03年蔵出し写真展‐1
(03年12月7日版)

今月中旬に出版社に渡さなくてはならない三冊目の本の原稿書きも、イヨイヨ切羽詰ってきたかんじだ。すると、なんとなく、別のことをやりたくなっちゃうんだよね。かといって、あまり文章を書く気はしないし。めんどうはしたくない。撮影したまま、ほったらかしの写真があるから、気分転換に、それでサイトを飾って眺めてみるかと、テキトウに選んで、テキトウに載せることにする。

しかし、デジカメってやつは簡単な気分でドンドン撮ってしまうから、ずいぶんたまるもんだ。これだけたまっちゃうと、整理する気もしない。

ま、とにかく、今日は、こんなところ。たまたま、どの写真も、年に何度か行く小鹿野町の奥地だね。

こっちに「小鹿野町のうどんそば生活」があるから、まだ見たことないひとは、どうぞ。



今年の1月。和久井酒造、小さな造り酒屋。埼玉県吉田町上吉田という、けっこう山奥にポツンとある。「慶長」という酒は、マニアというか酒好きというかのあいだでは、それなりに人気の酒らしい。おれはこの前を何度も通りながら、飲んだことなかった。何年か前に一緒に行った某大手出版社の飲食系雑誌の酒飲み編集者が、この酒を知っていて、そのとき初めて買って一緒に飲み、それから飲むようになった。

そしてときどき立ち寄るようになってわかったのだが、ここの創業者は新潟県の出身なのである。そもそも埼玉県の造り酒屋の半分は、越後杜氏系なのだそうだ。

それにしても越後の人間が江戸時代に、たいして米も獲れそうにない、こんな山奥で、どうして造り酒屋をはじめたのかねえ……。そういう思いで、新潟日報の連載に書いて、これはそのときに撮った写真だ。連載に書いたものは、順番がまだで当サイトに載せてない、そのうちに。

ああ、けっこう書いているな。書きたくないのに。



ここは年に何回か行く小鹿野町藤倉の、ある家。これは今年の夏だね。縁側の外で、バーベキュー。すぐ前は、川というか谷というか沢。こういうとこ、というのは、ワザワザ行楽に出かけた川原などじゃなく、山の中のオウチの庭先で食事にしましょってことだが、こういうとこでバーベキューやると、焼いて食べるって食事は、ごく原始的な食事だなあと、つくづく思う。



でも、これが、うめえんだなあ。そして、これは、原始生活じゃ、こうはいかないんだよなあ。だいいち、原始生活には、ビールがないもんね。

急峻な谷で、日照時間も短い。斜め前の川向こうに一軒あるが、上流も下流も、見える範囲に家はない。山は岩山で、岩を砕いて畑にしたようだ。そんなことまでして、どうしてこんなとこに住んだのか? 江戸期の記録はあるし、伝承では、もっと前から住み着いているらしいが、こんなとこに住むって、よほど先祖様は事情があって町に住めなかったのか、と思っちゃった。

しかし、それはイマの常識であって、平地の町はあとから発展したもので、山はけっこう豊かで、それなりのものを恵んでくれたから山に住んでいた人間は多かったらしい。……なんだ、山賊じゃなかったのか。

いまがイチバン寂れている、もうクマやイノシシの天下だよ、もともとクマやイノシシの土地に人間が住むようになったのだからしかたないや、と住人は笑う。この庭先も夜中にはイノシシがうろつくらしい。



とにかくウドンとソバが常食だからね、ちょっと敬意を表しシャレて写真を撮った。もちろん手打ち。写真なんか、どうでもええ、うまいんだなあ、これが。ホンノリ甘い、甘いというより旨みかな、そういう小麦粉の味がするうどん。粉は、もちろん、小鹿野町の栗原製穀。ここで食べたからうまくかんじたのかと思って、タップリ粉をもらってきて、ウチでお好み焼きやってみているのだが、やはり粉の味がよい。

では、今日は、ここまで。

第2回にすすむ大衆食的