夏日照り
でも生きている食堂が目にしみて


(05年9月1日記)

野暮用で行った田舎町の道をトボトボ歩いていた。日中の残暑の日差しは、ジリジリ音が聞こえそうなほど強い。静まりかえった昼下がりの町並み。セミの鳴き声、ときどき子供を叱る女の声が道路にひびく。自分がガキのころの田舎町にもどった気分だ。東京じゃ「昭和30年代レトロ」がハヤリだが、地方へ行けば「昭和30年代」だらけ。

と、前方右側に、食堂らしきが見えた。いや、もう営業はしていないのかと思えた。看板は壊れ放題だし、12時すぎの昼めし時なのに、暖簾は出てない。ま、もっとも、人通りもないが。玄関の埃をかむったままの古ぼけた「ラーメン」の赤提灯が、時が流れるままの成り行きまかせの飾りのようだ。

写真を撮りながら近づくと、これはなんと呼べばよいのか、ようするに↓コレが見えた。ま、標識のような、「クイ看板」か。やあ、おもしろいなあ、独創的だなあ。一番下には、「入口」と書いてある。書いてなくても、この大きさの建物だ、入口だとわかるだろう。もしかすると、これは、ちゃんと営業しているぜ、という証かも知れんなあ。






玄関には網戸。網戸ごしに見ると、すぐコンクリートを打った土間で、どうやらテーブルが一つぐらいはあるようだ。配達用のケースが、転がっている。そこは奥行き一間ぐらいで、すぐ座敷。座卓があって、女主人らしきが一人でテレビを見ている。どうやら居間兼客席らしい。その先に、すぐ裏庭が見えた。

これから役所に用があるから、帰りに寄ってみようかと、なんとなくゆっくり歩きながらのぞくと、女主人がこちらをチラッと見た、その瞬間、思わず頭を下げたのだが、彼女はすぐテレビに目をもどした。のぞかれることに馴れているのだろうか。それとも余所者だと知って、どうせ客じゃないと思ったのか。

帰りに寄ろうと思っていたのに、行った先の役所で、別の役所へタライまわしになり、けっきょくこの道にもどれなかった。

こういう食堂は、地方へ行くと、ときどきあって、まったく看板もなく、ただの民家で、近所の人に聞かないとわからないこともある。むかし、糸魚川あたりや紀伊半島の九鬼のあたりで、そういう食堂に入った。どちらも玄関の土間で営業しているような食堂だった。そういえば、むかし新橋にも、もっと大きかったが、そういう看板の出てない食堂があった。

しかし、このクイのような看板は、必死の存在証明なのかも知れないけど、なんとなく洒落っ気も感じられて楽しいなあ。こういう風景を見ると、おれは、うらぶれていると思うより、みんなシタタカに生きているんだなあと濃い胸騒ぎを感じる。


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