会津の南郷村で
ロードサイド型大衆食堂考


三喜亭



(05年8月4日掲載)

ほんとうは、「ロードサイド」とはいわずに「街道筋」とかいうべきだろうが、現代に順応しやすい節操のないおれは、とりあえず「産業用語」としても通用している「ロードサイド」をつかうことにする。でも「街道筋の大衆食堂」のほうが、かっこいいなあ。

1960年代のなかごろから勢いがついたモータリゼーション(無理矢理交通自動車化促進)は、駅前商店街の変貌とロードサイド型商売の振興をもたらした。大衆食堂というと、鉄道の駅を中心に考えがちだが、ロードサイドもみなくては、全体をとらえたとは言いがたい。それに70年代以後のファミレスは郊外ドライブイン型から始まった。鉄道駅周辺の大衆食堂は衰退の減少の傾向だったかも知れないが、ロードサイド型は必ずしもそうではなく、大衆食堂の勃興期のように小さい食堂が次々にでき、小さく始めて大ドライブインにまで成長するところもあった。

しかし、おれはクルマの免許も無ければクルマもない。旧態依然の鉄道とバスと足の移動なのだ。歩いてロードサイドの大衆食堂へ行けなくもないのだが、なかなかツイデというのがない。気になる食堂がいくつかありながら、なにしろ、ワザワザ行くほど、熱心なマニアでもなければコレクターでもない。ということで過ごしてきたのだが……。

ロードサイド型の大衆食堂というと、駐車場完備の大衆食堂ということになるだろう。しかし、駐車場のほうはアイマイでも、主にクルマの客を相手にしている大衆食堂は都心にもあった。たとえば、まだ当サイトに掲載してないが、近年は近くに地下鉄ができたから歩いてラクに行ける中央区勝どきの「月よし」や、新宿区西新宿十二社通りの「千草」などは、タクシードライバーに人気で有名になった。つまり駐車場は「完備」というほどじゃないけど、広い道路にチョイト駐車してめしを食べることができたりとか、そういうロードサイド型もある。

そうそう、掲載済のところでは、千葉県野田市の「やよい食堂」などは、駅からは離れているし、近所に商店会の駐車場はあるしで、クルマ利用の客が多いようだ。

話しはズレるが、ロードサイド型大衆食堂というと、ナゼか倍賞美智子風の中年女性が1人でやっている、こじんまりとした食堂を妄想する。外の駐車場に大型トラック、できたらダンプが停まっていて、中ではタオルでねじりハチマキの肉体派のニイサンが大めしくらっている。もちろん男の客たちは、めしもおかずも気に入っているが、倍賞美智子風ネライで通っている。ところが倍賞美智子風は刑務所へ出稼ぎに行った高倉健風を待っている。というイメージなのである。

そうである、ここでトツゼン、山口瞳さんの登場だ。この『世相講談』、いいでしょう。わざわざカバーをはずして並べて写真を撮ったのは、柳原良平さんのイラストが、本体の表紙の地色に墨色の印刷が渋くてよいからですね。でも写真がヘタでイマイチである。

なかに「韋駄天街道」がある。初出はわからないが、本の刊行は1966年で、そんなに離れていないだろうと思われる。書き出しは、こうだ。

 ここは中仙道(なかせんどう)の熊谷(くまがや)の宿から左へと折れまして秩父(ちちぶ)へ参ります街道筋、小前田、寄居なんという、以前はってえとなかなかに栄えたところ。そこをば少うし過ぎまして脇道にはいった大衆食堂にございます。

いよっ、いいぞいいぞ、1960年代風だ。

「皆様の店」という大看板があるかと思うと、その下にあらたにドライブ・インなど書き足してある。

うーむ、さすが観察は鋭いし、ロードサイド型大衆食堂の成長期を感じさせる。

 中央に石油ストーブがありまして大薬罐にちんちんと湯が沸(たぎ)っております。……粗末なテーブルが、ひいふうみい、五卓。

 店にひっついて六畳の部屋。電気炬燵(ごたつ)にテレビに神棚(かみだな)という。……田舎風っていいもんですね。あとは調理場だけ。すなわちまことに小さな食堂であります。

「カツ丼、百五十円」「天丼、百二十円」「カレーライス、百円」「手打そば、六十円」「ビール、百三十円」「お酒、七十円」「コーラ、五十円」「定食、百円」となっております。

いよっ、いいぞいいぞ、値段まで、1960年代風だ。

そこで当年三十五歳の、T大卒業だが何をやってもイマイチぱっとしない塩田正平が、美人の妻と可愛い利発な娘を連れションボリ食事をしている。寄居町の正平の叔父さんのところへ金策にでかけ断られたところだ。
そこへ、

 「おうす……」
 ゴム草履(ぞうり)にジャンパー、頭にタウェルを巻いた若い男が、硝子戸(ガラス戸)を勢いよく開けてはいってきた。
 あたりをぐるっと見廻して真中の卓につき、自分でお茶を注ぐなんざいかにも馴れたもんです。
 五十歳前後と見られるこの店の太った内儀(かみ)さん、先程から豆々(まめまめ)しく働いておりましたが、莞爾(にっこり)笑って隣の椅子に坐りました。まるで親子か恋人のよう。
 「そうだな。モツの定食」
 「おいきた」


……というぐあいで、ここから塩田とダンプの運ちゃんの関係が始まるのだが、いやあ、これですよね。これは、やっぱ、「ドライブイン」ではなく、「街道筋の大衆食堂」でしょう。

ま、それで、去る5月である。おれも、ツイデがあって歩いて、ロードサイド型の大衆食堂に入ったのだ。というのも、温泉さえあれば何もいらないということで、福島県南会津郡南郷村へ行った。南郷村といってもだだっ広い。ここは、南郷村の中心部山口から5キロばかりの界(さかい)。とにかく浅草を始発の東武伊勢崎線が鬼怒川から川治といったところを経由して、鉄道会社の名前は2つ3つ変わるけど、会津若松まで行く。その途中に田島という駅がある。そこからホテル専用の迎えのバスで40分もかかるところなのだ。一度行ったが何もないところで気に入った。というのも、安いわりに温泉と食事がよかったからだが、また行った。

この写真のようなところで、馬と一緒に暮らした曲家は遠野の南部曲家ばかりじゃないぞと思わせるほど、曲家の多い地域だ。しかし、何もない。昼めしが食べられるところは、歩ける範囲では2軒。あと食べ物を買える店というと、コンビニのマネゴトをしている酒屋が一軒だけ。

飲食店の一軒は、写真の手前の崩れそうなかやぶき屋根に青いビニールシートをかぶせた先に見える赤い屋根。これは曲家のかやぶき屋根をそっくりトタンでくるんで保護しているわけだが、建物はそのまま曲家を利用して古い趣が細部にまで漂う、ちょいと入ってみようかなと思わせるものがあったが、メニューがスパゲティなど「洋風系」なのだ。

田舎では、かえってこういうふうが喜ばれるのかもナ、と思いながら、なんとなくそういうものは食べる気がしない。できたら、ラーメンを食べたいナと思いながら、むこうの山ぎわを走る国道へ出て見た。ゆったりした二車線の道路は、ときどきクルマが疾駆する。閑散として信号がないから、みなぶっとばしている。遠くに見えたと思ったらすぐ目の前。ゆるみっぱなしだった感覚が、横断に緊張する。

すると「酒処、お食事処 三喜亭」の看板が見えた。建物は丸木小屋ペンション風のつくりだが、駐車場に、アルミの箱型の荷台で、運転席の上をキンキラ飾った大型トラックが一台停まっていた。オオッ、これは、期待できそうだと入った。12時半ごろだった。

奥のテーブルで、ニイサンたちが3人、タオルでハチマキではないが、いい肉体で、それぞれ二人前ぐらいの量にかぶりついていた。うーむ、やるなあ。

「中央に石油ストーブがありまして大薬罐にちんちん」はないし、倍賞美智子風の中年女性はいなかったが、お茶や冷たい水が好きなように注いで飲めるようになっているし、愛想のいいオバチャンが二人、元気よくやっていた。いい雰囲気だよ。

板の壁にペタペタ手書きメニュー。「お昼のサービス 鶏テリ焼丼 680円」「鶏カラアゲ定食 700円」「焼肉定食 1000円」「かつ丼 800円」「カキフライ定食 900円」「ほたて貝漬刺身丼 800円」ほか、夜の飲酒用メニューと思われるもの。ほか中華、スタミナ系が圧倒的。5月なのに「忘年会 新年会」のポスターってのがいいね。夜12時までの営業、夜中には地元民の社交場になるようだな。

トラックの人たちには申し訳ないが、まずはビール。とやっているうちに、彼らは、さっさと食べ終わり勢いよく出て行った。エンジンをふかし只見方面へ、「あらよっ」というかんじで走り去った。「韋駄天」とは「よく走る神」だそうだが、まさに。

ラーメン500円を注文。味はフツウだが、太麺のうえ量が多い。ううむ、ガツンだなあ。

大衆食堂の上客というのは、インテリ労働者ではなく、肉体派労働者だった。先日も、押上の押上食堂に入ったら、ちょうど昼時で、いろいろな客が出入りしたが、スーツを着たサラリーマン、インテリ系風は、せいぜい600円から700円ぐらいのものだ。しかし、作業着のいかにもガテン風なニイサンは、大盛りめしを二回もおかわりし、千数百円払っていた。かつて、高度成長期の大衆食堂は、こういう都内にあふれていた肉体派労働者が、大きく支えていた。東京は都心の一部をのぞき工場の街であり、たえまない工事の土建労働者の街だった。

三喜亭でのトラック3人組も、1人千数百円。道路網でつながった日本は、都心も鉄道のない鄙びた田舎も、同じような値段になったようだ。ただ、コストの関係で田舎では、同じ料金でも量が多いとかあるだろう。ロードサイドなら土地代も安いだろうし……と、ひとさまの経営の計算。

しかし、ここは、冬は雪が深いから厳しいだろうなあ。でも曲家のむかしから多くの人たちが生きてきて、しかもいまはイチバン人口が減っている時代なのだ。リッパな道路はできてクルマの移動は便利になったが、はたして進歩しているのかいないのか、わからんなあ……。周囲の山はもちろん、ふらふら歩いた水芭蕉が咲く小池のほとり桜が咲く土手に、雪が残っていた。

ところで、山口瞳さんの「韋駄天街道」は、このようにおわる。その大衆食堂で会ったのがきっかけで塩田は、ダンプの大隈と付き合うようになり、彼らの仕事や暮らしぶりや考えていることなどを知る。そして。

 塩田にわかったことは、世の中を動かしているのは、自分ではなくて大隈だということだけだった。駄目なんだ、知識人は。

ああっ!!!


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