文化放送2008年3月30日 浜美枝のいつかあなたと「浜さん家のリビングルーム」で優雅なエンテツのおしゃべり。 (2008年4月28日掲載) すでに、ブログに書いたラジオ出演だが、呑み人の会のタノさんが録音し、それをオッタチトウフさんが書き起こすという、めんどうをしてくれた。呑み人の会は、高度に酒を呑んで泥酔する以外にも高い能力があるのだ。おかげで、ここに概略(放送の一部を略してまとめた)を掲載することができる。お二人さん、ありがとう。 これは、3月18日(火)14時から30分ほど、東京・浜松町駅そばの文化放送のスタジオで収録したものを、20分ぐらいに編集して放送された。 ■ブログ版関連 2008/03/19 文化放送「浜さん家のリビングルーム」。 2008/03/30 ツライ一日だった。 ■他サイト関連 文化放送「浜美枝のいつかあなたと 2008年3月30日 遠藤哲夫さん」 http://www.joqr.net/blog/hama/archives/2008/03/2008330.html 浜美枝、寺島尚正(文化放送アナウンサー) ゲスト 遠藤哲夫 2008年3月30日(日)10時30分〜11時 それは、優雅な日曜の朝、朝日が当たる家のリビングルームで、優雅な奥様との語らいというかんじで始まった。 ○浜美枝(以下浜) やわらかな朝の日ざしに包まれて、けさもすてきなお客様を我が家へお招きいたします。 ○寺島尚正(以下寺島) 「浜さん家のリビングルーム」。きょうのお客様は、フリーライターで大衆食堂や庶民的な食文化の研究をされている遠藤哲夫さんです。 遠藤哲夫さんは、一九四三年、新潟県南魚沼市のお生まれ。法政大学を中退後の一九七一年、食品や飲食店のプランナーとして活動を始められ、そのかたわらに活字媒体での執筆活動をスタート。庶民の食文化をテーマにした原稿が多く、これまで書かれていた御本に『大衆食堂の研究』『汁かけめし快食學』などがあります。 きょうは、フリーライターの遠藤哲夫さんに大衆食堂の魅力についてお伺いいたしましょう。 あいさつのあと、浜さんは、こんなふうに話し始めた。 ○浜 遠藤さんはフリーライターとしても数多くの原稿を書かれていらっしゃいますけれども、中でも大きなテーマになっているのが大衆食。『大衆食堂の研究』という御著書もございますけれども。 遠藤さんのお考えになられている大衆食堂のイメージというか、定義といったらいいんでしょうね、それはどんなところでございましょうか。 うーむ、『汁かけめし快食學』の「やってみるか「かけめし定義」」にも書いたが、「定義破壊が好きなおれは定義が嫌いなのだが」、しかし、たいがいの話しは定義から始まる。ま、そうしないと話の「軸」や「わく組」が定まらないということもある。しかし、なるべく定義にしばられないように、むしろ定義からイメージが広がるように話す。「定義」を定義すれば、定義とは、階段の一段のようなもので、階段を昇りきった正しい終着の型ではないのだ。変化する現実をとらえる手がかりにすぎない、というのがおれの考えだ。というわけで、おれは、このように応えた。 ○遠藤 定義といってはちょっとかた苦しいんですけれども、私のイメージとしては、一つは、毎日通っても飽きない。毎日の生活の中で便利な場所にあって、地域の人にも愛されている。 それから、メニュー的にはやはり飯と味噌汁ですね、それはどうしても欲しいなという感じがあって、その辺があれば、まあ大衆食堂、値段もある程度手ごろな値段で。 あとはやはり、毎日行っても飽きないということになりますと、おかずが豊富ということですね。一度に豊富にあるかということも大事ですけれども、毎日、日替わりでおかずが変わっているとかそういうことも含めて、豊富なおかずがあるというのが一つの条件かなという感じで見ていますけれどもね。 ○浜 なにしろ、好きな食堂が家のそばにあったら、バランスはとれるし、毎日飽きないし、若い方なんて求めていますものね。 ○遠藤 食事のしたくを自分でやるのが嫌になるぐらいの食堂があると、もううれしいですね。本当は自分でやるのが一番いいんでしょうけれども、それでも。 ○浜 ちょっとあったらね。 浜さんは「遠藤さんが大衆食堂の中でもここはというお店をそおっと、このラジオをお聞きのリスナーの方にだけお教えいただけますか」と、これまたおれが苦手なことをきいてくる。「そんなもの自分で五感をつかって街を歩いて見つけろ!」といってしまっては番組にならないから、おれは「そおっとというところは皆さんそれぞれあるんだと思うんですけれども、よく有名なのは、必ず評判で上がってくるのは……」というふうにウニュムニュと話す。 ○浜 おいしそうですね。 今、東京を伺いました。地方に行きますと、またその地方の料理、特色はいろいろございますけれども、どうなんでしょうね。 ○遠藤 かなり違いますね。特に大衆食堂ははっっきり違いが出て、とくに大きなのはやはり味噌汁の味は。これは味噌そのものが違いますし、あと出汁、それぞれ地方によってとり方が若干違ってきますから、これはかなり違いますね、塩かげんも含めまして。 寺島アナウンサーが核心部分に話をふる。 ○寺島 でも、遠藤さん、そういった食堂があまり見かけられなくなったというのは何か寂しい気がするんですけれども、その辺の現状というのはどう思われますか。 ○遠藤 基本的には、大衆食堂だけ減っているように見えるんですけれども、そうではなくて、小規模の自営の方の店が、シャッター商店街といわれるようにどんどん減って、それと一緒に減っている部分が多いんですね。ですから、大衆食堂のレベルで考えますと、大規模店は結構、むしろ最近チェーン店でも伸びて、大きな、総座席数ということで見れば、そんなに変わっていないんですよ。ただ、小さな、二十五人以下ぐらいの規模のところがどんどん減っているものですから、何となく町の皆さんにとってはどんどん減っていると。 だから、これはよく私いうんですけれども、田んぼが米づくりだけでなくて水源地や景観をよくする機能もあるのと同じように、やはり町中のそういう小さな店とか食堂というのは、そこへ人がたむろして、町の人情のたまり場みたいになっている部分があって、そういう価値を大事にする必要があるのではないかなと。 ○浜 人情のたまり場ね、確かにね。 ○遠藤 そういうところがちょっと、地元に住んでいる自営の方が少なくなるということは、そういうのが一緒に失われているところがあって、ちょっとその辺が残念であるなと。 さらに話しは核心部分へ。ここで浜さんは「食と農業」という大きなことに話をふる。この番組はJAがスポンサーということもあるが、いま飲食を語るうえではトピックな話題だから、はずすことはできない。しかし、これを短い時間で語るのは、なかなか難しい。「評論家」的におちいらずに「自分自身」がどう考えるべきかどうあるべきかというところをはずさないように話し、その意味では浜さんもそうであり、それなりにポイントを押さえた、うまくかみあった話しになったとおもう。 ○浜 そういう意味では、今とくに、中国の餃子の問題から始まって、とても食というのが見直されて、自分たちが安全なものを食べたいというものが広がってきて、食に対する認知度というのも広まったと思うんですね、今回のことで。 そういう意味では、どうでしょう。ちょっと話が大きくなるかもしれないんですけれども、遠藤さんからごらんになって、食堂から食、さらにもうちょっと広がって農業というもの。日本のそうした農業についてどんなことをお感じになられますか。新潟のお生まれで。一言ではやはり言えませんけれども。 ○遠藤 ちょっとこれは難しくて。 私のまわりは農家が多いわけですけれども、ずっと見ていると、戦後の農業というのは非常に政治と経済に振り回されちゃって、生活のための農業というあたりがちょっと抜けた部分があると思うんですよ。そうすると、あまり誇りを持った農業というものがなかなかできない。だから、そういうふうにやはりそろそろ転換していかないと、生活全般にもかかわりますけれども、農業そのものの問題としても、その辺のそろそろ転換点なのかなと。 ○浜 そうですね。そのためにも、消費者側のサポーターですか、よく理解していないと、一生懸命生産者が努力しても、消費者側が理解できないとその辺がうまくいかないですけれども。 でも、随分そういう意味では、一般の方々が興味を持ち始めてという時代になってきたので、農業そのものはこれから、これからが…… ○遠藤 これからが本当の農業になるのではないかという感じがするんです。食生活の方もそうですけれども、やはり戦後の混乱期からちょっとしゃにむにやって、ずっと、逆にいえば落ちついてきたのかなと。この辺でもう一度見直して、いいところを選んでいくという、そういう時期なのかなという感じがします。 ○浜 そして、日本人型の食生活というのはやはり一番、私たち日本人は身体に合っているということがわかるようになってきましたからね。 ○遠藤 そうですね。あまりじたばたしないで、ゆっくり落ちついて考えれば結局そこへ行き着くわけですけれども、やはりはやり物を追いかけたり…… ○浜 これは人間ですから、五十年、しようがなかったのかもしれないんですけれども。 ○遠藤 ある程度、経過だと思うんですよ、これは。だから、そんなにおかしくならないうちに、またきっと、人間だから、そこで少しは考えるのではないかと思うんですけれどもね。 ○浜 そうですね。確かに、農政といいますか、政治に支配されてきたというか翻弄されてきたというか、そういうところがございます。だって、自給率が39でも、もうちょっとみんなが本当においしく御飯を食べれば、それだけでずいぶん違いますしね。 ○遠藤 けっきょく、自給率が今問題になっていますけれども、廃棄量もすごく多いわけですからね。だからやはり毎日の生活をおいしくしようという心構えと考えというか、その方法がちゃんとできていけば、少し変わると思うんです。 ○浜 無駄に捨てないと。 ○遠藤 ちゃんとつくっておいしく食べてということをやり出せば、そうすれば、栄養なんか細かいことを考えなくても、自然に身体にいい食生活になるはずだし。 難しいモンダイをこえたところで、話しは一気にくだける。能でいえば「破」ですな。 ○寺島 さて、遠藤さん、昼酒の愛好家でもいらっしゃると伺っているんですけれども、昼酒の名店、名スポットというのを、ここだけで教えていただきたいんですが。 ○浜 ここだけでって、ラジオですけれどもね。 ○遠藤 よく居酒屋食堂といって、昼間からお酒を飲めて、食事もできるようなところを選んで行っているんです。 ○寺島 でも恐らく、どこか気に入っているところがあるんですね。その雰囲気といいますか、遠藤さんは。 ○遠藤 そうですね。やはり昼間飲むというのは、一つは、働いている人に非常に申しわけないんですけれども、優越感が非常にある。それと解放感ですね。昼間のお店というのは、新宿の思い出横丁にも昼間から飲める店があるので、あそこなんかはそうですけれども、昼間と夜と雰囲気がまったく違うんですよね。昼間はみんな割とのびのびと、ゆったりした気分で。 ○浜 ということは、もうお仕事をリタイアした方が多いんですか。 ○遠藤 いや、新宿の場合はそうでもないですね。ちゃんとネクタイは締めて。ただ、夜みたいに集団で来ている、ウハウハ騒ぎながら飲むという雰囲気は昼間はさすがにないわけですよね。みんな何か好きな人たちとこう。もともと一人で飲んでいる人が多いですけれども。 ○浜 でも、日曜日なんかね、ちょっと私も落語へ行く前なんか、昼酒、ちょっと一杯やって鈴本にとか、お蕎麦屋さんとか、その一合が何とも言えず。 ○寺島 至福の時間ですね。 ○遠藤 今のような陽気だと、どうしても昼間やはり歩いていると飲みたくなりますよね。 ○浜 そうですよね。日本酒じゃなくても、ビールでもおいしいですしね。 ○遠藤 そういう楽しみで。堕落者のようですけれども。 ○浜 いやいや、それは至福のときにはね。生活にリズムがあった方がいいですからね。 やっぱり「汁かけめし」だ。 ○寺島 あともう一つ、遠藤さんは、ぶっかけ飯、汁かけ飯、これは私も大好きなんですが、この愛好家でもいらっしゃって、本も出されているんですけれども、これについてぜひお話しいただけますか。 ○遠藤 これは非常に日本の食文化の深いところにかかわる問題だと思って、私はずっと追っかけているんですけれども、結局、今たしかに、白い御飯とおかずと味噌汁を多く食べるのは当たり前なんですけれども、この形態がごく一般、日常のものになったのは戦後の昭和三十年代ぐらいからなんですよね。その前まではやはり麦御飯、麦が入ったりいろいろして。 もっとさかのぼると、どういうことかというと、これは今わかれてきたわけで、もとはといえば一緒にごちゃまぜ、いってみれば、汁と穀類をまぜて食べていたのがもともとの発祥なわけですから、そこからだんだんわかれてきた。ですから、そういう意味では、日本の汁かけ飯というのは日本の食文化の源流ではないかなというのが私の考えで、ちょっとひらめいたものですから追っかけたんですけれども。 やはり確かに、そうやって食べた方が栄養バランス的にもいいんですけれども、近代になってから汁かけ飯は下品であるという考え方が、確かにポーズとかいろいろあるんでしょうけれども。でも、それは誤解というか偏見というか、きちんと食べればそんなことはなくて、むしろそれが毎日の労働の生活を支えてきた面があって。丼物などは結局そこから発展した形であるという感じで考えていたんですけれどもね。ですから、ちょっとこれにはこだわって、一応本は一冊書いたんですけれども、まだちょっと言い足りないなと思っています。 ○浜 それも、各地方によってそれぞれまた違うでしょうしね。 ○遠藤 宮崎の冷や汁なんてそうですけれども、結構レベルの高いものですよ。ですから、そういうものはもっと大事にしなきゃいけないなと。 食育基本法が避けているモンダイ、「生活全体のリズムの中で食がある」そのリズムを崩している長時間労働を語る。でも、呑んでうだうだリズムを崩していることもある。 ○浜 その大事にするということにおいてですけれども、やはり日本人のこの食文化って本当に豊かだなと思うんですけれども、現代はなかなか、豊かな食文化、食生活になりづらいといいますか、特に男性の方が大変でいらっしゃるなと思うんですけれどもね。 ○遠藤 基本的には、食事をして働いて寝てというリズムが、ちょっと仕事を中心に崩れてきちゃっている部分があると思うんですよね。 ○浜 ということは、労働時間が男性の方が長いということですか。朝、慌てて食べて出勤して。 ○遠藤 最近、私の知り合いなどは、朝も早出が多くなって、七時ぐらいに行かなきゃいけない。それで、夜の十時とか何かぐらいまで働いているわけですから。それが普通のサラリーマンですからね。 ですから、毎日の食事というのは食生活だけとらえてもまずい部分があって、生活全体のリズムの中で食があるわけですから、もうちょっと毎日の生活を大事にするというのかな、そういうリズムをね。何とかならないのかなと思うんですけれども。 ○浜 本当によく働きますよね、男性。女性もでしょうけれども。 ○遠藤 女性も最近は頑張っていますから。 ○浜 でも、そういって一生懸命、もちろん労働時間が長過ぎること、でもやはり、その結果、食生活が犠牲になってしまうといいますか、その辺のところは、もうちょっと正常なリズムというのがないと、成人病、健康的ではないですわね。 ○遠藤 全体として健康的でなくなる、不健康になると思うんですよ。 ○浜 御本人がそうしたいと思っても、それが許される社会じゃ今ないというところに問題がありますよね。 ○遠藤 相当努力しないとそういうふうにできないというのは、やはりおかしいと思うんですよね。普通、毎日のことですから、ちょっとあれすればできる程度になっていないとおかしいと思うんですよね。 ○浜 それと、でも、ちょっとそういうことを申し上げていいかどうかわからないんですけれども、新橋あたりにいると、中年のおじさまたちは、会社が終わったんだから真っすぐに帰ればいいのにと思うと、男同士が何か楽しそうに居酒屋で飲んでおしゃべりしていらっしゃる姿は、何ですかあれ、家に帰りたくないんですかね。 ○遠藤 どうなんでしょうね。ストレスを解消しなきゃいけないという理屈をつけて、悪循環…… ○浜 それはでも、わかるわね。 ○寺島 あと銚子一本だけねみたいに。それが何本も倒れて。 ○遠藤 でもあれですね、平均的にいうと、私が行く食堂あたりへ来ている人たちは、だいたい一時間ぐらい、うまく飲んでいますよね。上手にその辺はやはりリズムをとって。あまりでれでれ、私などは、でれでれだらしなく飲んでいますけれども。 そろそろ終わりということで。 ○浜 一時間ぐらい食堂で、バランスのいい食事をして、ちょっとお酒をいただいてというのだと、いいかもしれないですね、かえって。うちへ帰っても御飯ができていないかもしれないというふうなというようなことにならないように。 それだけ日本の食文化が豊かになってほしい、そのように思います。 話題は尽きませんけれども、ここで、遠藤さんの忘れられないあの味をお伺いいたします。 あれをもう一度食べたい。きっと召し上がっているんでしょうね。 ○遠藤 そうですね、割と。でも、それでもなかなか食べられないものが一つあって、いわゆる春先というか雪が消えるころに出てくる菜っぱ、春先の、やわらかくて甘くて。 ○浜 あの雪融け水で。それをどうやって。おひたしか何か。 ○遠藤 おひたしで食うんですよ。これがもう最高なんですけれども、これがなかなか食えないんですよね。こちらではもちろん食えなくて。 ○浜 その土地で。 ○遠藤 そうです。山菜の季節になるとだいたい行って食べていますからあれなんですけれども、その菜っぱだけはタイミングが難しくて、思い出しては食べられない。 ○浜 おいしそう。きょうはどうもありがとうございました。 このようにして、ブログにも書いたように「とにかく優雅に、浜さんも美しく優雅な方だ。がさつで育ちの悪い男が土方姿のまま、座敷にすわらされたような感じ」のエンテツのおしゃべりは無事におわった。やはりブログに書いたが、「チト話が抽象的になってしまった」という部分もある。録音から書き起こす作業をしてくれたオッタチトウフさんは、「表現は確かに抽象的ですが、おもしろかったです」との感想だった。 ザ大衆食トップ│地位向上委員会|ヨッ大衆食堂 |