニューをささやく。それがキンピラや菜の花のからし和えだったり、サバの味噌煮だったりする。
 「うん。食う、食う」
 味わい深い。おおらかだ。こういう店が、本物の、ほんとうの飲食店なのだ。
 書くのやめて行きたくなっちまうよー。
 だいたい、「オシャレ」「アメニティ」「マニュアル」なんてものは店側の投資と利益の都合で考え出されたものだ。小さな親切、大きなお世話とハッタリ割高メシ。
 もっと素朴でいて豊かな気持ちになってパワーのつくメシがあるんじゃい。

猥雑さ、いかがわしいのが大衆食堂の信頼の証明!

 朝霞の『かめさん食堂』で、『大衆食堂の研究』のアイデアがひらめいたのだ。
 古い木造家屋。おれはおれなりにちゃんとやってきたゼという主張がにじむ紺暖簾。
 日焼けしたメニュー・サンプルが並ぶショーウィンドー。定食、おかず一品付で500円、一品追加するごとに100円追加。冬には、懐かしい「サンポット」の石油ストーブがデーンと。知らんか。
 大衆食堂は年月が経ってうすぎたない。みすぼらしい。フヤケ野郎は「猥雑で、いかがわしい」とビビる。
 だが、この「猥雑さ、いかがわしさ」こそ信頼の証明。
@メシ食うため以外のところに余計な投資はしてない。
Aメシを、商品としてもカネ儲けの手段にしようというコンタンがない。
B会社と出世のためならなんでもやるという自分を失ったサラリーマンがつくるメシではない。
 オシャレに負けず、「地味以下」の食堂が生き残ったわけもこのへんにある。
 こういうところに、ふらふらスッと入って、ごあいさつして、でたとこ勝負でメシが食えなきゃ男じゃない。
 このあいだ、美女を連れてスッと入ってきたやつに出くわした。これだね、時代は。ちょっとシャクだったが。「大変な時代」を生き抜く男と女は、これだ。オシャレなヤツらがいるかどうか確かめて入るというクセは改めろ。おれはおれ、と独自の決断をやれ!

こんなところにこんなふうにあるジャンク食堂

 それでは、簡単に、おれが「ジャンクな食堂」と呼ぶ、60年代のたたずまいや内容を残した大衆食堂をちょっとだけ、なるべく不親切に紹介しよう。
 自分の足と頭をつかって自分に合った食堂を見つける。それが昔ながらの男のスジ。これらの例は、見つけるポイント、味わい方のヒントぐらいに考えてほしい。
●南に「小林食堂」。大田区の京浜急行線六郷土手駅そば六郷温泉入口にあるなんていいね。このへんから多摩川の川下の一帯、大田区の東側にはジャンクな食堂が多い。そのひとつがこれ。さらに京浜急行沿線には、平和島駅前の「幸楽食
堂」。昔ながらの洋食中華の味でやっている「大森食堂」は大森駅前。穴守神社駅下車、穴守神社の入口近くの「穴守食堂」。元気だろうか。みんなジャンクだ。
●東に「川崎屋」。東の場末といえば亀戸。JR亀戸駅下車、確か亀戸5丁目商店街だ。いかがわしさ、猥雑さはかなりディープでよい。おれが食っていたら30代のカップルがちょっとのぞいただけで立ち去った。バーカ。ここのトウフイタメとオムライスは絶品だぞ。ついでにJR新小岩駅で下車、平和橋通りを南へ歩くとあります、「いすず食堂」。隅田川の東はジャンクな食堂が多い。
●北に「竹屋食堂」と「たぬき食堂」。「竹屋食堂」は西日暮里の京成電鉄ガード下にあって、ま、だいたいの若者はこの前でビビる。「後援会長」って人だって「(見た目は)ワトスト3」に入ると喜ぶくらいだが、「人情もメシも東京一」という誇りがあるんだね。ここの常連になれたらキミは自信を持って生きていい。『たぬき食堂』はJR山手練駒込駅下車。「独創性」爆発の手作り。デコラのテーブルがピシッと並んで、天井に神棚があって完璧に1960年頃にタイムスリップできる。板橋区も北というべきだろう。東武東上線大山駅そばに「かどや食堂」。同ときわ台駅から図書館の前を通りSB通りに出たところの「美松」の暖簾は、ただ大く大きく「食堂」とあるだけで、本格の男っぼさ。日暮里・駒込を結ぶ練あたりから北へ向かうほど「深くいかがわしい」食堂が増える。
●西といえば「常盤食堂」。京王線笹塚駅南口観音通り商店街を入ってすぐ左。大正7年の創業。古いだけじゃつまらんが、ここの味は深いものがある。これが日本のメシの味だ、とはホメすぎかな。「ひとのあたたかさ、ぬくもり」とはこういうものではないかと思わせる力がメシにある。ご主人は「なに、昔ながらにやっているだけですよ」なのだが。人間、やさしく上品でも、どんなに知識があってもこういうぬくもりがなかったらダメだね、と思わせるメシだ。西の地帯は京王線初台・幡ケ谷駅周辺、JR中央線高円寺・阿佐ケ谷・荻窪駅周辺にジャンクな食堂が多かったのだが、どんどんなくなっている。幡ケ谷駅から西原の商店街を行くとWPBの某編集者の青春時代のメシがある「大衆食堂山幸園」。かなりディープだ。
●真ん中。港区六本木に「六本木食堂」あり。深く修行したいやつは新宿は歌舞伎町の「鶴亀食堂」や西口大ガード側の元ションベン横丁の現「思い出横丁」へ、南口場外馬券売場近くの「長野屋」のメシも食わずに競馬が好きだなんてモグリだね。
●駅前食堂。これが昔は全国にあった。都会では少なくなったねー。JR山手線御徒町駅北口の「御徒町食堂」。日暮里駅東口の「まねき」。常磐線北千住駅西口の「おかめ」。
●前述。「大衆食堂泉や」は京浜東北線与野駅西口与野銀座商店街を入ってすぐ。「かめさん食堂」は東武東上線朝霞駅から市役所へ向かう駅前商店街のはずれ。どちらも埼玉県だが、埼玉にはジャンクな食堂が多い。

 どこへ行こうが、土地柄と主人と客たちによってまったく違った様相を示す大衆食堂がまだまだある。
 この秋、ガバガバ食い歩き、どこかの常連になれるようがんばってみよう。それで来年は何かが変わるはずだ。
 食堂の食い歩きなんて邪道だが、自分に合った店が見つかるまでは仕方ない。
 さらば、見栄メシ、フヤケメシ。



ブログ版関連 2009/09/18男なら「大衆食堂」でメシを食え!


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