産直?おでん屋

葛飾区立石
(06年3月6日掲載)

おれが利用するJR京浜東北線北浦和駅で、改札口から出てきた母子の会話が聞こえた。子どもは小学校低学年、どこかの「高級」そうな私立学校の制服を着ている。

子どもが、「○○のおでんを食べたい」と言った。○○は、よくわからなかったが、母親は、こう応えたのだ。「おでんなど食べてはいけませんよ、帰ったらママがクッキーをつくってあげますから」

おれはおどろいて、その母親を見直した。そこはかとなく育ちのよさを漂わせた労働の香りのしない美人の「若奥様」という雰囲気。ママがクッキーをつくってやるのは勝手だが、おでんを否定するとはナニゴトか、庶民の食べ物をバカにしているのか。と、怒りフツフツで、なんの脈絡もなく、そういえば、立石で撮ったおでん屋の写真があったな、と思い出した。

昨年4月。ある雑誌のフィールドサーヴェイで、編集者と葛飾区の京成立石駅周辺を歩いていて見つけた。おでん屋やおでん種屋は、数々あるが、このおでん屋はめずらしい。まもなく50になろうという歳月を山の手で生きてきた編集者は、「わっ、このおでん屋、産直じゃないですか」と言った。

おれは、産直ってなんのことかと思ったら、ようするに、右の写真左手奥の写っていないところには、おでん種の練り物をつくる小型の機械や、油を貯えた揚げ鍋があるのである。つまり、ここで練り物をつくって、揚げて、そして煮ても売っているのだ。

それをつくる機械は、専門用語でなんと呼ぶか忘れたが、原料の魚をすり身にする臼のような釜状のなかでスリコギのような棒が回転するやつや、できたすり身をかくはんし練るコンクリートミキサーのようなものがある。かつておれは大きな練り製品工場で、それらの機械が作業するところを見たが、そのかなり小型のものが、店にある。

このように、見えるところでおでん種をつくるところからやっているおでん屋は、めずらしいのではないだろうか。建物は古そうだし、きっと昔から、これがアタリマエで、こうしているのだろう。そして、ものをつくる風景が街頭の日常であるのは、下町らしさでもある。

葛飾区立石は、下町といわれる地域で、いまでは最も下町的な特徴を残す町といってよい。大規模店は少なく、小さな生業店が圧倒している。蕎麦屋や魚屋や、すし屋が多く目立つ。この地で生まれ育った知り合いの30代の男は、高校に入り余所の地域へよく行くようになるまで、ファミレスやファーストフード店を知らなかったという。家族で食事に行くときは、ガキのころから近所のすし屋だったそうだ。大衆食堂の場合もそうだが、下町は山の手とくらべ魚食の習慣が根強いことを感じる。このおでん屋についても、またそう思った。

そして、このおでん屋の景色は、あの「若奥様」風が見たら、いかにも汚らしい下品なものと眉をひそめそうである。こういう地域には住みたいと思わないのではないか。と、思ったとき、食には「下町」イメージと「山の手」イメージがあって、自分がめざす生活スタイルのイメージによって食べ物が選ばれることが、多分にあるにちがいないと思った。そして、「山の手」イメージの食は、いまの世間では成功モデルの食だろう、となると、「下町」イメージの食は幸福モデルということになるだろうか、と考えたのだった。

京成立石駅の南側の階段をおりると、写真右。こんなアンバイである。愛知屋は肉屋で、コロッケやトンカツやハムカツなどを売っていて、夕方には混雑する。この見えている一角は、都内屈指といってよい、駅前横丁大アーケード街で、縦横に路地がはしり、さまざまな業種がひしめいている。

愛知屋の先、見えている建物の角を左に入ると、飲兵衛のあいだでは有名な大衆酒場「宇ち多(だ)」があり、この日も昼間の1時過ぎというのに午後2時の開店を待つ男たちが並んでいた。左に曲らずにまっすぐ行くと、すぐつぎの路地の角に、これまた人気の立食いすし屋がある。さらに、そこを曲らずにまっすぐ行って、左に曲ると、大衆食堂の「ゑびす屋」だ。

下の写真は、「宇ち多(だ)」がある立石仲見世を抜けて、水戸街道と江戸川区小岩を結ぶ奥戸街道へ出て、ふりかえったところ。これはまあ、この濃いエグイ景色は、山の手では見られないでしょうなあ。おでん屋は、この撮影位置から右へ行ったところにある。



京成立石駅で、こちらと反対側に出ると、そこはまた古めかしく怪しくも素晴しい飲み屋横丁である。駅前は、クルマがわがもの顔のロータリーになっているところが多いが、ここはそうではなくクルマが入れない横丁に囲まれている。いかにも人びとが暮す町という雰囲気である。


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