ザ大衆食トップブログ版日記


たぶん日本初世界初か、銭湯の浴場でトークショー
08年4月5日(土)「第1回 月の湯古本まつり 〜銭湯で古本浴〜」


「酒とつまみ」編集発行人の大竹聡さん×エンテツのトークショー
「酒とつまみと男と男」の概要、要約、抜粋、テキトウごちゃまぜの一部を掲載。


(08年5月17日版)


●ご参考ブログ版
2008/02/16(告知)「酒とつまみ」編集発行人の大竹聡さんと呑みながらトークショー。
2008/04/06(報告)「わめぞ」酔ってくだんのごとし。

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[【わめぞ】とは]
私たちは早稲田、目白、雑司が谷地区の「本」に関係する仕事をしている人間の集まりです。

●わめぞブログに載った告知から

4月5日(土)「第1回 月の湯古本まつり 〜銭湯で古本浴〜」
◎トークショー(場所:男湯 風呂場)
■第1部 14:00〜15:00
岡崎武志さん「坂を登れば文学がわかる」
「坂」が出てくる小説を通して岡崎武志さんが文学をわかりやすくレクチャーします。定員30名。
■第2部 16:00〜17:00
大竹聡さん、遠藤哲夫さん「酒とつまみと男と男」
「酒とつまみ」編集発行人の大竹聡さんと、「大衆食堂の詩人」の異名を持つ『汁かけめし快食学』(ちくま文庫)の著者である遠藤哲夫さんの酒飲み話。公開飲み会です。定員30名。



銭湯の浴場でトークショー。大竹さんとエンテツは浴槽の中、バックに金魚と富士山の絵が。
こちら、わめぞメンバーの旅猫さんのブログに画像があります。大竹さんもエンテツもゴキゲン。
旅猫雑貨店 路地裏縁側日記
2008年04月16日■月の湯古本まつり・トークショー編

●御礼 愛人8号おったちとうふさんが、トークショーを録音し書き起こしてくれました。ありがとう。それをもとに作成。
●なお、この様子は、ビデオで短く2回か3回に編集され、「エンテツの大衆食道」を公開の「マイコメ」公式サイトで、まもなくご覧いただけるようになります。ここに掲載の画像は、そのビデオから。




大竹 (ここに来る前)どこで飲んでたんですか、きょうは
遠藤 赤羽。赤羽の駅前に「まるよし」という、駅のすぐ、本当にすぐ前にあって、ここはいいんですよ。「まるよし」はイイ、本当に、今日も行ったけど…いいかなこんな話して。
大竹 ぜんぜん大丈夫です。
遠藤 ここに来る前だから何時かね…いま3時だからもうちょっと前だね。
大竹 12時ぐらい。
遠藤 まぁ12時ぐらいにそこに入って(ちがう、実際は14時ちょっと前だったと思う)するとね、そこにいつもいるアル中っていうか、ま、アル中でしょう、赤羽にある何とか病院に通ってる人がいるんですよ。この人がいつもいるんだよね、真っ赤な顔して。

大竹 それ、飲み屋と病院と両方で会ってるんじゃないですか?
遠藤 うふふ。病院行った帰りに、おれは寄るんだよって。で、今日おれがガラッと開けて入ったら、そのひと1人しかいなくて。ああ、またか…おれはお前の仲間じゃねえぞって。
大竹 お互いに?違うか?いやいやいや…。
遠藤 いやおれはアル中じゃないですよ、あの人と比べたらおれはとても、あなたの方が近いですよ。
大竹 そう言い切られると…何とも言いようがないです。
    遠藤さんは普段どういう店で飲むのが好きなんですか。
遠藤 なんでおれに質問するんだよ。
大竹 インタビュアーですから。

遠藤 まあこう言っちゃあ、いろいろ語弊が生じるかもしれないけれど、太田和彦さんの本には絶対載らない、載るのがありえない。あなた、このあいだ太田和彦さんと何かイチャイチャやってたらしいじゃない。(大竹さんは八重洲ブックセンターで太田和彦さんとトークショーをやった)
大竹 いい子いい子してもらって、あれはあれで気持ちよかったりしましたけれども。
遠藤 あれが危ない罠なんだよね。
大竹 ただ、太田先生とお話ししていると、「大竹クンもこういうところが好きだね」って言われて、「ええ、そうすね」って。「あそこで何かこう、蕗味噌か何かをつまみに熱燗をやるのはおつだね」なんて言われると、「おつでさあねえ」と。抵抗できないんだよね。
遠藤 健康的だよね。

大竹 僕はカメレオンみたいに相手によって人が変わっちゃう人間なんで。
遠藤 おれも結構そうなんだけれども。ただ、声がかからないから。おれも行くと結構、ああいう人に弱いかなって感じがあるんだけれども。
    でも、ちょっとあれだね、おれはやっぱりああいうところじゃなくて、太田和彦さんの本に一切載らない。太田和彦さんの本を読んで行く人から見ると、あれ以下のレベルというふうに思われている店を、あえて選ぶわけじゃなくて、自然に足が向く…。
大竹 この間の蕨の店も、四人で最初にばかすか飲んで、それから焼酎二本あけて、足らずに、焼酎おかわりして飲んだんですよ。
遠藤 ええっ、そうなの。
大竹 そうですよ、覚えてないんでしょう。

遠藤 覚えてない。おれは焼酎がね、本当は二本目はあいていないんじゃないかと思って、気になっていたんだよ。いつも、あかないと、おれはもらって帰ってくるんだよ。だけど、おれのリュックサックの中に入っていないんだよね。何か残ったような気がするんだけれども、どうして入っていないんだろうって、悩んでたんだよ、おれは。
大竹 二本目飲み切って、さすがに三本目となると長いかなという感じだったんですよ。じゃ、もう一杯ずつ最後に締めでもらいましょうかねと。でも、遠藤さんは覚えていないだろうなと思いました、そのタイミングでは。
遠藤 おれ、でも、あなたと帰ったのは覚えているよ。南浦和で、おれはあのとき一応あなたのことを心配して、あの日、何日か前、風が強かった日なんですよ、風が。そのとき、南浦和ってみんな知らないかな、埼玉県南浦和。そこへ武蔵野線というのが通っていて、それを乗ると、なぜか国分寺だか……。
大竹 西国分寺というところなんです。
遠藤 全く南浦和と雰囲気から上流と下流ぐらい違うんじゃないかというところへつながっている線なんだよね。
大竹 西国分寺の方が下なんじゃないですか。
遠藤 どっちだかわかんない。あの日、電車が風でとまっていたから、おれはあのとき、あなたが一緒にあそこでおりるときに、電車がとまっていないかなって一応心配したんだよ。おれ、そういうところ偉いんだよね、どんなに酔っててもね。
大竹 帰り際にホームで、蕨からですから、遠藤さんは北浦和で私は南浦和ですから、同じ方面なんですね。一緒に来られた南陀楼綾繁さんたちは都内に帰るんですけれども、同じホームで待っていて、先に上りの電車が来て、ゲストの塩山さんと南陀楼さんがそこへ乗るというときに、遠藤さんが僕に言ったのは「赤羽行かない?」って言ったんです。
遠藤 本当かよ。
大竹 本当ですよ。「赤羽、行く?」「これから?」みたいな。
遠藤 行きゃよかったな。

遠藤 おれは、本当はちょっと大竹さんの不倫の話をここでしようかなと思っているんだけれども。彼は小説家になりたいんだよ。だから、小説家になるためには不倫も殺人も盗人も何でもやらなきゃいけないとかって。本当に日本の私小説家はしようがねえよな。体験しないとできねえとかって。
大竹 そういう話を、あるときに飲んでいてしたら、「大いにやれ、何でもやれ、人殺しだろうが何だろうがやった方がいい、おれは知らねえ」と。
遠藤 有名になるしな、その方がな。
大竹 それでいて御自身のブログでは、どうでもいいような小さな瑣末なことを芸事みたいにきれいに端正に書き上げる日本の私小説の伝統云々みたいなことを、けっこう木っ端みじんに書いていて、おっかない人だなと思っているんですけれども。
遠藤 何それ。
大竹 忘れちゃうからね。
遠藤 おれはもう、いつもブログを書くときも酔って書いているから。

    大竹さんとこのあいだ飲んだときに、結局(今回のトークショー)どうしていいかわからないから、来た人たちに、いつも質問というのは会場の方からおれたちが受け付けるんだけれども、こっちから質問しようという話をしていたんだよね
大竹 思い出した思い出した。それなら一時間もつよと話してた。
遠藤 そうそう、大体おれたち、こっち側だけが質問されるとおかしいじゃないか、あなたたちはなぜここに来たんだという質問をやろうと。(ここで遠藤は立ち上がり、「ああ、ほら、そこのメガネをかけたかた…」と男性を1人選ぶ)
    なぜここへ来たんですか?
男性 近所だからです。
遠藤 酒は飲まないの酒!
男性 飲んでます!飲んでます!
遠藤 近所から来たって言われると応えようがないよね(じつは遠藤に会いたくて遠くから来たという答えを期待していた)。厳しいねぇ、ただ近いだけ!
大竹 浦和と調布ですからね。
遠藤 わしら遠くから来ているのに、近所だから。
大竹 (会場の男性に)どのぐらい飲むんですか。
男性 友達がワインを最近飲み始めたみたいで、その御相伴にあずかることぐらいで。日本酒系はわからないんですよ
遠藤 日本酒系がわからない。
大竹 教えてあげてください。

遠藤 私、新潟は越後の生まれで、これ菊水(と手に持った缶酒、会場から拍手)。何が拍手だよ。これは新潟のお酒です。意味がわからないでしょうけれども。
    おれは日本酒という言い方は嫌いなんですよ、これは清酒というんだけれども。なぜかというと、日本酒は焼酎もあれば泡盛もあるので、一応清酒というんですけれども。それで、これについて、何の話しようと思ったか忘れちゃった
   (大竹さんに向かって)あなたは大体ホッピーしか飲まないの。『ホッピーマラソン』なんて書いているけれども。
大竹 中身の焼酎も飲みますよ。
遠藤 それはそうだけど、ホッピーがないと飲めないの、ホッピーがないと。
大竹 うん。そんなことはないです。いろいろ飲みます。最近は特に、一時期というか、日本酒をやるとぼろぼろに酔っぱらって、ひでえ目にあったりすることが長かったので、遠ざかっていたことがあったんですけれども、最近は日本酒をよく飲みまね。
遠藤 日本酒って言わないで、清酒って言って。
大竹 清酒。
    前にお話を伺ったときにもおっしゃっていたんですけれども、「何もない日は朝から飲むね、それはあんたも一緒だろう」って言われて、「いや、朝からは」って言っていたんだけれども。遠藤さんの量を聞いていたら、午前中に、はっと気がついたらワインの一本はあける。
遠藤 ワインは空くわね。
大竹 午後にもう一本あき。
遠藤 ワインなんかジュースだもん、あんなもん。
大竹 酒に突入して、その日はどこにも出かけずにずっと飲んでいたみたいな感じのが結構あって。毎日毎日ですもんね。飲みの席で外へ行くことも、ものすごい多いわけですよね。
遠藤 そんなことはない。やっぱりおれは田舎に住んでいるから、都心部まで出てくるのが大変だから、赤羽ぐらいまでね。

大竹 この間は、待ち合わせの時間の40分前から駅の……。
遠藤 あなただっていたわ。あなた、あのとき飲んでたじゃん、それこそ。この人こそ朝から晩まで飲んでる。この間、『酒とつまみ』の取材の日は、5時に待ち合わせて、風が強かったので、おれも用心して4時半ぐらいに行ったらもういたんです。何かボオッとした顔して、いい気分だなと。酒を飲んだ後の顔でしょう。
大竹 いやいや、そんなことはないです。
遠藤 ちゃんと言いなさいよ。
大竹 少し酒が入って酔っぱらっちゃったんで、蕨までどれぐらいかかるのかもわからないから、物すごく緊張して用心して行ったら、四時半ぐらいに着いちゃったんです。そうしたら、遠藤さんがすぐお見えになったんですよ。
遠藤 でも、こんな話していていいのかなと、おれ、ふと思うんだよね。

大竹 遠藤さんは古本そんなに買わないんですか。
遠藤 買わない。
大竹 でも、一緒に古本屋めぐりをやっているときって、けっこう鋭い眼光で、オヤジおまえって言ってるじゃないですか。
遠藤 そうそうそう。オヤジ好きなんだ、おれ、古本屋のオヤジは好き。
    古書ほうろうはよく行くんだけれども、ああいうのじゃないんだよね。やっぱり、この間、蕨のなごみ堂のオヤジ、もう本当に、おれは初めて会ったのに、「あんた、どっかで見たことあるね」って言われて、「おまえ、酒場だろう」っていうぐらい真っ赤な酒焼けの顔しているんだよね。「おれは計算が苦手だ」とか言って、こんなちっちゃな電卓を太い指をこうやって、計算まちがうのあたりめえだよ。
大竹 店内の本10パー引きとかなんとかになっていて、フェアだったんですね。10パー引かなきゃいけないときに、単純に10%暗算して引くという作業ができなくて、コンマ九でやろうとするんですよ。やると、「いけねえ」とかボソッと言ってもう一回やって、「ううん、計算できねえ」。電卓だぜ。
遠藤 ああいう古本屋を見ると、おれは、古本が嫌いでも古本屋に行ってもいいかなって。
大竹 古本は嫌いじゃないでしょう。
遠藤 一冊も買わなかったけれども、あのオヤジとそうやってしゃべってると、おかしかったよね。
大竹 本当、おかしかったですね、あのときね。「会ったことあるよね」っていきなりおやじが。難しい顔して本読んでいるところに、「あんた、会ったことあるよね」って。

遠藤 うん、やっぱり古本屋のオヤジというのは酒焼け顔して、何だろうな、古本屋のオヤジというのは、どうでしょう、皆さん。まず、酒焼けした顔をしている。それから、計算ができないとかね。あと古本屋のオヤジって何だろう。だから、ワンカップを持っていくとまけてくれるとかな。
大竹 「持っていっていいよ」とか。
遠藤 「その本一冊持っていっていいよ」って。
大竹 そんなことはないですけれどもね。ちょっと南陀楼さんが次に書くネタをばらしちゃったかもしれないんですけれども。

遠藤 ああ、そうかそうか、書くとかって言っていたから。まあいいや、どうせ『酒とつまみ』なんか、いつ出るかわからないんだから。でも、おれ、うらやましいよね、(『酒とつまみ』は発行がいつもすごく遅れる)遅れることをウリにして生きていけるなんて。おれはそういう人生を送りたい。本当にそう思うよ。遅れることを自慢しながら、ウリにしながら。ねえ。(大竹さんは酒の缶を開けている)飲んでごまかしてんじゃないよ。
大竹 落語家だね、ほとんど。

遠藤 18歳のころ。あなたはけっこう悪いことをしていたから。酒は何から入ったの。
大竹 飲んだ酒ですか。
遠藤 一番最初に飲む酒があるじゃない。
大竹 それはもう中学ぐらいのときからビール。毎週日曜日には、うちの家は大体なべを食うんですよ。親が酒飲んでいるときに「日曜日には晩酌につき合え」と。中学一年ぐらいからなんです。それ以前とかはあまり、いたずらぐらいしかないですね。
遠藤 それ、ビール。最初はビールなんだ。
大竹 ビールですね。高校で、ウイスキーを飲んでみたくて、格好つけたんですけれども。
遠藤 すごいね。そのときウイスキーは、けっこう高かったでしょう、まだ。
大竹 高かったですね。飲み屋も高くて。昭和38年ぐらいにお生まれの方だったらわかると思うんですけれども、僕が16、7ぐらいのころというのは、昭和50年代に入っていて、髪さらさらな、きれいな女子大生がバーとかパブみたいなところでカウンターでバイトしていて、僕が高校生のときに行くと、きれいなねえさんがいるんですよ。
遠藤 えっ、そんな世代なの。いい時代だったね。かわいがってもらったでしょう、あなたの顔なら。
大竹 アルバイトしたお金で必死で行って、「ロック」。煙草吸って、がががって、「ロックおかわり」「大丈夫」とか言われて。
遠藤 その後どうしたの。
大竹 ゲロ吐いて帰りました。それが酒ですね、多分だから、サントリー・オールド。
遠藤 すごいね。
大竹 でも、その後、本当に酒を飲むようになってからは、トリスとかになっちゃって、角瓶も。
遠藤 それはあれだね、贅沢の貧乏楽しみってやつだよね。
大竹 何ですかそれは。
遠藤 最近けっこう多いんだけれども、金があるから、わざと下界の様子を見ようとかって、三文酒場あたりに来て。
大竹 最初はそういうところに行って、なけなしの金を使っているのでよかったんですけれども、本当に酒が必要になって飲むようになったころというのは20前後なんですけれども、毎日なので足りないじゃないですか。それでトリスとか、でっかいボトルのやつをアパートに買っておいて。
遠藤 ガロン入りだったっけな、あのころ出たんだよね。あのころって、いつか知らないけれども。80年前後かな。
大竹 80年。
遠藤 ぐらいだよね、ガロン入りが売り出す。その前までは普通のボトルだったのが。
大竹 あんなのを結構メタメタ飲んでいました。
遠藤 割とウイスキーだよね。安く飲めればいいというと、80年ごろだとウイスキーかもしれないね。
大竹 ただ、学校の友達の部屋とかで、みんなでやるときは二級酒一升。
遠藤 ひたすら二級酒飲むときはさ、何か頭が痛くなるのを待ち焦がれながら飲む部分があるんだよね。ああ、酔った、痛えとかという、あれがたまらないって感じで。
大竹 たまんねえんですか。
遠藤 そうじゃねえの。ああもう、きたきたって、横になりながら飲まないの。でも、二級酒なんか生意気だよな。おれなんか合成酒飲んでたからさ、本当に。おれはそういう意味じゃ、日本の出世と共に歩んだね、経済成長と共に。いやあ、合成酒。

大竹 昭和37年からの学生時代というのは、どこに住んでいたんですか。近くですか。
遠藤 あのころは転々としたけれども、最初、東京へ来たときは調布の方に住んでいたな。今はつつじケ丘だけれども、当時は金子町って、調布市、あっちの方にいて。
大竹 仙川の次ですね。
遠藤 その後、どこだったっけな、代田橋に行ったのかな。そのころ飲んでいたのがホッピーと、その後に、あれ覚えてんだよ、コーリャンでつくる酒、何ていったっけ。パイカル(以下「白乾」)。御存じかな。いまは少ないな。
    白乾というのは、いわゆるシナ、満州のコーリャンという、知らねえだろうな。コーリャンって炊くと小豆みたいに。今あれだよね、雑穀ブームだとかっていうけれども、さすがにコーリャンは食わないね。コーリャンというのは何かちょっと赤い色がちょっとあって、炊くと赤飯みたいに見えるんですよ。おれがガキのころは、赤飯って出すのが、じつはコーリャンだったという。
大竹 受けてください。
遠藤 いや、いいんだよ。それを原料にしたのがたしか白乾。これが一番安かったの。おれが東京に来て初めて腰を抜かしたのは白乾なんですよ。この酔い方は、もう、強烈で。
大竹 どのぐらいですかね、度数。
遠藤 50とか60。今は何かいろいろあって低くなっているらしいんだけれども、当時はわけのわからない時代だったから、5、60度はあったという。最低でも、45度ぐらいじゃないか。
大竹 でっけえショットグラスみたいなのに、なみなみきてね。
遠藤 それを一杯飲んだら、完璧にもう。これがホッピーと同じ値段ぐらいだったから、だから、それを覚えてからそっちへ流れちゃったね。
大竹 うまいですか。
遠藤 白乾は、うまいかどうかわからないけれども、おれは酔えるとうまいと思うから。単純なんだ。

大竹 あと、ホッピー、白乾で、もう一つ何かありますか、おもしろい酒。
遠藤 おれらがウイスキー飲むようになったのは70年代に入ってからですよ。もうちょっと前か、1965年の後半になってから、レッドか、あれだね。レッドが500円、一本。
大竹 昭和40年ですね。
遠藤 田舎は新潟県で、中学生のころから清酒は飲んでいたんだけれども、ウイスキーとかビールは高級品だから飲めなかったんですよ。東京へ出てきて何年か過ぎて、65年を過ぎてからようやく飲んだのがレッドなんだよね、500円の。
   今、立ち飲み酒場ってブームだけれど、当時、東京の新宿あたりでも酒屋で、いわゆる角打ちみたいに飲ませる酒屋があって、そこにアリスというウイスキーがあったんだよね。アリス、これはよかったね。新宿の歌舞伎町へ入る通りの……
大竹 靖国。
遠藤 靖国通り。あそこ、今、表側はコンビニになったんだけれども、脇へ入ると酒屋をやっていて、アリスというウイスキーがあって、これはよく覚えているんだけれども、もう本当の合成酒だよ。コップ一杯飲んでいる最中に頭が痛くなるんだよね。
    なぜその歌舞伎町の入り口にあるのがいいかというと、歌舞伎町の中へ入って飲むと高いから、われわれ貧乏人は、そこでまず一杯きゅうっとひっかけて、それから歌舞伎町の中のちょっといろいろある飲み屋に行くわけなんだけれども。50円、今でも忘れない。1970年代ぐらいだな。
    いやあ、そのころ、いいところがあったね。新宿のコマの近くに、立ち飲みなんてもんじゃない、いい立ち飲みがあって。下が土間なんだ、土なんだ土。コマの周辺ですよ、新宿のコマの周辺で。そこへただ棒切れで建っていて、板がこうなって。あの店はよかったね、けっこう大きな店なんだけれども。そこに初めて、金を入れると燗をした酒が出る自動販売機が置かれたんですよ。いや、ほかに置かれたかもしれないけれども、そこなのね。いやあ、あれは感動したね。歌舞伎町というか新宿コマの周辺はそうだったの。おでんを売っているばあさんがいてさ。あと全部自動販売機なの。立ち飲みなんだよ。あれはよかったな。あのおばあさんは死んだろうな。
大竹 生きてますよ。
遠藤 何年ごろの話かな。考えちゃう。つまんねえ話をした。


地位向上委員会ヨッ大衆食堂