食堂 筑波

台東区国際通り




(04年11月5日記)

元国際劇場の跡地、イマは先日ナショナルチェーン加盟のヤクザ同士が鉄砲で殺し合いをやった浅草ビューホテル前の国際通りは、浅草寺の裏の言問(こととい)通りと交差し、三ノ輪の大関横丁交差点へ向かう。

その途中、言問通り交差点から右側の歩道を行くと、数分で、この「つくば」がある。地番でいうと、たぶん千束3丁目だと思うが、あるいは浅草4丁目のはずれになるのかも知れない。さらに数分歩くと、2日に一の酉があったばかりの鷲(おおとり)神社にいたる、という位置である。

見た目も”いいかんじ”だが、なかも見た目どおりのいいかんじ、一人で切り盛りをしているオバサンも、化粧気ナシで、しかしオバサンというより「女性」といいたいほど、いいかんじ、である。もっとも、一度入っただけだから、このオバサンがいつも一人でやっているのかどうかは、わからない。

そでの看板には、「喫茶軽食」とある。右の壁際にテーブルセット3台、左側の厨房との境に10人は座れないなかばもの置き場と化したカウンターがあるのだが、テーブルセットはかなり感動的にボロな鉄パイプ製で、食堂のものよりやや低めの喫茶店用のつくりだ。コーヒー代が250円。トーストもある。しだいに「食堂化」したのだろうか。焼き魚やフライ類が揃っていて食事ができる。オバサンが作れるものは全てメニューに書いたというかんじだ。

ビールとポテトサラダとカツ丼をたのんだ。ポテトサラダは、ジャガイモをつぶしただけの歯ごたえがある状態で、ニンジンなどほかの野菜も歯でかんで確認できる。マヨネーズは混ぜこんでなく上にかけて出てくる。カツ丼には、小鉢にミニおでんが、それに小皿にハクサイ漬がタップリ山盛り。ビール、もう一本!と言いたかったが、時間がないのであきらめた。また行きたい。またいって、よく”いいかんじ”を味わいたい。

介護が必要な老女がいるらしく、二階からその声がオバサンを呼ぶと、オバサンは忙しい仕事の合間にやさしく対応しているのが印象的だった。近所の70歳すぎの常連バアサンが、嫁の悪口をいい続け、あいまに、イラクで人質になったコウダは殺されればいい、新潟地震の被害者は可愛そうだけど神戸の経験があったから助かったのだなどと、悪徳テレビの解説者のごとくしゃべり続けだったが、それにもオバサンは、「うるさい! このボケばばあ、少しは黙っていろ!」ということなく、「ああ、そうね、ふんふん」とやさしく応えているのが印象的だった。近所の常連とおもわれる、中小企業の実直な幹部社員オヤジというかんじのクタビレた紺の背広を着た男が、静かに勘定をすまして出て行ったのが、印象的だった。彼は、このオバサンのファンにちがいないという印象が残った。

時間は午後5時半だった。おれも勘定をすませて出た。印象的ないいかんじの夕暮れどき。下町のひっそりした静かなたたずまいの生活のなかで藤沢周平的なドラマが生まれそうな……と幻想するほど、おれエンテツはロマンチストではないのだが。

じつにいい気分で、こういうときおれは「生きているのがうれしくなる」などというキザな言い方をしてみたい、そして食事がよかったか悪かったかの印象は「生きているのがうれしくなる」という感覚がえられるかどうかである、とも思ったりするのだが、どうもその「生きているのがうれしくなる」なーんていう言い方はゲヒンに思えて口にできないのだよな、ま、とにかくそういう気分で、たぶんニタニタ一人笑いしながら、プラプラ浅草寺の方へむかったのだった。


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