◆当サイト関連 「定食定義研究」の研究…クリック地獄 ◆ブログ版関連 2008/07/28 川崎、大井、飲んで、馬券、泥酔。 2007/10/19 アジフライに関する無限的研究、中間発表 |
丸大ホール 神奈川県川崎市川崎区駅前本町14−5 丸大ビル (2010年3月11日掲載) こんなふうに掲載するのを忘れている食堂がたくさんあるのだが、もうおととしのことになってしまった。2008年7月27日に、呑み人の会の野暮な男たちと、ここへ行った。ここでイッパイやって、大井町の東京競馬場で競馬をやり、夜は大井町の信州酒場浅野屋で飲んだ。 丸大ホールの入口は、2間ほどある。その左右一杯にかかったのれんには、真ん中のマルに大の字のマークをはさむように、「大衆食堂」と「大衆酒場」の文字がある。力強く、こころ強い。 何年前から、ここで営業しているのか。川崎駅東口のこの場所にあって、とにかく川崎といえば丸大ホールというぐらい、昔から有名店だ。そして「自社ビル」になったが、なかみは変らない大衆食堂あんど大衆酒場である。 下の写真、店内の「あんどんメニュー」は、昔の流行だったものを、建て替え後もそのまま残したものだろうか。「ホール」がつく店名といい、戦後の工場地帯の勢いと「ハイカラ大衆文化」の呼吸を感じる。 昔の、それもホワイトカラーサラリーマンが少なかったまちの大衆食堂らしく、ここには定食メニューがない。ただし、「定食(ミソ汁付) 二〇〇円」というのがある。そして「半食(ミソ汁付) 一七〇円」がある。つまり、めしとみそ汁と漬物のセットを「定食」と呼んでいる。いまのように「定食」が流行る前は、ときどきこのスタイルがあった。『大衆食堂の研究』にも書いたが、「定食」の「定」は、これが最も多く見られた実態だったと、おれは体験的に記憶している。 であるから、とくに80年代後半からの近年になって「定食」が街頭の風景になるほど普及するまでは、こういう「定食」は、単に「めし」といえば通用していたところが多かった。その名残りが、ここに見られる。 つまり、「定食」も「めし」も便宜的な呼び方で、それを示す特定の様式や実態はない。「おとうさん」と呼んだり「パパ」と呼んだりと似たようなものであり、「おとうさん」も「パパ」も特定の父親ではなく、愛人を指したりするのとも似ているか。「大衆酒場」も「大衆食堂」も「めし屋」も「定食屋」も「居酒屋」も「赤提灯」も「飲み屋」も「スナック」も「バー」も、アイマイになるがごとく。大衆文化は、そのように、好き勝手にテキトウだからこそ、おもしろいし、テキトウなままに楽しむのが、おもしろい。 もっとも好き勝手とはいえ、「定食」は外食店の一つのサービスの呼称にすぎないにもかかわらず、あたかも食事の様式であるかのような解釈は、あきらかに間違いだからいただけない。 麺類、丼物、中華、洋食、一品料理のおかずやつまみ、なんでもござれの一つの典型的な大衆食堂。こういうところでは、お仕着せの定食とはちがい、選択の余地が多い。自分で選ばなくてはならない。ふところぐあいや体調、食べたいもの、自身の判断が多く必要だ。それを楽しめる客が多いところでは、あえて定食メニューはいらないということになる。これには地域差もあるようだ。お仕着せを好むひとたちと好まないひとたちの違いも、学校の制服の是非のように存在する。 こんにちのような「定食」は、提供者にとってはメニューをしぼることで、売上げやコスト管理が、やりやすい。利用者にとっては、ふところの管理がやりやすい。という関係で、主に、提供者と利用者の経済的合致が大きいのかもしれない。つまり「定食」の「定」は、価格であるという暗黙の了解が、実態かもしれない。 このスチールの皿は、いまでは少なくなったが、いかにも大衆食堂らしい。そして、瀬戸物でないことに、なんら違和感や抵抗感がないのは、大衆食堂という空間のせいかもしれない。もっとも、「洋食屋」では、これが、なぜか高級感に結びつくという時代もあった。高度成長の工業化社会では、スチールに憧れがあったとみることもできる。いまはどうだろう。 ブログ版で書いているように、「うまいアジフライ正三角形」説が、たぶんほんの一部で語られているのだが、ここのアジフライは、まさにその形だった。キャベツの千切りのほかに、ポテトサラダが少し、トマト一切れで、なんだかうれしさが増す。450円を高いか、普通か、安いと判断するかは、そのひとしだい。 野暮な男4人、おれを除いては30歳代40歳代だから、いろいろなものをとって、大いに食べ、呑み、大満足で大井の競馬場へ向かった。やはり、競馬場へ行く前は、大衆食堂だ。そして、じつは、また競馬場で、アジフライを食べたのだ。 ほんとうは、アジの天ぷらも好きなんだが。 ヨッ大衆食堂│大衆食堂系一覧 |