食の原点を考える貝塚紀行 千葉市加曽利(かそり)貝塚でビックリした (06年5月3日掲載) ナマの、これだけ大きな貝塚を見たのは初めてだった。しかも、この貝塚、千葉市若葉区の住宅街のなかにあるのだ。いや住宅街のなかにあるというより、日本最大規模といわれる加曽利貝塚が高台の頂上部にあって、その周辺に現代の住宅街ができたといったほうが正確だ。 貝塚がある高台の頂上部は公園になっていて、その遊歩道を歩くと右の写真のように、貝塚の貝殻がむきだしになっている(白いのは貝殻)。これは、「今から約7500年前の縄文早期の終り頃から約2500年前の晩期の前半まで なんと5000年も続いた」縄文人の生活の跡であり、彼らが生活した土地の上を歩き、見えている貝殻に触れば(盗ってはいけないよ)、それは彼らが手にとって食べた貝の残骸なのだ。 ここを訪れることになったのは、牧野伊三夫編集長の美術系同人誌『四月と十月』、この同人グループには「古墳部」というのがあって、千葉の古墳や貝塚を訪ねる小旅の誘いをうけたからだ。今年の1月14日と15日。14日は富津市金谷の金谷神社にある、塩を焼く塩竃に使われたと伝えられる「大鉄鏡」を見て、富津市の弁天山古墳、富津ふるさと展示室などを見学、のち富津岬の富津岬荘に宿泊宴会。翌15日、木更津市の金鈴塚(きんれいづか)遺物保存館と金鈴塚古墳を見学、そして最後が、この加曽利貝塚だった。 このとき立ち寄った二つの大衆食堂については、すでに当サイトに掲載してある。一つは富津市金谷の「味はな」、一つは木更津市東清川駅近くの「大衆食堂 とみ」。ぎゃははは、どちらも、まだ詳細を書いてないな。 写真下、左は、貝塚の一部を建物でおおい(上の写真に、その建物が写っている)、このように断面を見られるようになっている。右は、その一部をアップで撮った。このように貝が重なり、一番高いところは大人の背の高さ以上あった。ぐへぇ、こんなに貝を食べたのか。 ほかのものは食べてなかったのか、というとそうではない。貝塚のなかにはイノシシやシカなどの動物、カモやキジなどの鳥の骨がたくさん捨てられてあって、右の写真にも見られる。またイワシ、サバ、クロダイ、スズキなどの骨もあり、そういうものもけっこう食べていたらしい。また集落あとからは、クリ、クルミ、シイ、トチなどを保存したらしいあとまで見つかっている。 しかし、とにかくこの貝塚は、デカイ。集落を囲むように、直径130メートルの環状のものと、直径170メートル馬蹄形のものが二つ、つながってあるのだ。集落の面積より、このゴミ捨て場の面積の方が広いだろう。食べればゴミの山とクソが出る、これはイマもムカシも変わらないのだなあ。 いったい、こういう生ゴミに囲まれて暮して、とくに蒸し暑い夏などは臭くはなかったのか、と牧野編集長は説明の学芸員に素朴な疑問を発したが、マジメな質問じゃないと思われたのか、返答は噛みあっていなかった。しかし、ムカシから食べることは、ゴミとクソと、どう向き合うかのモンダイでもあったようだ。 この残骸の山は、ワレワレに何を語るのだろうか、ワレワレは何を発見すべきなのだろうか。 おれは、この圧倒的な残骸に、生きるバイタリティをムンムンかんじ、うふふふ、やはりね、ムカシからみな、力強く食べ生きてきたのさと思ったのだった。 とりあえず以上。この古墳部の小旅が載った『四月と十月』14号が届いたので、ほったらかしてあった写真を思い出し、急ぎ掲載したしだい。 もっと考えたり話し合ったりしたことはたくさんあった。とくに、おれを除いては美術系のみなさんばかりだったのだが、彼らが熱心にスケッチなどしながら発する言葉は、おれなど考えつかないオモシロイものがあった。 一つ。このひとたちが、ナゼ古墳や貝塚を見るのか。それは土器など人間の手から生まれたものなど「いにしえの美術を訪ねて」造形的な知識を深めようということもあるが、自分たちの「原風景」をみようという動機が強いことを知った。 『四月と十月』14号の仕事場訪問「はちみつと吉野純弥」を書いた牧野さんは、そこでも、こんなふうに述べている。「僕らが未来をつくりだすために原風景をみつめる目は信頼できるものだと思う」 すばらしい!さすが編集長! 「自分自身の原風景を、ただのノスタルジーとして片付けてしまわず、よみがえらせる」試みが必要なのだ。いい絵を描いて自己満足じゃないんだなあ、「未来をつくりだす」のだ。久しぶりに身近に、こういう言葉を聞いた。ちかごろは「書くこと」「描くこと」あるいは「本を出すこと」が目的レベルで、「未来」という目的レベルが語られることは少ないような気がする。とりわけ文学において、未来を想像する力は衰弱している。 異文化人と付き合うのはタメになる。縄文人と付き合うのも、ためになる。縄文人は、日本人なのか? ワレワレは縄文人の子孫なのか? ワレワレは本当に、日本人なのか? 日本人であることが、食べるうえで、どういう意味があるのか。貝塚は日本だけじゃない。「原風景」を前に、二日酔いの頭でイロイロ考えた。 ブログ5月3日「「四月と十月」そして貝塚紀行」参照……クリック地獄 ブログ1月15日「牧野伊三夫編集長『四月と十月』古墳部と、古墳貝塚大衆食三昧」参照……クリック地獄 ザ大衆食トップ│四月と十月│大衆食的 |