(04年11月15日版)

東京・杉並区、荻窪駅北口、つまり青梅街道がわに出て、すぐ左側にはルミネや大型雑居ビルショッピングセンターがそびえているが、反対の右側にはジャンクトラディショナルな荻窪北口駅前通り商店街、こちらの一角はビル化されずに、空が広い、いいかんじの、あかぬけてない昭和な商店街のままだ。そのなかに、冨士食堂が。

荻窪は、ときどきしか行ったことがないが、荻窪の大衆食堂というと、なくなった南口の「大衆食堂 三番」と、北口は「ヤシロ食堂」という固定観念ができてしまっていて、それにこの一角にはラーメン有名店の春木屋やマルフクがあるものだから、あまり近寄る気がしなかった。(ラーメン屋に並ぶ人びとを見ると萎えるからな)

だから、冨士食堂のことは、この日一緒に行ったアノニマ☆オンナさんが今年から荻窪住民になって、よく利用するようになって教えてくれるまで知らなかったのだ。

いちばん駅に近いアーケードの路地のなかほどに、堂々の大衆食堂の看板。出入り口が2ヵ所だが、なかは同じ一つのフロアーである。どうやら、写真手前がわの「大衆食堂」の看板のところが元の店で、左側はあとで隣の店を「併合」したように思われる。そっちの看板は「大衆食堂」ではなくて「食堂 冨士」、入口のガラス戸から中が見える。そして店頭に「定食」の旗。ああ、このへんに、風俗のうつりかわりをかんじるねえ。

つまり、「大衆食堂」から「食堂」そして「定食屋」へというイメージがね。「市民社会」の都会的な全体的なフンイキとして、あるわけですよ。自分で『東京定食屋ブック』というタイトルの本の企画協力をしながら言うのはオカシイかも知れないが、どうして「定食屋」なのかね、なぜ「大衆食堂」じゃいけないのかね。

「大衆食堂」は地域の歴史的文化的遺産を蓄積した呼び名なのに、そういうものをマーケティングの都合で簡単に捨てるのだなあ。「女の子が一人でも入れる」イメージのほうがよい、とかいうマーケティングの都合などでね、かえちゃうわけですよ。しかし、マーケティングの都合、流行でかわったものは、またおなじ目先の都合でかわるんだよなあ。これじゃあ、地域文化なんか育たないでしょう。そういうふうに、ここ数十年のニッポンは、とくに都会はマーケティングの事情でコロコロかわってきたのだが。

でもね、「市民」のみなさまがたは、どうも「大衆」が嫌いらしいのだ。バカ、ダサイ、フルイ、ビンボークサイ、ゲヒン、ワイザツ……「劣った」イメージということなのだなあ。それで、「定食屋」なんていう無難なイメージが通用するというわけだ。というふうに考えられる。

そして、「市民」のみなさまは、どんどん根無し草のような流行に流されるのを「気持いい」という感覚になってきたのだなあ。「市民」というが、地域の歴史や文化と共にある「市民」ではなくて、流されることが気持いい「市場の民」という意味での「市民」なのですね。この店頭の風景は、そういう風俗の流れの象徴のような気がする。

そのように街は「定食屋」化したが、しかし「定食」という旗を立てながら、なおかつ「大衆食堂」の看板が残っているというところが、いかにも「おれは大衆食堂ぞ!」らしいのだ。簡単には流されない、ゆっくりとした変化、自分で納得のいく変化を生きる、ということではないだろうか。あかぬけない、洗練から遠くても、一流じゃなくても、先端や先進じゃなくても、「市民」じゃなく「大衆」でも、いいじゃないの、シアワセで楽しいならば。それが生活というものだろう。そう、おれは思うのだった。


冨士食堂

杉並区上荻1-6-10
荻窪駅北口そば

11月12日の10時閉店直前に、オンナ2人と入った。正確に数えなかったが、客席数40ぐらいか。やっと3人座れる場所を確保するほど混雑だったが、客はみなオトコばかり。

荻窪住民になって、この食堂をよく利用するようになった、連れの30代のアノニマさん。こいつはオトコだらけの食堂に入って、めし大盛りを注文して食べる堂々の、大衆食の会参加のオンナだ。小柄なほうだが、よく食べるしパワフル。それともっと小柄で30になったばかりのオンナ。こいつもオトコだけの食堂に入るの平気。ま、「オンナ一人大衆食堂を行く」で、OLちゃんなどをやりながら、ガツンと生きています、というかんじ。2人とも枯れたオンナじゃないよ、ちゃんとオトコをつくったりシングルマザー貯金したりオトコをふったりしていますから。ま、とにかくワレワレは、ガバガバと注文し、もちろんビールも飲んで。

メニュー豊富、たとえば、胡麻和えでも、ホウレンソウ、コマツナ、チンゲン菜、シュンギクといったぐあい。それから鉄鍋をつかった小鍋だてが、よく旅館で出るような小さな小鍋じゃなくて、その倍はある大きさで、何種類あるのかなあ、イロイロある。一人で、こういう鍋が食べられるっていいよなあ。しかも、どの料理もガツンの質量。まあ、とにかく、タクアンの切り方ひとつ、乱切り調でダイナミックだ。ガツンガツンガツン、ドバッ、これでもか! というかんじ。鍋の具の多いこと、うれしくなっちゃうね。

おれは、カキ鍋とめしと納豆、を注文した。すると自動的にタクアンと小鉢がついてくる。この小鉢は日によってちがうらしいが、この日は小さなハンバーグ。それからビールの付きだし、イカのゲソ煮だが、これがハラワタ煮なのだ。エッ、いいねえ。これで、ビール大瓶一本の代金も含めて1460円だ。

まわりの男たちは、なかなかよい面構えだったなあ。「おれは生きているぜ」というかんじで、軽くイッパイやってめしくって、サッとひきあげる男たち。この一角は、有名な春木屋やマルフクのほかに新しいラーメン屋もできてラーメン横丁化する気配があるが、やっぱりガツンな男たちは、ここでシッカリめしを食べるのさ。もちろんガツンな女だって。

おれの気持としては、「定食」じゃなくて、「めし!」とかいう大旗を掲げて欲しいんだがな……。


大衆食的ヨッ大衆食堂